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●監督・脚本:マジッド・マジディ
●撮影:パービズ・マレクザデー ●美術:アスガル・ネジャド=イマニ ●出演:ミル=ファロク・ハシュミアン/バハレ・セッデキ/アミル・ナージ フェレシュテ・サラバンディ/ダリウムシュ・モクタリ 1997年イラン作品
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イラン映画といえばアッバス・キアロスタミの「友だちのうちはどこ?」をはじめアボルファズル・ジャリリの「かさぶた」「7本のキャンドル」ジャファール・パナヒ「白い風船」といったふうに子供を主役に据えた秀作が多い。
これは数多くの検閲をくぐり抜けなければ映画が作れないイランという国の特殊事情が背景にあるのだが、そんなイラン映画の系譜にまたひとつ登場した秀作がこの「運動靴と赤い金魚」という映画である。 主人公のアリは修理してもらった妹ザーラの靴を買い物の途中になくしてしまう。 貧しい家庭の子供である兄妹はこのことを親にも告げられず、結局アリの運動靴を交互に履くことで急場をしのごうとする。 午前中に授業があるザーラがまず最初に靴を履いて出かけ、午後はアリがそれを履いて学校に出かける。 だが靴の受け渡しがうまくいかないためにアリは毎日が遅刻である。 またザーラもぶかぶかの運動靴を履くことが恥ずかしく、いやでいやで仕方がない。 ある日、ザーラは学校で、なくした自分の靴を履いた少女を発見する。 そしてなんとかその靴を返してもらおうとアリといっしょに少女の家まで出かけるが、少女の父親が盲目で、自分たち以上の貧しさだということを知ると言い出せなくなってしまう。 そんな時、マラソン大会が行われることになり、賞品が運動靴であることを知るとアリは妹のためにそれを手に入れようとマラソン大会に出場することにする。 そして妹のために必死で走る。 はたしてアリは靴を手に入れることができるのかどうか。 クライマックスのマラソンがドラマチックに盛り上がっていく。 このようにこの映画では貧しさのなかで子供が子供なりに懸命に生きる姿が描かれている。 そしてそれは子供の目線に合わせて淡々と描かれ、そのなにげない日常のなかからイランの過酷な現実の姿が垣間見えてくる。 キアロスタミやジャリリの映画同様、ここでもやはり出演者はみな素人ばかりを起用している。 そのためか主役の兄妹の自然で健気な表情がとてもいい。 さらに池に浸したアリのまめだらけの足を癒すかのように金魚がまといつく幻想的なラストシーンが強く印象に残る。 ここでは金魚さえもが優しさに満ちている。 だがしかし貧しさのなかに生きる人というのはどうしてこんなふうに思いやりや優しさに満ちているのだろう。 おそらく誰もが苦しい思いをしているだけに他人の苦しみや痛みを自分のこととして受け止めることができるということなのかもしれない。 そうした共感することのできる柔らかな気持ちこそが貧しさのなかを生き抜いていく大切な感情なのかもしれないのだ。 こうした美徳はわれわれ日本人の遠くない過去にも存在したものだ。 それはけっして珍しいものではなかったはずなのだ。 だがいつしかこうした美徳も色褪せて、今では目にすることも少なくなってしまった。 こうした種類の映画を観ていると、時に不思議な懐かしさをおぼえるのもおそらくそんなことから引き起こされる感覚なのかもしれない。 そんなことをあらためて考えさせられた。 |
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●監督・脚本:ゲーリー・マーシャル ●脚本:ボブ・ブランナー
●製作総指揮 デビッド・ホバーマン ●撮影:ダンテ・スピノッティ ●出演:ジュリエット・ルイス/ダイアン・キートン/ジョバンニ・リビージ トム・スケリット/サラ・ポールソン 1999年アメリカ作品
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知的障害をもつ娘が母親との対立と和解のなかから自立していく姿をハートウォームに描いた物語。
娘をジュリエット・ルイスが、母親をダイアン・キートンが好演しており、愛するがゆえに対立せざるをえない様子がきめ細かく描かれていく。 母親の束縛から逃れて自立への道を踏み出そうとする娘、だがそれを不安に思う母親はついなにかと口出しをしてしまい、結局は娘の自立の邪魔をすることになってしまう。 そんな構図はどこの家庭でもよく見られる風景だ。 だがここでは娘が知的障害者であるだけに問題はよりいっそう複雑に屈折したものになってしまう。 母親は自分の価値観のなかに娘を押し込めることが娘を守ることだと信じており、都合の悪いことは見ようとはしない。 そんな母親の態度にほんとうの自分の姿をはっきりと見てほしいと願う娘。 こうしたふたりの考え方のすれ違い、かみ合わない様が丁寧に描かれていく。 この関係はゲイの長女と母親の対立とも相似形になっており、ふたつが同時進行で描かれることでより鮮明に問題が浮かび上がってくる。 子供はけっして親の望むようには成長していかない。 親はいつかそのことに気づき現実を受け入れなければならない時が来る。 それは確かにつらい選択には違いないが、そこを乗り越えなければいつまでたっても両者の関係は改善されないままである。 こうしたプロセスを経るなかで子供は親離れをすることで自立を果たし、親は子離れをして大人同士の良好な人間関係が築かれることになる。 父親が母親に向かって言う「年を重ねて子供に背を向けるのは人生の大事な実りを失うことだ。」というセリフが重く響く。 |
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●監督:ジョン・ウー ●製作総指揮:ポール・ヒッチコック/テレンス・チャン
●製作:トム・クルーズ/ポーラ・ワグナー ●脚本:ロバート・タウン ●撮影:ジェフリー・L・キンボール ●美術:トーマス・E・ザンダース ●視覚効果:リチャード・ユーリッチ ●音楽:ハンス・ジマー ●出演:トム・クルーズ/ダグレイ・スコット/サンディ・ニュートン/ビング・レイムス アンソニー・ホプキンス/ヴィング・レイムス/リチャード・ロックスバーグ |
ブライアン・デ・パルマによる前作を今度はアクションに独特のスタイルをもったジョン・ウーが引き継いでさらにパワー・アップした作品に仕上げている。
主役のイーサン・ハントには前作同様、トム・クルーズが扮し、カンフー・スタイルをとりいれた過激なアクションに挑んでいる。 危険なシーンも吹き替えをほとんど使わなかったというトム・クルーズの意気込みが画面からダイレクトに伝わってきて小気味がいい。 スロー・モーションを多用するジョン・ウー独特のアクション・シーンでも間違いなくトム・クルーズ本人がアクロバティックなアクションを披露している。 映画のつくりそのものはジョン・ウーの前作「フェイス/オフ」のスタイルを踏襲しており、スロー・モーションを使ったアクション・シーン、そこに流れる哀愁あふれるメローディー、2丁拳銃による銃撃戦、そして最後に訪れる善悪両雄の1対1の肉体のぶつかり合い、こういったジョン・ウーお馴染みの映像スタイルで描かれており、まさにエネルギーが炸裂する痛快な娯楽アクションになっている。 |
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●監督・製作・脚本:イム・ホー ●脚本:ワン・シントン/ワン・シーピン
●撮影:ホウ・ヨン ●美術:コン・ミンホイ ●音楽:大友良英 ●出演:ツォ・チョンファ/スーチン・ガオワー/マー・チンウー/ウェイ・ツー 1994年香港/中国作品
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●監督:増村保造 ●原作:黒岩重吾 ●脚本:高岩肇/野上龍雄
●撮影:秋野友宏 ●美術:渡辺竹三郎 ●音楽:山内正 ●出演:若尾文子/田宮二郎/川崎敬三/岸田今日子/江波杏子/千波丈太郎 1964年大映作品
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