1999年8月
 
 
 
 
8/1 ハムナプトラ
(99アメリカ)
 
 
  

 
 ミイラが蘇るという古代エジプト伝説を現代のSFX技術を駆使して描いてみるどんな映画になるだろうといった発想からこの映画は生まれたようだ。 
 そう思わせるほど全編がSFX撮影の連続で、どんな視覚効果が登場するのかが映画の見どころになっている。 
 そして結論はといえば、まあ可もなく不可もなくといったところである。 
 これまでにもさまざまなSFX映像を体験してきた目にはこれといった驚きはなく、古代に舞台を設定して多少目先を変えた程度の新奇さでしかない。 
 だが考えてみればそれさえも過去に「インディー・ジョーンズ」シリーズでたっぷりと味わっているわけで、いまさらという気もしてくる。 
 ヒーロー、ヒロインのキャラクターもさほど魅力のあるものではなく、冒険活劇ではよく見かけるパーターンを踏襲しているだけである。狂言回しも役不足。 
 結局この映画は予告編を見るだけで十分というのが結論であった。 
  

 
製作総指揮 ケビン・ジャール 製作 ジェームズ・ジャック/ショーン・ダニエル
監督・脚本 スティーブン・ソマーズ 撮影 エイドリアン・ビドル 音楽 ジェリー・ゴールドスミス
特殊効果&アニメーション ILM 共同製作 パトリシア・カー 編集 ボブ・ダクセイ
出演 ブレンダン・フレイザー/レイチェル・ワイズ/ジョン・ハナ
アーノルド・ボスルー/ジョナサン・ハイド/ケビン・J・オコナー
 
 
 
 
 
 
 
8/2 アイズ・ワイド・シャット
(99アメリカ)
 
 
  
 
 スタンリー・キューブリックの遺作はニューヨークの若きエスタブリッシュメント、ビル・ハーフォード(トム・クルーズ)の性的迷妄を華麗なカメラワークで描いた作品である。 
 医者であるビル・ハーフォードには美しい妻(ニコール・キッドマン)と幼い娘がいて、幸せで満たされた生活を送っている。 
 だが結婚9年目をむかえた夫婦にはささやかな倦怠が漂い始めていた。 
 ある夜、マリファナに酔った妻から旅先で出会った見知らぬ海軍士官との間に感じた性的妄想を告白される。 
 実際に行動に移されはしなかったものの彼にとってその告白はショッキングなものであった。 
 妻の貞節を疑ったこともなかった彼の日常がそれを契機に微妙に狂い始める。 
 それが引き金になったかのような性的遍歴が始まるのだが、そのことごとくが未遂に終わるものばかりで事実上は妻の妄想と変わりがない。 
 そしてある経緯から秘密組織主催の乱交パーティーに侵入することになるのだが、結局ここでも部外者として発見され、あやうく難を逃れることになる。 
 その後、秘密組織からと思われる不審な影につきまとわれて、身の危険を感じるようになり、夢とも現実ともつかぬ憂鬱な彷徨が続くことになる。 
 こうした話がキューブリックらしい華麗なカメラワークと音楽で綴られていく。 
 謎めいた語り口はまぎれもなくキューブリックのものには違いないのだが、ただアンニュイで危険な匂いを放つ空気が流れるだけでこれまでの彼の映画から感じたような衝撃や示唆はそこにはない。 
 なにひとつ確かなものが見えないままに時間だけが流れていく。 
 そして曖昧なものを残したままで主人公ふたりはもといた日常へと戻っていくことになる。 
  
 「キューブリックがこの世に残した最後の罠」はかって私の心を捕らえて離さなかったものとは明らかに違ったものであった。 
  

 
製作総指揮 ジャン・ハーラン 製作・監督・脚本 スタンリー・キューブリック
原作 アーサー・シュニッツラー 脚本 フレデリック・ラファエル 撮影 ラリー・スミス
美術 レス・トムキンズ/ロイ・ウォーカー 編集 ナイジェル・ゴルト
出演 トム・クルーズ/ニコール・キッドマン/シドニー・ポラック
マリー・リチャードソン/トッド・フィールド
 
 
 
 
 
 
 
8/17 ワイルド・シングス
(98アメリカ)
 
 
  
 
 フロリダ州エバーグレーズのブルー・ベイ。陽光あふれるこの地を舞台に高校教師(マット・ディロン)が教え子の女子高生(デニス・リチャーズ)からレイプの疑いで訴えられるところから物語は始まっていく。 
 訴えた女子高生は地元の有力者の娘。金と力にものをいわせた裁判に教師の勝ち目はまったくない。さらに追い打ちをかけるように別の女子高生(ネーブ・キャンベル)も同様の疑いで証言台に立つことになる。 
 果たして裁判の行方は?といったところが前半部分の見せ場になるのだが、二転三転する裁判も実は物語のプロローグにすぎなくて、この後さらに物語は二転三転をくりかえしていくことになる。 
 いってみればこれは緊迫した裁判劇が「スクリーム」の謎とドンデン返しにバトンタッチされ、最後は「太陽がいっぱい」を思わせるヨット上の殺人と完全犯罪で終止符をうつといった仕組みの映画といえようか。 
 めまぐるしく変わるドンデン返しに素直に身を任せるのがこの映画を楽しむコツである。 
  

  
製作 ロドニー・リバー/スティーブン・A・ジョーンズ
監督 ジョン・マクノートン 脚本 スティーブン・ピーターズ
撮影 ジェフリー・L・キンボール 音楽 ジョージ・S・クリントン
出演 マット・ディロン/ケビン・ベーコン/ネープ・キャンベル
テレサ・ラッセル/デニス・リチャーズ/ロバート・ワグナー/ビル・マーレー 
 
 
 
 
 
 
 
8/20 パーフェクト・カップル
(98アメリカ)
 
 
  
 
 この映画を観ていると大統領選挙というお祭り騒ぎがいかにアメリカ人にとっての身近な関心事なのかということがよく分かる。 そしてゲームを楽しむような感覚で政治に関心をもつということがけっして否定されるべき事ではないということも見えてくる。 
 日本における政治への無関心さを思うとき、いかに下世話な関心であったとしてもこのように熱心な関心をもつことがあるいは政治を身近に感じるためのひとつの方法なのかもしれないという気になってくる。 
 またそうした関心がここ数年の間に大統領もの映画が盛んに作られている理由のひとつのようにも思われる。 
 事実、大統領もの映画には秀作が多く、かつまたそこそこのヒットが望めるジャンルとして確立された観もある。 
 記憶にあるところをあげてみると「デーブ」「アメリカン・プレジデント」「エア・フォース・ワン」「ウワサの真相/ワグ・ザ・ドッグ」等々、また「インディペンデンス・デイ」もそうしたものの変形であろう。 
 そしてこれらの映画のなかで大統領は時にはヒーローであり、また時には否定されるべき人物といったぐあいに両極端を行き来する。 
 そして今回は実在のクリントン大統領をモデルにしてそうした両極端を併せ持ったふくらみのある人物として描いている。 
 本音と建て前を見事に使い分け、得意の弁舌で人を感動させる能力に長けており、政治家としての器をもちながら下半身は別人格といったまさにスキャンダラスなクリントンそのままのような人物をジョン・トラボルタが軽妙に演じている。 
 そしてエマ・トンプソンがこちらもヒラリーそっくりな夫人を演じており、内と外の顔を見事に使い分ける聡明さを好演している。 
 そしてそれを支えるスタッフたちの個性的な顔ぶれ、キャシー・ベイツやビリー・ボブ・ソーントンといった達者な俳優たちが歴戦の選挙プロを演じている。 
 こうした一筋縄ではいかない人間たちが大統領選挙の虚々実々の駆け引きを繰り広げる姿を若き黒人の選挙参謀ヘンリー(エイドリアン・レスター)の理想家肌の目を通して描いていく。 
 そして批判をしながらも否応なく現実の政治の世界に巻き込まれていかざるをえない彼の姿を追うことで政治の世界の複雑さが見えてくる。 
 ここではそれを否定も肯定もしないで、政治というもののダイナミズムを力強く描いていく。 
 そうしたなかから重層的なアメリカ社会の貌が見えてくる。これはそういったふうな映画なのである。 
 始まりは多少退屈させられて、あまり趣味の良くないコメディかという印象をもったのだが、次第にそれだけではない深いものが見え始め、結局おもしろさにいっきに最後まで引っ張って行かれたというところである。 
 まったく何の予備知識ももたずに観たのだが、後で監督がマイク・ニコルズということを知って納得である。相変わらずの腕の冴えを見せている。 
  
 
製作総指揮 ニール・マクリス/ジョナサン・D・クレーン
監督・製作 マイク・ニコルズ 脚本 エレイン・メイ
撮影 ミヒャエル・バルハウス 音楽 ライ・クーダー
出演 ジョン・トラボルタ/エマ・トンプソン/キャシー・ベイツ
ビリー・ボブ・ソーントン/エイドリアン・レスター/モーラ・ティアニー
ラリー・ハグマン/ダイアン・ラッド/ポール・ギルフォイル
 
 
 
 
 
 
 
8/21 がんばっていきまっしょい
(98日本)
 
 
  
 
 「2度と戻らない青春」「儚い一瞬の輝き」そんな紋切り型の言葉を使って青春映画を語るのはいささか気恥ずかしくて抵抗があるが、この映画にたいしては素直にそんな言葉で表現したくなる。 
 何気なくて、切なくて、愛おしくて、まさに夢のように儚い青春の輝きがどこにでもいそうな普通の少女の姿を借りてフィルムに定着されている。 
 愛媛県松山市が主催する「坊ちゃん文学賞」の第4回大賞を受賞した敷村良子の原作をピンク映画出身の磯村一路が脚色および監督をした作品である。 
 背景となるのは今を遡ること約20年ほど前、1976年の松山市。 
 主人公の篠村悦子(田中麗奈)が高校へ入学するところから物語は始まる。 
 県内有数の進学校である伊予東校に入学を果たしたものの、悦子の気持ちはいまひとつ不確かで、何に対しても情熱が持てず、中途半端な状態にある。 
 勉強も得意ではなく、むしろ落ちこぼれに近いところにいる。 
 そんな彼女が近くの海で偶然目にしたボートの練習に惹かれ、ボート部への入部を決意する。 
 しかし目指すボート部に女子部はなく、仕方なく彼女ひとりで急造の女子部を造ることになる。 
 そして苦労して数人の仲間を集めるが、どの少女もスポーツとは無縁な子ばかりで、とてもボートを漕げそうには思えない。 
 そんな少女たちが悪戦苦闘しながらも次第にボートを漕げるようになっていく姿を追っていく。 
 新人戦までという約束で頭数だけ揃えたような急造チームが時間とともにそれなりの恰好になっていく様子が彼女たちの日常とからめながら淡々と描かれていく。 
 このリズムとテンポがいい。 
 古い街並みの残る松山の町のゆっくりとしたリズムに合わせるように物語が進んでいく。 
 それがあまり熱心ともいえない彼女らの練習風景にも似合っている。 
 練習帰りのお好み焼き屋でのたわいのないおしゃべり。 
  悦子と幼なじみの男の子との淡い恋心と反撥。 
 体調不良になった悦子をその男の子が自転車で送っていくシーンの心のときめき。 
 さらに夏の合宿でのエピソードの数々。 
 寝つかれない合宿所を飛び出して浜辺で無邪気に花火に興じる少女たち。 
 料理担当の少女のポツリともらす一言、「合宿ってええな、みんな一緒で」にこめられた思春期特有の孤独と人恋しさ。 
 万燈会と呼ばれる寺の行事にそろって訪れた際の無数のロウソクの美しさ。 
 こうしたスケッチがボートの練習や試合の間にはさまれて描かれる。 
 そしてまたそれと同じくらいのウェイトで瀬戸内の海の美しさも描かれる。 
 穏やかで波のない瀬戸内特有の海を滑るように走っていくボートの静かな美しさ。 
 コックの「キャッチ、ロー、キャッチ、ロー」という掛け声に合わせて水を切っていくオールの規則正しい動き、それに合わせて飛び立つ飛沫をカメラはスローモーションで追っていく。 
 まるで潮の匂いと水の冷たさが伝わってくるような映像である。 
 少年時代を瀬戸内で過ごし、いまはそこを離れてしまった私にとって、もうこれだけで手放しで見惚れてしまうのだ。 
  そして思わず過ぎ去った時間の貴重さを思ってしまう。 
  こうした至福の時間というものはけっして特別なものではなく、誰の人生にも等しく用意されたものである。 
 だからこそ、こうした物語に誰もが等しく心震えるのである。 

 この映画を観ながら同じ瀬戸内を舞台にした青春ドラマということで「青春デンデケデケデケ」を連想してしまったけれど、あのドラマにあった熱に浮かされたような熱いものはここにはない。 
 同じ若さの情熱でももっと淡々としているといおうか、あっさりしているといおうか、それは男の子と女の子の違いなのかもしれないし、また1960年代と70年代という時代の違いのせいなのかもしれない。 
 しかしそれでいて底に流れるピュアな心情には共通のものがある。 
 打算や欲得とは無縁の自らの情熱だけに忠実であろうとする姿。 
 何か思いきり打ち込めるもの、情熱を向けられるものを模索する真剣な姿はどちらも変わりがない。 
 思春期の少年、少女というものは特異な時間を生きている。 
 幼児期には親密な存在であった世界というものが打って変わって正体不明の重さを持ち始め、その重さに押しつぶされまいと必死になって耐えている。 
 そんな時間を彼らは感受性というバリアを張りながら懸命に生きている。 
 だからこそ、その時間は輝きに満ちちたものになり、かけがえのないものになってくる。 
 そしてそうした危うく儚い一瞬を精いっぱい生きようとする少女たちを思わず抱きしめたくなるような共感をおぼえてしまうのだ。 
 毎年、新学年の始まりに講堂で行う儀式、生徒会長の「がんばっていきまっしょい!」の掛け声に合わせて生徒全員が唱和する「しょい!」というエールをそのまま少女たちに送りたい気分になるのである。 
 


 
製作 周防正行 監督・脚本 磯村一路 原作 敷村良子
撮影 長田勇市 編集 菊地純一 美術 磯田典宏
音楽 リーチェ 音楽監督 竹田元
出演 田中麗奈/真野きりな/清水真実/葵 若菜/久積絵夢
中嶋朋子/松尾政寿/大杉漣/ベンガル/森山良子/白竜/神戸浩
 
 
 
 
 
 
 
8/22 のど自慢
(98日本)
 
 
  
  
 今年の夏の高校野球は群馬県の桐生第一高校が優勝した。 
 これは春夏を通じて群馬県初の優勝である。まさに季節外れの甲子園に空っ風旋風が巻き起こったということである。 
 そうしたことに関連づけたわけではないが、映画「のど自慢」を観ると、これがなんと偶然にも桐生市を舞台にした話であった。 
 あまりにもタイムリーすぎる偶然にちょっと笑ってしまったが、それとともにこれまであまり馴染みのなかった桐生市がこれでぐっと身近な存在になったような気がする。 
 さて物語のほうはといえば桐生市出身の売れない演歌歌手、赤城麗子(室井滋)がドサ回りの途中に久しぶりで故郷に立ち寄って、たまたま行われていたNHKのど自慢に歌手生命をかけて出場を果たすというものである。 
 そしてこの大会に出場するさまざまな人間の人生模様も平行して描かれていく。 
 その中心となるのが3人の人物で、ひとりは大勢の家族を抱えながらも商売がうまくいかず転職を繰り返す40男、これをハウンド・ドッグのボーカリスト大友康平が演じている。 
 2人目はちょっと自信過剰気味の女子高生(伊藤歩)。 
 決勝に残って鐘三つを鳴らすのは自分だと豪語しているが、実は彼女の姉が母親に結婚を猛反対されており、それが原因で大会直前に駆け落ちをしている。 
 彼女はそのことに密かに胸を痛めており、歌で家族に思いを伝えたいと考えている。 
 そして3人目は自閉症気味の孫を預かる老人(北村和夫)で、なんとか自分の手でそれを治してやりたいと考えており、少しでも孫を励ますことができるのではとの思いからのど自慢への出場を決めている。 
 さらに竹中直人が怪演するカラオケ好きのタクシーの運転手や、生真面目な銀行員、ちょっと間の抜けた土木作業員のコンビ、などといった人々がそれぞれに出場を目指して大騒ぎをする様子も同時に描かれていく。 
 舞台は群馬県の桐生市だが、こうした題材は間違いなくコテコテの大阪テイストで、大阪人の井筒監督もその線で映画を撮っているようだ。 
 とにかく始まりからコミカルなオーバーアクションと臭い芝居のオンパレードで少々鼻につく。 
 さらにあちらに行ったりこちらに行ったり、視点が定まらずゴチャゴチャな印象である。 
 こうしたまとまりを欠いた散漫な印象は「ガキ帝国」を観たときにも感じたことで、こうしたものがあるいは井筒監督が本来もっている資質なのかもしれないという気がしてくる。 
 それが時にはエネルギーを感じさせるということもあるのかもしれないが、私にはこのテイストにはちょっとついていけない。 
 これはちょっと期待外れの映画かなという気がしたが、メインである「のど自慢」の審査が始まると意外なことに次第に面白くなり始めるのである。 
 これだから映画は途中で投げ出してはいけないのだ。 
 このころになるとオーバーアクションも臭い芝居も気にならなくなって、けっこうそれぞれの人物の一生懸命さに感情移入してしまっている。 
 そして自信満々の女子高生が決勝で姉の幸せを祈りつつ「花」をけなげに唄うくだりになると思わず涙までこぼしてしまったのである。 
 さらにこのなかでは抜きんでてうまさを見せる大友康平の歌が最後のハプニングで音をはずしてしまい、鐘ふたつに終わるところなどは最高に笑わせられる。 
 プロの歌手が唄う歌が鐘ふたつという遊び心もおもしろい。 
  彼はまったくついてない男で、これまでにも様々な事業に手を出してきたが、ことごとく失敗し、今また再起を期して、ヤキトリ屋を開業しようと懸命に研修を受けている最中なのである。 
 だが、運悪くヤキトリ屋開業を判定する試験の日がのど自慢出場の日とダブってしまい、どちらも通過させようと綱渡りのような掛け持ちをしているのである。 
 そして鐘3つに手が届いた瞬間にヤキトリ屋合格の知らせが入り、思わず音程を外してしまったというわけだ。 
 ここでも彼のこれまでの人生を象徴するかのように土壇場になって失敗してしまう。 
 だが、彼はこれまでの失敗でもけっして挫けることがなかったようにここでも明るく失敗を受け入れる。 
 それになによりもヤキトリ屋合格という人生のほうの合格を手に入れたわけだから。 
 この映画のなかでは大友康平のこの愛すべきキャラクターがいちばん輝いている。 
 そして最後は赤城麗子の歌でしめると誰もが思うところだが、これがそうではない。 
 もちろん名前を偽りプロという身分を隠し、それでも大勢のひとに自分の歌を聴いてほしいと出場した赤城麗子の結果がどうなるか、それが当然クライマックスとして用意されてはいるが、映画のトリを務めるのは彼女ではなく、北村和夫の「上を向いて歩こう」なのである。 
 このへんの呼吸がなんとも憎い。 
 そしてこの北村の唄う「上を向いて歩こう」が深く胸に沁みこんでくるのである。 
 自閉症の孫への応援歌であるこの歌声が映画を観ている観客への応援歌にも思えてくる。 
 そして出場者たちが「のど自慢」に出場することで「元気」をもらい、それぞれの日常へ帰っていくようにわれわれ観客もこの映画から「元気」というエネルギーをもらって日常へと帰りつく。 
 これはそんな気分にさせられる映画なのである。 
  

製作 李鳳宇/石原仁美/根岸洋之 監督・脚本 井筒和幸
脚本 安倍照男 撮影 浜田毅 編集 冨田功 美術 中澤克巳 音楽 藤野浩一
出演 室井滋/大友康平/尾藤イサオ/伊藤 歩/松田美由紀/北村和夫
竹中直人//岸部一徳/小林稔侍/佐々木すみ江/光石研/近藤芳正/りりぃ
坂本冬美/大川栄策/金子辰雄/田口浩正/由利徹/朝霧鏡子/笹野高史
 
 
 
 
 
 
 
8/23 エントラップメント
(99アメリカ)
 
 
  
  
 エントラップメントとは「罠にはめる」という意味だそうだが、誰が誰をどんなふうに罠にはめるのかがこの映画のみどころになる。 
 二転三転しながら最後のドンデン返しですべてが明らかになるという展開はセオリー通りだが、ちょっとご都合主義すぎるきらいがある。 
 だからすべてがうまくつながって納得するという謎解きの快感はいまひとつ感じることができなかった。 
 さらにもうひとつの見せ場となる盗みのテクニックはプロローグのレンブラントの絵の盗難、中国の秘宝、黄金のマスクの盗難、そしてコンピューターの「2000年問題」にからんだ銀行預金の強奪と都合3つが見せられるが、それぞれに工夫は見られるもの手に汗を握るというふうにはいかなかった。 
 ただこの映画のロケーションのよさはなかなかで、レンブラント盗難はニューヨークの美しい夜景のなかで行われ、黄金マスクは水に囲まれたロンドンの古城、そして預金強奪はクアラルンプールの世界最長のビルのなかでといったぐあいにけっこう楽しめる選定になっている。 
 さらにショーン・コネリーの隠れ家となるスコットランドの古城の趣味のよさも特筆モノである。 
 他に住む人のないプライベートな小島に建つ古びた城がそのまま美術館かと思えるほど現代絵画の名画を揃えており、(もちろんすべて彼が盗んだものに違いないが)クラシカルな置物と調和した素晴らしいインテリアになっている。 
 いかにもダンディなショーン・コネリーに似つかわしい隠れ家である。 
 結局こうしたお膳立てのなかでのショーン・コネリーの男っぷりとキャサリン・ゼタ・ジョーンズのセクシーさを味わうのがこの映画の最大のねらいなのかもしれない。 
  

 
製作総指揮 イアン・スミス/ロン・バス/アーノン・ミルチャン
製作 ショーン・コネリー/マイケル・ハーツバーグ/ロンダ・トレフソン
監督 ジョン・アミエル 脚本 ロン・バス/ウィリアム・ブロイルス
撮影 フィル・メーヒュー 編集 テリー・ローリングス 音楽 クリストファー・ヤング
出演 ショーン・コネリー/キャサリン・ゼタ・ジョーンズ/ウィル・パットン/ヴィング・レイムス
 
 
 
 
 
 
 
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