町医者の息子である今村昌平監督が「医は仁術」を実践したなき父親への鎮魂をこめて映画化した作品だそうだ。
映画の中で何度も登場してくる「開業医は足だ。片足折れなば片足にて走らん。両足折れなば手にて走らん。」という言葉がそのことを見事に象徴している。
まさに全編、主人公のカンゾー先生(柄本明)が息を切らせて走る姿を追い続けているのだ。
そしてその疾走の伴走者として看護婦見習いのソノ子(麻生久美子)や料亭紫雲閣の女将トミ子(松坂慶子)、モルヒネ中毒の医師、鳥海(世良公則)や生臭坊主の梅本(唐十郎)といった人間たちがからんでくる。
彼らは誰ひとりとしてまともな人間はおらず、どの人物も今村監督好みの破天荒な人間で、いわば世間の常識から踏み外した人間なのである。
そしてこうした常識外の人間たちが戦争という狂気のなかではいちばんまともに見えるという逆転が描かれるのだ。
なかでも看護婦見習いのソノ子がとくに目立った存在である。
漁師の娘らしい勝ち気な自然児で、幼い弟妹を食わせるためには売春も厭わず、そのことになんのこだわりも抱いていないといった逞しい女性である。
そして出征する若者の母親に「女を知らずに出征するのは不憫」「女を知らない男は弾にあたりやすい」などと相手になるよう懇願されれるとカンゾー先生に「淫売はいかんゾ」と諭されているにもかかわらず、簡単にその身を提供してしまうのである。
まさに「天使の心をもった娼婦」であり、これこそが今村監督が理想とする女性像なのであろう。
今村作品の女性は必ず生命力の象徴として描かれ、またすべてのものを浄化する力をもったものとして描かれる。
ここでのソノ子もそうした種類の女性の典型として描かれており、この映画の中でももっとも精彩を放った存在となっている。
そしてこのような存在のソノ子の心をとらえるのが「医は仁術」を実践しているカンゾー先生というわけである。
「先生にクジラの肉を食わしちゃる」と大きなモリを抱えて海に飛び込むソノ子の若いエネルギーをどう受け止めていいのかと困惑するカンゾー先生。
「激しいおなごじゃのオー」とただ感嘆するばかりのソノ子の求愛に「好きだというよりもなあー」と言葉を濁すだけである。
今村監督はこれまでの作品では常に強烈な性を媒介にした男女の関係を描いてきた。
「性的人間」と呼んでもいいような性にこだわる人間ばかりを登場させ、「性」こそが人間の根源であり、行動原理を規定しているのだという立場を貫いてきた。
だが、そこからこのカンゾー先生のような「性」を超越した男女の関係、「性」に拘泥しない関係といったところに行き着いたように思われる。
そうしたところにもある種、理想のエロスが存在するのだといった思いが伝わってくる。
エネルギッシュな行動や数々の武勇伝を残してきた今村監督もいまや72才、だが老いたれたといえどもまだまだ枯れ切ってはいないというところをこの映画は教えてくれる。
かって見せた圧倒的な迫力というようなものはいまや見ることはできないにしろ、愚かしい人間たちに注ぐ優しく愛すべき視線はますます磨かれてきているように思われるのだ。
さらにカンゾー先生の「両足折れなば手にて走らん」という信条に今村監督の映画にかける執念を見る思いがした。
製作 飯野久/松田康史 監督・脚本 今村昌平 脚本 天願大介
原作 坂口安吾 撮影 小松原茂 音楽 山下洋輔 美術 稲垣尚夫
出演 柄本明/麻生久美子/世良公則/唐十郎/伊武雅刀/松坂慶子
山谷初男/田口トモロヲ/小倉一郎/小沢昭一/山本晋也/金山一彦/清水美砂
渡辺えり子/田中実/ジャック・ガンブラン/北村有起哉/神山繁/裕木奈江
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