女の子になりたいという願望をもった7才の少年リュドビックが巻き起こす騒動を時にコミカルに、時にシリアスに描いたファンタジーである。
この映画ではまずなによりも色彩の美しさが眼を惹く。
化粧をし、スカートをはき、人形と遊ぶリュドビックの夢に合わせるように画面がファンタジックな色彩に溢れている。
こうした色彩の氾濫はすなわち少女世界に浸ることで感じるリュドビックの満ち足りた気持ちを表現しているにちがいない。
そしてそのことがこの映画の独特の個性にもなっている。
性同一性障害の少年をもった両親の戸惑いや悩み、そしてその事実とどう折り合いをつけていくかといったいくらでも暗くなってしまいそうな物語が陽性の明るさに満ちているのもこうした色彩設計が大きく作用しているといえるのだ。
リュトビックのこうした楽しみが隠れた遊びとしてだけで完結している分には問題は起きないかもしれないが、(というよりもむしろ問題を先送りにすると言いかえるべきだろうが)リュトビックはそのことを隠そうとはしない。
むしろ性同一性障害者としての自分を彼なりに積極的にアピールしていこうとするのである。
こうして彼の行動が家族や隣人たちを巻き込んだ騒動へと発展していくことになる。
始めはそれを子供の成長過程における一時的な異変だというくらいに軽く考えていた両親だったが、父親の上司の息子とリョドビックが妙な関係になり始めると、もうそんな悠長なことばかりは言っていられなくなってしまう。
結局、このことが原因で父親は会社をやめざるをえなくなり、せっかく住み慣れた家も引っ越しせざるをえなくなる。
そしてそうした不幸を招いた原因となったリュドビックに両親の非難が集中することになってしまう。
リュドビックのためには自分たちはどこまでも彼を守り抜かなければと考えていた両親も事ここに至ってはもう完全に切れてしまい、家庭崩壊寸前という状況にまで追い込まれてしまうのだ。
それとともに原色に彩られていた画面が暗く沈んだ色彩に覆われていく。なかなか巧みな演出だ。
果たして家族の再生はあるのだろうか、そういった展開が終盤の見せ場となっていく。
そしてその鍵を担うことになるのがリュドビックが夢中になって観ているテレビ・アニメの主人公「バム人形」というキャラクターである。
バービー人形を思わせるこのキャラクターにリュドビックは限りない憧れをもっており、将来は彼女のような素敵な女性になりたいと秘かに願っている。
そんな「バム人形」がもつれてしまった現実の糸を優しくほぐしてくれることになるのである。
ラスト・シーンでリュドビックと母親が紛れ込む「バムの世界」の幻想的な美しさこそがこの映画のすべてを集約しているといえるのではなかろうか。
リュドビックを演じたジョルジュ・デュ・フレネの可愛さは特筆モノだ。
彼の存在なくしてはこの映画はなかったのではと思わせるほどの適役であった。
監督:アラン・ベルリネール 脚本:クリス・ヴァンテル・スタッペン
制作:キャロル・スコッタ 撮影:イブ・カーペ 音楽:ドミニク・カルダン
美術:ベロニク・ダルカン 衣装:カレン・ミュレール・スロー
出演:ジョルジュ・デュ・フレネ/ジャン=フィリップ・エコフェ
ミシェール・ラロック/エレーヌ・ヴァンサン/ダニエル・ハンセン
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