かつて東京の千住付近にお化け煙突と呼ばれる日本一高い煙突がそびえ立ち、その存在のユニークさから下町に住む人々に親しまれていた。
「お化け煙突」という奇妙な名称は本来は4本ある煙突が眺める角度によって1本に見えたり2本に見えたりとさまざまに変化することからつけられたものである。
これは現在の千住桜木町1丁目にあった東京電力千住火力発電所の高さ83.8メートルもある巨大な煙突で、大正15年1月に建造されたものだ。
映画「煙突の見える場所」は椎名麟三が昭和27年に「文学界」に発表した「無邪気な人々」という小説を映画化したものだが、小説では世田谷の下高井戸あたりが舞台になっているのを映画化に際してこのお化け煙突が見える下町へと場所を変えている。
そしてこのことが映画が成功する要因のひとつになり、お化け煙突の名を全国に広く知らしめるきっかけにもなっている。
映画はこのお化け煙突を上空から捉えた印象的なショットから始まっていく。
そしてそこに住む上原謙と田中絹代演ずるサラリーマン夫婦を中心とした下町の人々の哀歓が切々と語られていくのである。
いまは失われてしまった昭和2,30年代の東京の風景をスクリーンのなかに探し求めた川本三郎の好著「銀幕の東京」のなかにこの映画の内容について書かれたくだりが登場するので、その一部を書き出してみる。
「『煙突の見える場所』は冬に撮影されている。そのために全体に風景が寒々としている。吐く息は白いし、放水路の水も冷たそうだ。高峰秀子は、仕事を終えて部屋に戻ってくると電熱器で炭をおこし、それを火鉢に入れる。靴下を足袋にはきかえて靴下の修繕をする。まだ暖房がいきとどいていない。みんなが暖かさを求めている。上原謙の勤め先が足袋の問屋という設定も高峰秀子が街頭アナウンスで「そのあたたかさ、そのはき具合、その丈夫さ、必ずみなさまのお心まで暖かくなるやっこ足袋をお召し下さいませ。」と宣伝しているのも、足袋が暖かさの象徴になっているからである。そして、下町の市井の人々が求めている暖かさのすべての象徴として、お化け煙突という火力発電所の煙突がある。まだテレビもマイカーも石油ストーブさえもない昭和28年の冬である。」
電熱器、炭、火鉢、足袋、といった懐かしい道具が欠かすことのできない生活必需品として使われていることがわかる。そして貧しいながらも毎日を精いっぱいに生きている様子が伝わってくる。
こうした当たり前の人たちの当たり前の日常が優しい視線で描かれているのである。
お化け煙突は昭和39年、東京オリンピックのあった年に老巧化を理由に取り壊されている。
そしてこの年を境にして東京の街は大きく変貌していくことになるのである。
監督 五所平之助 原作 椎名麟三 脚本 小国英雄 撮影 川崎新太郎
出演 上原謙/田中絹代/芥川比呂志/高峰秀子/田中春男
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