1999年12月 NO.3
 
 
 
 
12/16 微笑みをもう一度
(98アメリカ)
 
 
 
  
 結婚に敗れて故郷に帰りついたサンドラ・ブロックがそこで発見したものは色褪せてしまった自分の姿である。 
 学園の女王として溌剌としていたかつての面影はすでになく、今はただ生活に疲れただけの目立たないひとりの女性でしかないのである。 
 そんな無惨な現実と向き合わなければならなくなったサンドラ・ブロックは失望と苛立ちのなかで本来の自分を見失ってしまうのだ。 
 そして幼い娘の敏感な心はそれを本能的に察知して、母親からも心が離れてしまう。 
 そんな四面楚歌の状態の中で次第に彼女が癒されていき、自立への道を踏み出していく姿を淡々と描いている。 
  
 時間は人間をどのようにでも変えていく。 
 ただそうした変化というものが普段の生活のなかではなかなか見ることができないだけに、ほとんど気にとめずに過ごしているだけなのだ。 
 だが長い時間を経た後に、いつもの日常から少しばかり離れたところに置かれたときに初めて意識するということになる。 
 そんな状態になったとき、初めて自分の歩いてきた道が見えてくる。 
 サンドラ・ブロックが今の自分の生活を変えようと仕事探しのために就職斡旋業者のもとを訪れるシーンでそんな心境がさりげなく描かれる。 
 そこの責任者の女性が実はかってのクラス・メイトであったということがわかるのだが、サンドラ・ブロックはその女性のことは思い出せず、昔のあだ名を聞かされて初めてその人だと判るという場面である。 
 昔はデブでブスの女生徒だったそのクラスメイトが今はその面影とはまったく違った溌剌とした美人のキャリア・ウーマンになっており、彼女はそのことに少なからずショックを受けるのである。 
 そこでのサンドラ・ブロックは相手に合わせて懐かしさにはしゃぐといった態度をとってはいるが、その実、打ちのめされた気分がありありと伝わってくる。 
 そしてそれに引き比べて現在の自分の生気のなさに改めて愕然としてしまうのだ。 
 学園の女王として彼らの憧れの的であったサンドラ・ブロックとそのクラス・メイトは今では完全に立場が逆転してしまったのである。 
 そうした惨めさが彼女の笑顔のなかから見えてくる。 
 彼女はますます落ち込んでいってしまう。 
 だがこうしたショックが引き金となって初めて新しい生活や新しい自分への第一歩を踏み出す決意が生まれてくるというのもまた事実なのである。 
 こうした経緯をどう納得させながら見せていくかということがこうした映画の見せどころであり、泣かせどころでもあるのだが、そのへんが一応きめ細かく描かれており、まずまずの出来である。 
 そしてこうした時に力になるのはやはり家族ということになってくるわけで、数少ない家族のひとりである母親をジーナ・ローランズが好演しており目をひく。 
 ちょっと変わり者で、だからこそ常識的な親とはひと味違ったアドバイスや指針を示すことができるといった、人生の先達としての貫禄を見せている。 
 先日観た「マイ・フレンド・メモリー」に続いての似たような役柄ではあるが、やはり彼女がやるとピリッとした存在感があって、映画が引き締まる。 
 これがキャリアというものであろう。 
 さらに彼女に負けず劣らず目をひくのが眼鏡をかけたおしゃまな娘を演じるメイ・ホイットマンの可愛さである。 
 転校先の学校で、いじめにあいながらも彼女なりに頑張っていこうとする健気さや母親を見る目のシビアさなど、こましゃくれてはいても納得させられる。 
 といったぐあいに3人がいいアンサンブルを見せているのだ。 
 こういった映画を観ながらついでに自分の人生のことなども振り返って見るというのも悪くはない。  
  
 
製作総指揮:メリー・マクラグレン/サンドラ・ブロック 監督:フォレスト・ウィテカー
製作・脚本:リンダ・オブスト 撮影: カレブ・デシャネル 音楽:デイブ・グルーシン
出演:サンドラ・ブロック/ハリー・コニック・ジュニア/ジーナ・ローランス
メイ・ホイットマン/マイケル・パレ/キャメロン・フィンレイ
 
 
 
 
 
 
 
12/20 菊次郎の夏
(99日本)
 
 
  
  
 北野武の新作は大方のファンの予想をはぐらかして今回はほのぼの系路線への挑戦である。 
 これまでの北野映画の売り物である鮮烈な暴力描写はいっさい省略し、夏休みの絵日記の体裁を借りたロードムービーで、思いっきり童心に帰って遊び心を発揮する。 
 夏休みなのにどこにも連れていってもらえない少年につき合って、母親を訪ねる旅に出かけたビートたけし演じる中年男がまるで子供帰りをしたようなイタズラごっこを飽きずに繰り返す。 
 そんな旅を続けていくなかで次第に少年の姿にかっての自分を重ね合わせるようになっていき、また少年も男のなかに父親を感じるようになるといったぐあいに、ふたりのほのぼのとした触れ合いを心優しく描いていく。 
 歯切れのいい時間の省略や抑制の利いた映像は、これまでの北野映画同様だが、つぎつぎと繰り出されるギャグの多さがこれまでとは違っており、本職(?)であるお笑い芸人ビートたけしの部分に今回は多く比重がかかっているようだ。 
 それらのギャグも笑えるものばかりというわけにはいかなくて、時には笑えないものもあるのだが、それもまたご愛敬で、菊次郎の威勢のいい口調同様に「バカヤロー」と言ってすませるだけである。 
 こうして夢のような短い夏休みが終わり、菊次郎と少年が遊び疲れていつもの日常へと帰っていくのだが、そこには出かけるときとは違った清々しさが感じられるのである。 
 この旅は菊次郎にとっては遙かなる少年の日々へと帰りつく旅であり、少年にとってはちょっぴり大人になるための旅でもあったのだ。 
 そして彼らがガキ大将のような遊びの中から元気の素をもらったように、われわれ観客もこの映画から元気をもらって席を立つことになるのである。 
 変に感傷に陥らず、笑いの後からおずおずと泣かせの部分が入ってくる。 
 まるで菊次郎の照れ隠しのように、ぶっきらぼうな態度で迫ってくるといった映画である。 
   
 
監督・脚本・編集:北野武 音楽:久石譲 製作:森昌行/吉田多喜男
出演:ビートたけし/関口雄介/岸本加世子/吉行和子/細川ふみえ
麿赤兒/グレート義太夫/井手らっきょ/ザ・コンボイ
 
 
 
 
 
 
 
12/23 私の愛情の対象
(98アメリカ)
 
 
  
  
 さて何から書き始めればいいだろう。 
 こういう気に入った映画を発見した後は、あれも書こうこれも書こうと欲張ってしまい、なかなか考えがまとまらない。 
 なんとか映画のよさを伝えよう、映画のよさに負けないものを書かなければということでなかなか筆が進まなくなってしまうのだ。 
 またそれと同時にしばらくはこの心地よい余韻に浸っていたいと思う気持ちが書くことを遠ざけてしまうのかもしれないが。 
 といったようにすっかりこの映画を気に入ってしまったのである。 
  
 これは簡単に言ってしまえばゲイの男とストレートの女性の愛と友情の物語ということになるのだろうが、ことはそれほど単純ではなく、よく練られたシナリオとそれを洗練された演出で複雑な人間関係や興味深い人間模様を面白おかしく見せてくれる映画なのである。 
 そこでは新しい人間関係や家族のありようを模索しているのだ。 
 いかにも今のニューヨークの物語といった匂いが充満しているのである。 
 そんなところからふと、ウッディ・アレンの映画を連想してしまう。 
 最近のウッディ・アレン映画の常連であるアラン・アルタが出演して、有名人好きの奥さんといっしょに有名人を集めてはパーティーばかりを開いている出版社オーナーといういかにもウッディ・アレン映画に登場しそうな人物を飄々と演じているということもあるのかもしれないが、個性的なヤッピーたちがそれぞれに悩みを抱えながらもお互いがつかず離れずの良好な関係を持ち続けようとするところなどにウッディ・アレンとの共通性を感じるからなのかもしれない。 
 さらにどの人間たちも孤独で淋しく愛すべき人間ばかりというところも共通するところである。 
 そんな人間模様を魅力的かつ賑やかに描き分けていく手腕もなかなか見事なもので、ウッディ・アレンにも負けてはいない。 
 監督のニコラス・ハイトナーは長年イギリス演劇界で活躍してきた演出家である。 
 それを知れば、こうした入り組んだ人間関係を描く巧みさもお手のものだと頷ける。 
  
 ところでウッディ・アレン以外にももうひとつ連想したのがこちらもゲイの主人公を描いた名作「トーチソング・トリロジー」である。 
 こちらも主人公がゲイであるにもかかわらず人並みに子供のいる幸せな家庭を築いていこうとする物語であった。 
 自分がゲイであるために普通の家庭生活など無理だと諦めていた男たちがふとしたきっかけからそんな不可能な夢を見る。 
 そんな共通性からの連想であった。 
 この「私の愛情の対象」においても、主人公ニーナが妊娠し、しかも父親である恋人ヴィンスとはけっしてうまく暮らしてはいけないということをニーナは直感している。 
 ニーナがともに暮らしたいと願っているのは他でもない現在の同居人ジョージである。 
 それほどニーナはジョージとはうまが合い、ともにいることで安心できるという関係なのである。 
 ただしジョージはゲイであるためにニーナとのあいだにセックスはなく、それでも彼とふたりで自由な家庭をもち子供を育てたいと考えている。 
 ニーナのこんな考えも普通なら自分勝手で非常識な考えということになるのだろうが、彼女の自分に忠実であろうとする真摯な態度を見ているといつのまにかその非常識さを受け入れる気持ちになってしまうのだ。 
 ジョージもそんなニーナの申し入れに最初は戸惑い、受け入れようとはしないのだが、父親になることなど諦めていた彼が人並みに父親になれるかもしれないこのチャンスに惹かれ始め、結局はニーナの提案を受け入れる。 
 しかしそうは言ってもやはりジョージはゲイで、身体は自然と男を求めてしまう。 
 そしてジョージに新たな恋人が出来たことがきっかけで、ふたりの良好だった関係がぎくしゃくとしたものになっていく。 
 理屈では割り切ったつもりのニーナだが、なぜか彼女の感情はそれを許さない。 
 お互い相手の自由を尊重した良好な関係を築こうと考えていたはずが、どこか思惑とは違ってしまう。 
 結局ニーナは知らず知らずのうちに男としてもジョージを愛しはじめていたということなのだ。 
 そんな変則的なふたりの関係に果たして幸せな未来はあるのだろうか、といった展開に次第に目が離せなくなっていくのである。 
  
 ニーナを演じるジェニファー・アニストンとジョージを演じるポール・ラッドが魅力的だ。 
 どちらもまだあまり知られた俳優ではないが、ここでのふたりはとても生き生きと輝いており、お似合いのカップルだ。 
 カルチャー・スクールでふたりがそろってダンスを習うシーンが印象的だ。 
 最初はほとんど初心者だったジョージのダンスがニーナとの関係が深まっていくのに合わせて次第に上達していく様子が微笑ましい。 
 そしてジョージの弟の結婚式では見事に出席者たちの喝采を浴びるのである。 
 ちょうどこの映画自体が彼らの息のあった軽やかなステップのようでもある。 
 ともにリズムに身を任せて人生というダンスを踊っていこうと云っているかのようなのだ。 
 人生はいいもんだ、そんな心優しいメッセージが伝わってくるのである。 
  

 
製作:ローレンス・マーク 監督:ニコラス・ハイトナー 原作:スティーブン・マコーリー
脚本:ウェンディ・ワッサースティン 撮影:オリバー・スティプルトン
プロダクション・デザイナー:ジェーン・マスキー 編集:タリック・アンワール
音楽:ジョージ・フェントン 衣装デザイナー:ジョン・ダン
出演:ジェニファー・アニストン/ポール・ラッド/ナイジェル・ホーソン
アラン・アルタ/ジョン・パンコウ/ティム・デイリー/アリソン・ジャニー
 
 
 
 
 
 
 
12/24 ライフ・イズ・ビューテイフル
(99イタリア)
 
 
  
  
 冒頭部分のベニーニを見ていると、ただ単に調子がいいだけの男のように思えるところもあるのだが、ユダヤ人への迫害が強まって、ついには収容所に入れられるようになるあたりからは、この男の笑いや陽気さがけっして浮ついたいいかげんなものばかりではなく、本物なのだと納得させられるようになっていく。 
 絶望的な状況のなかで、幼い息子を守ろうと普段と変わらぬ陽気さと様々な嘘をつくことで収容所がけっして怖い場所ではないと思いこませるあたりの心情は人の子の親なら誰でも強い共感をおぼえるところである。 
 そして息子にそう思いこませることで彼自身もそこに微かな希望を見いだそうとしているのかもしれないのだ。 
 それはけっしてごまかしとか現実から逃げるというふうなことではなく、悲惨な現実も別の角度から見ることであるいは乗り越えることが可能かもしれないとするギリギリの希望なのである。 
 そしてそんな今にも断ち切られてしまいそうなささやかな希望が結局は息子の命を救うことになるのである。 
 これまでの強制収容所ものには見られなかった笑いという切り口からホロコーストの物語を描こうとするこうした試みは独創性に満ちたものといえるだろう。 
 そしてこの水と油のように混じり合うことのないものを見事に融合させ、このような美しい物語を作り上げたロベルト・ベニーニの才能はまさに称賛に値する。 
  
 収容所生活の悲惨さをことさら強調することなく(ここでは虐殺場面や人が死ぬ場面はいっさい出てこない)、しかしそれでいて十分にその非人間性が伝わってくる描き方は前半のロマンチックな物語とのバランスを考えれば納得させられる。 
 また息子のジョズエの風呂嫌いやサイドテーブルのなかに隠れるエピソードが後々重要な意味をもってくるといったさりげない伏線の張り方などもなかなかの芸の細かさである。 
 さらにかっての2枚目スター、ホルスト・ブッフホルツがなぞなぞ好きの医者に扮して出演しているということも私にとっては興味をそそられるところであった。 
 だが不覚にもこの老俳優がブッフホルツだということは出演者リストを見るまではまったく気づかなかったのだ。 
 しかし考えてみれば、彼が二枚目で売っていたのはもう30年以上も前のことなのだ。 
 それも致し方のないことである。 
 そして彼が収容所生活では重要なキーマンになるような兆しがあったので、あるいはと思いながら観ていたが、見事に肩すかしをくってしまったのだ。 
 それはベニーニ自身もそうだったわけで、せっかく見つけた貴重な希望ももろくも崩れ去ってしまったのである。 
 そんなブッフホルツの描き方にナチスの欺瞞と非人間性への痛烈な皮肉が感じられる。 
 なかなか心憎い演出である。 
 だがそれでも挫けずに生きていこうとするベニーニの生き方には、どんな状況にあろうとも笑いやユーモアを忘れずに前向きに生きるということで、美しい人生を生きられるという強い信念と願いがこめられているのである。 
  

 
製作:エルダ・フェッリ/ジャンルイジ・ブラスキ
監督・脚本:ロベルト・ベニーニ 脚本:ヴィンセンツォ・セラミ
撮影:トニーノ・デリ・コリ 音楽:ニコラ・ピオヴァーニ
出演:ロベルト・ベニーニ/ニコレッタ・ブラスキ/ジョルジオ・カンタリーニ
グスタノ・デュラノ/セルジオ・バストリク/マリサ・パレデス/ホルスト・ブッフホルツ
 
 
 
 
 
 
 
12/27 八月のクリスマス
(99韓国)
 
 
  
  
 人は死期が迫ったとき現実を、自分の人生をどのように見るのであろうか。 
 さらにそれが人生の半ばにも達しない若さで断ち切られるとなると。 
 そのようにわずかに残された時間を生きる主人公の日常をひとりの女性との交流を軸に淡々と描いた映画である。 
 死を意識した者にとってはありふれた日常さえもが輝かしくまたこのうえなく愛おしく見えるものなのであろう。 
 一瞬一瞬がかけがえのない時間であり、またどの人間も言いようのないほど貴重な存在に思えるのにちがいない。 
 そうした心情がこの映画からは痛いほど伝わってくる。 
 そして恋と呼ぶのをためらってしまうようなささやかな交流さえもが、どんな大恋愛よりも輝いて見えてくるのである。 
 好きになった若い婦人警官タリムが、駐車違反の車をチェックする姿を主人公が窓ガラスを通して指でなぞるシーンからそうした想いが凝縮して伝わってくる。 
 また写真店を営む彼が自らの葬式のための写真を撮るくだりでは言葉に尽くせぬ深い思いが伝わってくる。 
 この写真のなかで微笑む彼の笑顔がいつまでも忘れられない。 
 また映画の中で彼は終始その写真と同じ笑顔で微笑みかける。 
 その爽やかさが印象に残る。 
  
 この映画は日々過ぎ去るだけの平凡な日常がなんと貴重でかけがえのないものであるかということを私たちに改めて教えてくれるのだ。 
  

 
監督・脚本:ホ・ジノ 製作:チャ・スンジェ 脚本:オ・スンウク/シン・ドンファン
撮影:ユ・ソンギル 編集:ハム・ソンウォン 音楽:チョ・ソンウ 美術:キム・ジンハン
出演:ハン・ソッキュ/シム・ウナ/シン・グ/イ・ハンウィ/オ・ジヘ/チョン・ミソン
 
 
 
 
 
 
 
12/29 スパニッシュ・プリズナー
(97アメリカ)
 
 
  
  
 この映画を観ているうちに不思議な落ち着きのなさにとらわれ始める。 
 それはいつまでたっても事件の核心部分に入っていかない落ち着きのなさと云おうか、おあずけを喰らい続ける苛立ちと云おうか、何かが起こりそうな予感だけを孕みながら時間ばかりがどんどんと経過していく。 
 だからといって退屈するのかと云えば、そうではなく、おあずけを喰らいながらもいったいこの先何が起きるのだろうといった期待と不安がどんどんと高まっていく。 
 そしてこうした気をもたせる伏線部分が終わり、事件が起きて物語の全貌が見え始めると展開は一気にスピードを増して突っ走っていく。 
 それはまるでジグゾーパズルがひとつのことをきっかけに一挙に出来上がっていくような快感とでも云おうか。 
 それまで視界をさえぎっていた霧が嘘のように消えて見通しのいい空間が突然出現したような快感を味わうことになる。 
 そしてそれまでは偶然のように見えていた出来事がすべて巧妙に仕組まれた罠だったということが見えてくる。 
 最初は騙されたことすら気づかないといった巧妙なトリック、それにまんまと騙されてしまった快感、さらにはつぎつぎと謎が解きほぐされていく快感、そうしたミステリーの楽しさを思う存分に味あわせてくれる映画である。 
  
 
製作:ジーン・ドゥメイニアン 監督・脚本 デビッド・マメット
撮影 ガブリエル・ベリステイン 音楽 カーター・バーウェル
出演:キャンベル・スコット/レベッカ・ピジョン/スティーブ・マーチン
ベン・ギャザラ/フェリシティ・ハフマン/リッキー・ジェイ
 
 
 
 
 
 
 
12/30 エリザベス
(98イギリス)
 
 
  
  
 この映画は日本映画でいえばさしずめ「豪華絢爛たる戦国絵巻」といった形容になるのであろう。 
 まさに宮廷絵画で描かれたような煌びやかかつ退廃の匂いのする世界が映像化されている。 
 そして数奇な運命の末に女王の座に据えられたエリザベス一世が権某術数渦巻くなかをいかに生き延び、国を掌握していったかという物語がミステリアスに描かれている。 
 こうした歴史物にありがちな様々な利害が絡んだ人物が複雑に入り乱れ、またそこにイギリスを取り巻く国々や新教、旧教の対立といった要素も絡まって複雑怪奇な世界が展開されていく。 
 このあたりの歴史に疎い当方にすれば、その物語の背景がいささか複雑に過ぎ、こうした描写に費やされる前半はいささか退屈に思えてしまった。 
 だが私生児として生まれ、いつこの世から葬り去られるかもしれないという不安定な育ち方をしてきたエリザベスが先の女王メアリーの急死によって急転直下女王の座につくと俄然物語が動き始める。 
 短命な政権と侮られていたエリザベスが恋人の裏切りや暗殺の危機を乗り越えていくにしたがって次第に闘う女に生まれ変わり、国家宗教の統一や反対派の粛正といった大英断を下すことで長期政権の礎を築いていくようになる。 
 そして女性としての幸せを放棄して絶対君主としての道を歩み始めるまでが力強く描かれる。 
 この間のエリザベスを演じるケイト・ブランシェットの変貌ぶりが見ごたえがある。 
 恋を夢見るありふれた娘が映画のラストには堂々たる女王に生まれ変わる。 
 髪を切り、顔を白塗りのメーキャップにし、白で統一した豪華な衣装を身に纏い、「私はバージン、イギリスと結婚したのです」と高らかに宣言する姿には神々しささえ漂わせている。 
 まさに後に「バージン・クイーン」として数々の伝説に彩られることになる絶対君主の誕生を告げるシーンである。 
 監督はインド出身のシェカール・カプール、かってはイギリスの植民地であったインドから大英帝国の女王の物語を作る監督が生まれるとはなんとも皮肉な話である。 
  

 
製作:アリソン・オーウェン/エリック・フェルナー/ティム・ビーヴァン
監督:シェカール・カプール 脚本:マイケル・ハースト
撮影:レミ・エイドファラシン プロダクション・デザイン:ジョン・マイヤー
編集:ジル・ビルコック 衣装:アレクサンドラ・バーン
音楽:デヴィッド・ハーシュフェルダー メイクアップ:ジェニー・シャーコア
出演:ケイト・ブランシェット/ジェフリー・ラッシュ/ジョセフ・ファインズ
クリストファー・エクルストン/リチャード・アッテンボロー/ファニー・アルダン
キャシー・バーク/エリック・カントナ/ヴァンサン・カッセル
 
 
 
 
 
 
12/30 ゴールデン・ボーイ
(97アメリカ)
 
 
  
 
 「ユージュアル・サスペクツ」のブライアン・シンガーがスティーブン・キングの原作を映画化するということで大いに興味が掻き立てられる。 
 そしてそれがホロコーストに関わった元ナチの将校とその危険な匂いに魅せられた少年の歪んだ関係を描いた「ゴールデン・ボーイ」とあってはなおさらである。 
 どういう映画を見せてくれるのか、原作がおもしろかっただけに正直言って期待半分、不安半分の気持ちであったが、それなりに面白い作品に仕上がっており、けっこう楽しめた。 
 ただし原作がもつ狂気の世界よりもむしろサスペンスの部分が強調された物語になっているところはやはりブライアン・シンガーらしいところではあるが。 
 しかしそうした明確な方向付けをしたのはむしろ正解だったように思われる。 
 あれもこれもと詰め込みすぎて焦点がぼやけるよりもやはりこうした方法をとるほうが映画としての面白さが生まれてくるようだ。 
 予測のつかない展開と二転三転する結末はやはり「ユージュアル・サスペクツ」で見事な騙しのテクニックをみせたブライアン・シンガーらしい。 
 原作とはいささか違った結末も違和感はない。 
  
 元ナチ将校の老人を演じるイアン・マッケランが素晴らしい。 
 強制収容所での過去を覆い隠し、今は善良な市民として生きる老人の孤独の陰に戦争犯罪人としての得体の知れなさが見え隠れする。 
 最初は弱々しいだけの老人が物語の展開にともなって様々な顔を見せていく。 
 弱々しさや知性といった表向きの顔に次第に軍人としての威厳や狡猾さ、さらには冷酷非情な残虐性といったひとくくりにはできない複雑な面が現れてくる様子を見事に演じて、際だった存在感を見せている。 
 彼は英国演劇界では知られた名優だということだが、なるほどそうだろうと頷ける。 
 そしてそんな名優を向こうにまわし、それに負けない複雑なキャラクターをブラッド・レンフロが演じているが、その若さの勢いも見逃せない。 
 優等生という顔の下に隠された危険きわまりない好奇心、少年らしいナイーブさと同時に人を人とも思わぬ残酷さ、さらには自らの好奇心を満たすために立てられた綿密な計画とそれを実行に移す大胆さ、こうした思春期の少年のもつ矛盾した心理をこちらもなかなか見事に演じているのである。 
 こうしたふたりが軸になって複雑怪奇なキング的世界が展開されていき、最後は深い余韻とともに映画は終わる。 
 なかなか見ごたえのある一級のエンターテインメントといえよう。 
  
 
製作総指揮:ティム・ハーバート 製作:ジェーン・ハンシャー/ドン・マーフィー
監督・製作:ブライアン・シンガー 原作:スティーブン・キング
脚本:ブランドン・ボイス 撮影:ニュートン・トーマス・シーゲル
美術:リチャード・フーヴァー 編集・音楽:ジョン・オットマン
出演:ブラッド・レンフロ/イアン・マッケラン/ブルース・デイヴィソン
デヴィッド・シュワイマー/エリアス・コーティアス
 
 
 
 
 
 
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