1999年12月 NO.1
 
 
 
 
12/1 炎上
(58大映)
 
 
  
  
 衛星放送で市川崑監督の「炎上」を観たが、傑作というものは何度見返しても色褪せることはないということを改めて認識させられた。 
 宮川一夫のカメラ映像の奥深い美しさ、それを支える西岡善信の重厚な美術、さらになによりも処をえた俳優たちの演技の素晴らしさに改めて目を惹かれた。 
 主役の市川雷蔵のよさは言わずもがなであるが、脇を固める俳優たちの存在が実にいい。 
 まずは中村鴈次郎が演じる驟閣寺(金閣寺)の住職の聖と俗の2面を複雑に垣間見せる演技が見事である。 
 寺に来た物乞いを最初は胡散臭そうに見やるのだが、そこに市川雷蔵の視線があることに気づくや急に表情を変えて金を恵んでやるといったふうな俗物ぶりが随所に見られると同時に、驟閣寺放火を「神の裁き」と呟いたり、自分の責任だったとして許しを乞うための全国行脚に出かけたりといったぐあいでつかみどころのない複雑さを見せるのだ。 
 そしてそんな住職を補佐する信欣三演じる僧侶の俗物ぶりもそれに負けておらず、閉じられた空間としての寺の陰湿さを強調する役柄として印象に残る。 
 さらに仲代達也が足に障害をもった学生をこれも絶妙に演じており、吃音という障害をもつ市川雷蔵にメフィストフェレスのごとくさまざまな悪意を吹き込んでいく。 
 障害というコンプレックスゆえに世間を素直に受け入れることができず、世間すべてに敵対するという心のねじ曲がりを若き日の仲代が生き生きと演じている。 
 そしてその挑戦的な言動や行動が寡黙な雷蔵のある意味での代弁者のようにもなっている。 
 不安定な足で立ち、精いっぱい虚勢をはる彼の姿は儚げで哀しい。 
 さらに主人公の複雑な生い立ちの要である両親を演じる浜村純と北林谷栄のふたりも印象が強い。 
 驟閣寺の住職と学生時代の同期でありながら貧しい田舎寺の住職に甘んじ、胸の病に短い生涯を閉じてしまうという恵まれない男を浜村純が暗い表情で演じている。 
 そしてそんな父親を雷蔵は心底から尊敬しており、驟閣寺の美しさを称賛してやまない父親の心情を受け継ぐことになるのである。 
 雷蔵が異常に驟閣寺に憧れ、慈しむことの底にはこうしたなき父親に対する強い思慕があるからなのかも知れないと思わせる重要な役柄である。 
 回想でふたりが裏日本の暗い海に面した崖に立って話をするシーンが出てくるが、その重苦しい画面の迫力に思わず息を呑んでしまう。 
 何もいいことのないふたりの不幸な人生を象徴しているような場面である。 
 さらにそんな父親とは似ても似つかない愚かな母親を北林谷栄がこれまた見事に演じている。 
 もともとは寺の女中として働いていた無学な女で、夫婦になった経緯は描かれないが、けっして幸せな結婚生活ではなかったことを匂わせている。 
 それを象徴するような場面として、病気療養中の父親の目を盗んで母親が昼間から間男する場面が出てくる。 
 そしてそれを学校帰りの雷蔵が偶然目にしてしまうのだが、どこからか現れた父親がその雷蔵の目を優しく塞ぐと連れ去ってしまうのである。 
 そんな母親を雷蔵は軽蔑しきっており、生きるためと称して驟閣寺の下働きとして住み込むことになってもけっして母親と打ちとけようとはしない。 
 そんな態度の雷蔵をなにくれとなく世話しようとする北林の姿には母親の哀れさと優しさが、そして少しばかりの打算がにじみ出て哀れである。 
 こうした母親への反撥と父親への愛情という引き裂かれた感情が雷蔵の孤独にさらに暗い影を落としている。 
  
 このようにして演じられる俳優たちの味のある演技とレベルの高い映画技術が絶妙のアンサンブルをみせるこの作品をきっかけに、市川崑監督はこの後、「鍵」「野火」「ぼんち」「おとうと」「破戒」といった数々の文芸映画の名作や「雪之丞変化」といった名作を連発することになるのだ。 
 そしてこういった代表作がすべて市川崑の大映撮影所時代につくられている。 
 市川崑のもっとも油の乗りきった時期がちょうどこの時代と期を同じくしたということもあるのだろうが、大映スタッフの一流の技術がいかに市川作品の個性を支えるための大きなポイントであったかということの証明でもあろうと思われるのだ。 
 そうしたことからも、この「炎上」という作品は市川作品のなかでも大きなターニング・ポイントとなった作品であり、重要な位置づけにある作品ということがいえるだろう。 
  
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監督:市川崑 原作:三島由紀夫「金閣寺」 脚本:和田夏十/長谷部慶治
製作 永田雅一 撮影 宮川一夫 照明 岡本健一 美術:西岡善信 音楽 黛敏郎
出演・市川雷蔵/中村鴈次郎/仲代達也/北林谷栄/浜村純
信欣三/新珠三千代/中村玉緒/浦路洋子/香川良介
 
 
 
 
 
 
 
12/2 エバー・アフター
(98アメリカ)
 
 
 
  
 ドリュー・バリモアが健気に、しかし逞しく生きるシンデレラに扮し、これまでの被害者としてのシンデレラとはひと味違ったシンデレラ像を見せてくれる。 
 冒頭、グリム兄弟が城に招かれ、城の主である女王から彼らが収集した民話「シンデレラ物語」が実は事実に基づいた物語であるといった意外な話しを聞かされることになる。 
 こうして新しい視点から見たシンデレラ(灰かぶり姫)物語が語られていくことになる。 
 幼いころから父親に剣や読書を教わって、まるで男の子のように自由で活発な育てられ方をしたシンデレラ(実の名はダニエル)は父親なき後、継母から突然手のひらを返したような扱いを受けるのだが、そんな育ちゆえにけっしてめげげることはない。 
 そうした仕打ちを甘んじて受け入れて、召使い同然のような仕事に日々励む。 
 だがそんな彼女ではあるが、これ以上は絶対に譲れないというところに立たされると俄然自己を主張し、一歩も引かないという強さを発揮する。 
 そして姑息な手段ばかりを弄する継母親子の卑劣さに敢然と立ち向かっていく。 
 そんな両者の対比からダニエルの優しさや聡明さがいっそう際だって見えてくるのである。 
 さらにその聡明さや優しさが偶然知り合ったフランス国の王子ヘンリーを虜にすることになるのだが、ここでもまたもや継母の嫉妬深く執拗な妨害によって、王子の気持ちが二転三転するといった波乱が巻起こる。 
 だがこのようにやきもきさせながらも結局はお伽噺のセオリーどおりの「めでたし、めでたし」といった結末に向かって話は展開されていくことになる。 
 幸せがやって来るのをひたすら待ち続けるといった受け身のシンデレラの姿ではなく、積極的に自分の人生を切り開いていくという現代的なシンデレラの姿に爽やかで好ましい共感を感じることになる。 
 そんなシンデレラに健康的でちょっと太めのドリュー・バリモアがよく似合っている。 
  
 
製作:ミレイユ・ソリア/トレーシー・トレンチ 監督:アンディ・テナント
脚本:スザンナ・グラント/アンディ・テナント/リック・パークス
撮影:アンドリュー・ダン 衣裳:ジェニー・ビーバン 音楽:ジョージ・フェントン
出演:ドリュー・バリモア/アンジェリカ・ヒューストン/ダグレイ・スコット
パトリック・ゴッドフリー/メラニー・リンスキー/ジャンヌ・モロー
ミーガン・ドッズ/ティモシー・ウェスト/ジュディ・パーフィット
 
 
 
 
 
 
 
12/2 浮草
(59大映)
 
 
  
  
 昨日に引き続き衛星放送で日本映画の名作を観る。 
 昭和34年に小津安二郎監督が大映で撮った「浮草」である。 
 昨日観た「炎上」の前年につくられた作品である。 
 戦前に撮ったいわゆる喜八ものの1本、「浮草物語」のリメークで、「大根役者」の題名で松竹で撮るつもりだったものが、以前から大映で1本撮るようにと要請されていた声に応えて実現したものである。 
 小津監督はこの機会を捉えていわゆる「小津調」と云われる手法から少し離れた試みをしようとした形跡が伺われる。 
 言葉を変えて云えば、名カメラマン宮川一夫のよさを自分の作品に取り入れることで新しい血を注入しようとしたのではないかと思われるのだ。 
 例えば、中村鴈次郎と京マチ子が道を挟んだ軒先で怒鳴りあうシーンに降る雨などはその端的な例であろう。 
 天気晴朗で雨など降ることがなかったそれまでの小津作品とは明らかに異なった映像である。 
 ましてその降り方の激しさなどはもう完全に静かな「小津調」からはみだしたものといわざるをえない。 
 また冒頭に見られるチンドン屋が町を練り歩く場面での大俯瞰シーンなどもそうしたもののひとつであろう。 
 さらに短いカットやクローズアップの多用といったことも同様の試みといえる。 
 そうした新しい試みが見られることで従来の「小津調」とはいささか調子を異にしているが、やはり基本的には間違いなく「小津調」であるわけで、そういった意味では破調の魅力を備えた作品ということがいえるだろう。 
 自らのスタイルを頑固に変えなかった小津監督が新しい試みに挑んでみたということは宮川一夫カメラマンの作り出す映像にいかに小津監督が魅力を感じていたかということの証であろう。 
 もしこのコンビがこの後も何本か続いていたとしたら、果たしてどんな作品を生み出したことか、ファンならずともぜひ見たかったところである。 
  
 この作品では小津映画の常連である笠智衆、三井弘次、浦辺粂子、高橋とよといった松竹の俳優たちや杉村春子も出演しているが、やはりメインは中村鴈次郎、京マチ子、若尾文子、川口浩といった大映の俳優たちで、なかでも主役の中村鴈次郎がいい芝居を見せている。 
 旅回りの一座の座長の艶っぽさや年輪はやはり中村鴈次郎でなければ出せない味である。 
 さらに連れ合いである一座の看板女優の京マチ子の気の強さや色っぽさもなかなかいい。 
 そしてそんな腐れ縁のふたりがどちらからともなく和解し合って旅立つラストは思わず声をかけたくなるような名芝居なのである。 
  
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監督・脚本:小津安二郎 脚本:野田高悟 撮影:宮川一夫
製作:永田雅一 音楽:斎藤高順 美術:下河原友雄
出演:中村雁治郎/京マチ子/若尾文子/川口浩/杉村春子
野添ひとみ/笠智衆/三井弘次/田中春男/浦辺粂子/高橋とよ
 
 
 
 
 
 
 
12/4 39 刑法第三十九条
(99日本)
 
 
  
 
 森田芳光監督を野球選手に喩えて云うならば、変化球投手ということになるだろうか。 
 何種類もの変化球を持ち球に、クセのあるボールを投げる投手、そんな喩えが似合う映画監督である。 
 そしてその変化球にますます研きがかかっているということが、この映画を観ているとよくわかる 。 
  
 刑法第三十九条、「心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス。心神耗弱者ノ行為ハ其刑ヲ 軽減ス。」をテーマに作られたこのミステリーは始まりから森田監督のキレのいい変化球がつぎつぎに飛んでくる。 
 凝ったカメラアングルや意表をつくようなカットつなぎ、そうしたクセのある映像が積み重ねられていくにしたがって、次第に重苦しい雰囲気が漂っていく。 
 さらに俳優たちのあざといくらいにひねった演技(岸部一徳のニヤニヤ笑いと杉浦直樹の自信のなさがとくに印象に残る)や、ボソボソと低い声でいかにも現実の人間がしゃべっているかのように思わせるセリフまわしがその気分をさらに掻き立てる。 
 こうして監督の計算どおりに動機なき殺人という異常な世界へと導かれていくことになる。 
 このへんの呼吸はまことに見事なものである。 
 あまりにもツボにはまりすぎているために、思わず笑ってしまいそうになるほどである。 
 謎を含み、一見無意味とも思えるような伏線が続いてもけっして飽きさせず、次第に核心部分へと迫っていく。 
 そして最後には意外な結末を用意するといった周到さでサスペンスを盛り上げていくのである。 
  
 最近数多く作られている同種のサイコ・ミステリーのなかでも一頭抜きんでた作品といえるだろう。 
 「ハル」「失楽園」から今回の作品へと続く森田監督を見ていると、映画監督としていまもっとも充実した時期を迎えているように思われる。 
 今度はどんな変化球を投げてくるのか、楽しみである。 
  

 
企画・製作:鈴木光 監督:森田芳光 原作:永井泰宇 脚本:大恋寿美男
撮影:高瀬比呂志 音楽:佐橋俊彦 美術:小澤秀高 編集:田中愼二
出演:鈴木京香/堤真一/岸部一徳/杉浦直樹/江守徹/希木樹林
山本未来/吉田日出子/勝村政信/笹野高史/國村隼
 
 
 
 
 
 
 
12/4 セントラル・ステーション
(98ブラジル)
 
 
  
  
 かっては日本から大勢の移民が訪れたブラジル、しかしそうした歴史があるにもかかわらず、われわれはブラジルについての詳しい知識をほとんどもたない。そんな遠い国、ブラジルの映画である。 
  
 リオ・デ・ジャネイロのセントラル・ステーション、ここで主人公のドーラは代筆業を営んでいる。 
 駅構内には彼女と同じような代筆業者がたくさん机を並べており、どの業者の前にも人の列があるところを見ると、かなりの需要があるようだ。 
 ブラジル社会の文盲率の高さがこの情景にあらわれている。 
 さまざまな人間が代筆を頼みにやってくる。 
 ある者は恋人への手紙を、ある者は遠い故郷に残してきた家族への手紙を、またあるものは争いごとのための手紙をといったぐあいにそれぞれが思いの丈を手紙に託して語っていく。 
 そうした手紙の内容をつぎつぎと聞かされているうちに次第にブラジル社会の厳しい現実の一端が見えてくる。 
 さらにセントラル・ステーション構内の日常風景でも同様の厳しい一面が描かれていく。 
 なかでももっともショッキングだったのは、駅構内の売店で万引きを働いた青年が許しを請うにもかかわらず、いとも簡単に射殺されてしまう場面である。 
 それを行き交う人々がごくありふれた事件として見ているのだ。 
 こうした社会を生き抜くためにはかなりタフな精神が要求されるであろうことは想像に難くない。 
 主人公ドーラもそんな厳しさのなかでいつしか身につけた知恵であろうが、せっかく書いた客の大事な手紙を家に持ち帰ると投函もせずに、破り捨ててしまうのだ。 
 こうして郵送代金をしっかりとふところに入れてしまうのである。 
 そんな行為になんの後ろめたさも感じないほどドーラの感受性は閉ざされてしまっているということがここで判る。 
 だが彼女が交通事故で死んだ女性の幼い息子ジョズエの面倒を行きがかりで見ることになり、その父親を訪ねる旅に同行するうちに次第に柔らかな心を取り戻していくことになる。 
 少年の無垢な魂に触れることで心が癒されるといった最近よくあるパターンがここでもまた繰り返されるのかと思ってしまうところだが、ここでの少年はそれほど無垢でも可愛いわけでもないのである。 
 大人顔負けの処世術を身につけた、たとえ人の助けがなくてもどうにか生きていくに違いないと思わせる少年なのである。 
 けっして他人には気を許さず、突然訪れた不幸にもメソメソなどしない強さをもっている。 
 別にドーラに助けられなくても自分ひとりの才覚でなんとか生きぬいてみせるとその眼が語っている。 
 これが今のブラジルを生きるリアリティーある少年の姿にちがいないと思わせる。 
 そのことがこの物語をよりいっそうリアリティーある確かなものにしているのである。 
 だがそうは言ってもやはりそこは子供である。 
 ドーラとうち解けるようになるにつれ、子供らしい無邪気なところも見せるようになり、それによってやっかいに思っていたドーラの気持ちも次第にほぐされていくことになる。 
 そしていつか少年を憎からず思いはじめ、旅の最後にはとても別れるには忍びないと思うまでになってしまうのだ。 
 そうした心の変化がさまざまな旅のエピソードを重ねていくなかから見えてくる。 
 こうした変化につれてドーラのなかに隠されてあった父親との関係から派生したトラウマが徐々に癒されていくことにもなるのである。 
  
 この映画を観ながらふと思い出したのが小津安二郎監督の「長屋紳士録」であった。 
 こちらもやはり戦後の混乱期に初老の女性が捨て子の面倒をみるという映画であった。 
 そこでもやっかい者だった少年がいつか離れがたい存在になっていく。 
 また終戦からわずか2年というこの映画の時代背景に今のブラジル社会との共通性も感じるのだ。 
 そんなことからの連想であった。 
 そしてどちらの映画からも清々しさと切なさをともに味わうことになったのである。 
  
 
監督:ヴァルテル・サレス 撮影:ヴァルテル・カルバーリョ
脚本: ジョアン・エマヌエル・カルネイロ/マルコス・ベルンステイン
音楽:アントニオ・ピント、ジャック・モルランボーム
出演:フェルナンダ・モンテネグロ/マリリア・ペーラ/ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ
 
 
 
 
 
 
 
12/5 パッチ・アダムス
(98アメリカ)
 
 
 
  
 泣ける映画である。心暖まる映画である。そして映画を見終わった後に人に優しくなれる映画である。 
 こういったアメリカ流の楽天主義、ヒューマニズムは大好きである。 
 そしてロビン・ウィリアムズがこういう役柄を演じるとまさに絶品である。 
 彼の持ち味であるヒューマンさとコメディ・センスが遺憾なく発揮されており、「グッドウィル・ハンティング」よりもむしろこちらのほうでアカデミー賞をあげたいくらいである。 
 ただしこうした直球勝負の映画の場合、思わず身をひいてしまうという人間が少なからずいるというのもまた事実であろう。 
 だがアナクロニズムと受け取られてしまいかねないこうした物語をあえてストレート勝負で真っ向から描こうとする姿勢にはむしろ潔よい率直さが感じられて、拍手を贈りたい気分になってくる。 
 こういう映画はあれこれと細かいことをあげつらうのではなく、素直に感動に身を任せるべきものであろうと思う。 
 とにかくなかなか泣かせどころを心得た上質のエンターテインメントであることは間違いない。 
  
 脚本を書いたのは「ナッシング・トゥ・ルース」で監督、脚本そして変な警備員役で爆笑モノのダンスを披露してくれたあのスティーブ・オーデカークということで納得。 
 さらに監督は「エース・ベンチュラ」や「ライアー・ライアー」で知られるトム・シャドヤックである。 
  
 しかしこの映画を観ながら思うのは、アメリカという国は一度失敗してもその気になりさえすれば、立ち直るチャンスはまだまだいくらでもあるということだ。 
 そういった人間を受け入れる懐の深さをアメリカ社会が備えているということをまた改めて実感したのである。 
  
 
製作総指揮:マーシャ・ガーセス・ウィリアムス 監督:トム・シャドヤック
脚本:スティーブ・オーデカーク 撮影:フェドン・パパマイケル 音楽:マーク・シャイン
出演:ロビン・ウィリアムス/ダニエル・ロンドン/モニカ・ポッター
フィリップ・セイモア・ホフマン/ボブ・ガントン/ピーター・コヨーテ
 
 
 
 
 
 
 
12/5 グッドナイト・ムーン
(98アメリカ)
 
 
  
  
 「パッチ・アダムス」に続いて、またしても泣ける映画である。 
 ただしこちらのほうは「パッチ・アダムス」ほど単純明快ではなく、いささか屈折したところがあるけれど。 
  
 原題の「ステップ・マム(継母)」が示すように、ふたりの子供のいる離婚男と恋愛し、同居を始めた女性カメラマンが慣れない子育てに悩みながらも次第に家族として受け入れられるようになるまでの物語である。 
 その家族に離婚した実の母親が関わってくることで、よけいに話が複雑に展開することになる。 
 離婚した母親が毎日のように出入りし、子供の育て方についてあれこれと口をはさむなどということは、離婚後も親としての権利を行使するアメリカならではの風景なのであろうか。 
 まだまだ日本などでは考えられない関係である。 
 だから、こうした変則的な関係に最初は多少違和感をおぼえて、苛立ってしまう。 
 新旧の母親が意見の違いから対立し、さらに女同士の妙な対抗意識なども絡まって、しばしば神経を逆なでされて居心地が悪い。 
 だが、そこを少々我慢して観ていくにしたがって、次第に映画のおもしろさに引き込まれていくことになる。 
 それぞれの言い分がともに一理があり、双方に共感しながらもまた反撥を感じるといったぐあいで、どちらか一方に肩入れするということはなく、次第にことの成り行きに目を凝らすようになっていく。 
 そして母親べったりで頑なな態度を崩さなかった娘がふとしたきっかけから「ステップ・マム」のいい面にも気づくことで多少改善の兆しが見え始める。 
 さらに母親に癌が見つかり、余命幾ばくもないことが判ると、それをきっかけに事態は急展開していくことになる。 
 ただし、それで全面和解というわけではなく、依然ギクシャクした部分も残しながらお互いの好さを認め合うというふうになっていくのだが。 
 そのへんの呼吸がなかなか心憎い。 
 私に弱みが生まれたけれど、まだまだ言いたいことは言わせてもらうわ、といった態度を崩さない。 
 そして「ステップ・マム」のほうもそうした気持ちを尊重しながら、私も同情で歩み寄っているんじゃないといった毅然とした態度で対応する。 
 お涙ちょうだい式に性急に和解するのではなく、こうしたプロセスを踏んでいくところはなかなかよく出来たシナリオである。 
 このあたりのきめ細かさがこの映画を爽やかな印象にさせる最大の要因であろうと思う。 
 新旧の母親を演じるジュリア・ロバーツとスーザン・サランドンの持ち味もうまく生かされている。 
 監督は『ホーム・アローン』『ミセスダウト』といったコメディが得意のクリス・コロンバス。 
 今回はコメディ色を押さえてシリアスな演出に終始しているが、作品全体からくる明るい印象はやはりコメディ映画の監督らしい持ち味なのだろう。 
 家族の形態が多様化する現代アメリカ社会、そのなかで最良の形をみつけようと試行錯誤をする今のアメリカの姿の一端がこの映画を通して見ることができるのである。 
  

 
製作総指揮:ジュリア・ロバーツ/スーザン・サランドン/プリニイ・ポーター
パトリック・マコーミック/ロン・バス/マーガレット・フレンチ・アイザック
監督:クリス・コロンバス 撮影:ドナルド・M・マカルパイン
脚本:ジジ・リバンジー/ジェシー・ネルソン/スティーブン・ロジャース
カレン・リー・ホプキンス/ロン・バス 音楽:ジョン・ウィリアムス
出演:ジュリア・ロバーツ/スーザン・サランドン/エド・ハリス
ジェナ・マローン/リーアム・エイケン/リン・ホイットフィールド
 
 
 
 
 
 
 
12/5 ラウンダーズ
(98アメリカ)
 
 
 
 
製作総指揮:ケリー・オーレント 製作:テッド・デミ/ジョエル・スティラーマン
監督:ジョン・ダール 脚本:デビッド・レビーン/ブライアン・コペルマン
撮影:ジャン・イブ・エスコフィエ 音楽:クリストファー・ヤング
出演:マット・デイモン/ジョン・マルコビッチ/エドワード・ノートン
ファムケ・ヤンセン/ジョン・ターツロー/マーチン・ランドー/グレチェン・モル
 
 
 
 
 
 
 
12/6 フィフティ・フォー <54>
 
 
 
 
製作:アイラ・ドゥッチマン/リチャード・N・グラッドスタイン/ドリー・ホール
監督・脚本:マ−ク・クリストファー 撮影:アレキサンダー・グルズィンスキ
音楽監修:スーザン・ジェイコブズ/コーティ・マンディ
出演:ライアン・フィリップ/ネーヴ・キャンベル/マイク・マイヤーズ
サルマ・ハエック/ブレッキン・メイヤー/セラ・ウォード/シェリー・ストリングフィールド
 
 
 
 
 
 
 
12/6 トゥエンティフォー・セブン <24/7>
(97イギリス)
 
 
 
 
製作:イモジェン・ウエスト 監督:シェーン・メドウス
脚本:シェーン・メドウス/ポール・フレイザー 撮影:アシュレイ・ロウ
音楽:ニール・マッコール/ブー・ヒューアダイン 美術:ジョン=ポール・ケリー
出演:ボブ・ホスキンス/ダニー・ナスバウム/マット・ハンド
ジェームス・フートン/ジャスティン・ブレディ/カール・コリンズ
 
 
 
 
 
 
 
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