1999年2月
 
 
 
 
2/1 メリーに首ったけ
(98アメリカ)
 
  
 
 抱腹絶倒、爆笑モノの脳天気映画だ。  
 馬鹿馬鹿しく、間抜けで、ちょっぴりエッチで、危ない、だがハッピーになれる映画だ。  
 こういったセンスはやはり陽性のアメリカ映画ならではのものだろう。  
 いったいどういう監督がこんなおマヌケ映画を創ったのだろうと、興味津々で調べてみると、ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリーという兄弟監督であった。  
 不勉強で知らなかったのだが、彼らは前作「ジム・キャリーはMr.ダマー」でもバカ映画を大ヒットさせた実績がある。  
 その実績を踏まえての今回の「メリーに首ったけ」なのである。  
   
  まず主役のベン・スティラーの間抜けな純情ぶりがいい。  
 物語は彼の高校時代の話から始まるが、高校生テッドに扮したベン・スティラーの恰好のダサさ加減に笑ってしまう。  
 ボサボサの長髪、歯には矯正器をつけており、オシャレとは無縁のまさに女の子にもてない高校生の典型なのである。  
 というよりも思いっきりカリカチュアライズされた姿というか、そのキャラクターをベン・スティラーはこれでもかといった風に楽しんでいるのが伝わってくる。  
 そんな彼がふとした事件がきっかけで学校中の憧れの的であるメリー(キャメロン・ディアス)のブロム・デートの相手になってしまうのだ。  
 だがそこにとんでもない悲劇(喜劇?)が待っている。  
 「豆とソーセージ」事件である。(これは映画を観てのお楽しみだ)  
  結局ブロム・デートは失敗に終わり、悲惨な高校生活は幕を閉じるのだ。  
   
 13年の後、いつまでもメリーのことが忘れられないテッドは友人の薦めで保険会社の調査員にメリーの行方捜しを依頼する。  
 マット・ディロン演ずるこの調査員がこれまたいいかげんな奴で、捜し当てたメリーに一目で恋をしてしまい、テッドには嘘八百の報告をして忘れさせようとする。  
 そしてとって返してメリーに猛然とアタックをかけ始めるのである。  
 一方諦めきれないテッドも最後にもういちどだけメリーに会おうと彼女の住むマイアミに向けて車を走らせる。  
 ところがこの道中もスンナリとは行かず、ハイウエーの駐車場でホモの野外乱交パーティーに紛れてしまい、警察の一斉検挙に遭ってしまったり、車に同乗させたハイカーが実は狂った殺人鬼だったりといった騒動に巻き込まれてしまい、なかなかたどり着くことができない。  
 こうした災難や失敗が常につきまとってしまうのがテッドの不器用でついてない人生を象徴しているようでもある。  
 そしてマット・ディロンは着々とメリー陥落の計略を進めていき、さらにまた別なライバルが現れたりといったふうで、賑やかでハチャメチャなてんやわんやが繰り広げられるのである。  
  そしてその脳天気でバカバカしい恋の駆け引きが下ネタ、障害者ネタ、動物虐待ネタといったきわどい笑いで描かれるのだが、それが悪趣味の一歩手前のギリギリのところでなんとか持ちこたえているといった案配なのである。  
 このへんのバランスの取り方にはファレリー兄弟の並ではない才能を感じさせられる。  
 下品な笑いが100%下品には陥らずにいるといったところに彼らのセンスのよさを感じさせられる。  
 それはこの映画の舞台であるマイアミの陽気な開放感がそうさせているといったところもあるのだろうが、なによりもメリーを演ずるキャメロン・ディアスの魅力に負うところが大きいように思う。  
 彼女の健康的で伸びやかなお色気、キュートな魅力がそれを救っている。  
 彼女がやれば、「特製ヘアジェル」のギャグもけっして下品ではないのである。  
 そして彼女の存在がまわりの男たちを狂わせてしまうといった事実にも素直に納得してしまうのだ。  
 メリーをめぐる大バカ騒動も結局は落ち着くところに落ち着いて、われわれ観客も笑いの余韻を楽しむことになるのである。  
 映画の節目になると必ず画面に登場し、ギターとドラムで弾き語りを始めるおかしなディオが奏でる曲にのって気持ちよく余韻を味わえる。  
 そして陽気で幸せな気分で映画館を後にすることができるのである。  

  これからのベン・スティラーは要チェックである。  
 あの間抜け顔の印象が強くていつまでも忘れられないでいる。  
 彼は「リアリティ・バイツ」の監督でもあるということだ。  
  ファレリー兄弟ともどもおもしろい才能が登場したものだ。  

 
  
 
監督 ピーター&ボビー・ファレリー
脚本 エド・デクター/ジョン・J・ストラウス/ピーター&ボビー・ファレリー
出演  キャメロン・ディアス/マット・ディロン/ベン・スティラー
リー・エヴァンス/クリス・エリオット
 
 
 
 
 
 
 
2/4 ガタカ
(98アメリカ)
 
 
  
 奇妙な名前の題名である。  
  映画のなかでそれは超エリートばかりを集めた未来社会の宇宙開発局の名前のことを指す。  
  そこは完全なる遺伝子をもつ選ばれた人間だけが入ることを許された組織であり、厳しい管理によって遺伝子の劣った人間たちの侵入を防いでいる。  
 そしていつか地球外に飛び立つ名誉ある宇宙飛行士となるための厳しい訓練を日々受けている。  
 主人公ヴィンセント(イーサン・ホーク)は自然出産で生まれた劣性遺伝子をもった青年である。  
 彼は幼い頃から宇宙飛行士になるという夢を持ち続けているが、遺伝子の優劣だけで人生が決定されてしまう未来社会のなかではその望みが実現する可能性はない。  
 その不可能な夢を彼は別人になりすますことで実現しようとする。  
 自動車事故で下半身不随となったエリート、ジェローム(ジュード・ロウ)との契約で彼の血液や尿や体毛の提供を受けて巧妙に彼になり代わるのである。  
 そして今では宇宙開発局のエリートとなって木星へ飛び立つ日を待つ身となっている。  

 彼の日常はまず浴室で全身の体毛を洗い落とすことから始まる。  
 それは無菌室のようにチリひとつない宇宙局のなかで自分の体毛が落ちるのを防ぐためである。  
  その体毛から彼がジェロームの偽物だということが発覚するのを怖れるための処置なのである。  
 それほど宇宙局では不適格者の侵入に目を光らせているのだ。  
 だがその洗い流す行為は発覚の予防ということだけではなく、彼がジェロームになり代わるための神聖な儀式のようにも思えてくる。  
 宇宙局では入退去の際には必ず尿と血液の検査が待ち構えており、ヴィンセントはジェロームの血液と尿を使って毎日それを巧妙にかいくぐっている。  
 すべてを隠し、ジェロームとして生きるヴィンセントの懸命さは痛々しい。  
 それはまるで完全犯罪を遂行していく犯罪者を思わせる孤独な姿である。  
 いつそのたくらみが綻んでしまうかもわからないという不安定な緊張感がある。  
 そしてそれがシンプルで無機質なガタカのセットや建物といった映像のなかでいっそう際だったものになってくる。  
 さらにマイケル・ナイマンの流麗な音楽がかぶさることでヴィンセントの孤独な魂の揺らぎが浮かび上がり、やるせない哀感が漂ってくるのである。  
 そうした不条理な未来世界の物語をこのように美しく映像化してみせた手腕はなかなかのものといえよう。  
 監督、脚本はともにアンドリュー・ニコルによるものだ。  
 未来社会の映像化といえば今ではCGを使った大がかりなSFXによる撮影がほとんどであるが、ここではそうしたテクニックとは無縁である。  
 ヤン・ロルフスの余計なものを排したシンプルなデザインのセットとフィルターを使い画面に沈んだ色調を施しただけの映像で不思議な未来空間を作り上げている。  
  そして爆発も破壊もない静かな映像が科学ですべてを決定してしまう未来社会の非情さを見事に表現している。  
 だからこそヴィンセントと彼に関わることになるジェロームやアイリーン(ユマ・サーマン)のような脱落者の哀しみもともに浮き上がってくるのである。  
 人間の人生や可能性は数字だけで決められるものではない。  
  そんなもので可能性が規制されたりつぶされたりしてはいけないのだ。  
 ヴィンセントにはそうしたジェロームやアイリーンの熱い想いも託されているのである。  
 もうヴィンセントに後戻りはない。  
  それは子供の頃、なにをやっても勝てなかった遺伝子操作で生まれた弟に海での水泳競争で初めて勝った日の思いと同じものであった。  
 その時彼はこう考えたのだ。  
 「もどることは考えず、全力で泳いごう」と。  
 その日から彼の人生のすべてが変わり始めたのである。  
   
 ガタカ(GATTACA)とはDNAの構成要素である(G)uanine (A)denine(T)hymine (C)ytosineの頭文字をとってつけられた名称である。  
   
   


 
監督・脚本 アンドリュー・ニコル 音楽 マイケル・ナイマン 美術 ヤン・ロルフス
出演 イーサン・ホーク/ユマ・サーマン/アラン・アーキン/ジュード・ロウ
 
 
 
 
 
 
  
 
2/9 仮面の男
(98アメリカ)
 
  
 
   ご存じアレキサンドル・デュマ原作の「三銃士」の物語である。  
  アラミス、アトス、ポルトスという剣名高い三銃士が旧友ダルタニアンと敵味方に別れ、悪政をふるう国王を相手に無血革命によってそれを正そうとする物語である。  
 その三銃士をそれぞれジェレミー・アイアンズ、ジョン・マルコヴィッチ、ジェラール・ドパルデュー、さらにダルタニアンをガブリエル・バーンといった名優たちが演じており、味のある演技合戦が見られる。  
 これだけの顔ぶれを見るだけでもこの映画を観る値打ちがあるというものだろう。  
 そしてさらにルイ14世とその双子の弟フィリップをレオナルド・ディカプリオが演じるといったぐあいでこれ以上は望めないキャスティングになっている。  
  物語前半の導入部分は時代状況の説明や人間関係の描写が主でいささかもたついた印象だが、三銃士たちが打倒国王に動き始めると俄然面白くなってくる。  
 そしてこの暗躍のなかで騎士道精神に基づいた友情や男の生き様が描かれていく。  
 アラミスは正義を、アトスは情愛を、ポルトスは生命力を、そしてダルタニアンは忠誠を体現しており、彼らが手を合わせることで何かが成しえると思わせる。  
  彼らの口から合い言葉のように繰り返し語られる「われらは銃士、結束は固い」といった男の世界を名優たちが自在で味のある演技で見せてくれる。  
 そして若いディカプリオも彼らに位負けしない演技で二役という異なった個性を演じ分けている。  

 かってはこうした時代劇が盛んに作られていた時代があった。  
 だが近年は西部劇同様こうしたジャンルの映画が作られることもまれになっていた。  
 それがここにきて先頃封切られた「マスク・オブ・ゾロ」とともに連続して時代劇が作られている。  
 時代劇ファンとしては喜ぶべきことであり、これに続いて次々と時代活劇が作られることを願っている。  


 
監督・脚本 ランダル・ウォレス 撮影 ピーター・サシツキー
出演 レオナルド・ディカプリオ/ジェレミー・アイアンズ/ジョン・マルコヴィッチ
ジェラール・ドパルデュー/ガブリエル・バーン
 
 
 
 
  
 
 
 2/9 MIB<メン・イン・ブラック>
(98アメリカ)
 
  
 
 この映画はビデオショップに行けば話題のコーナーに山積みになっている映画で、いつも気にはなっていたが、観ようという気にはなかなかならなかった。  
 しかし人気のあるものにはいちどは目を通しておいてもという軽い気持ちで借りることにしたのだが、結果はやはり予想通りに外れであった。  
 「ゴースト・バスターズ」宇宙人版といった内容のたわいのない話を派手なSFX(でもないか?)で味付けをしているが、話がもたついて気分良く乗っていけない。  
 せっかく主役ふたりにトミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスという異色の組み合わせを配しているのに彼らの魅力が引き出せていない。  
 「ブルース・ブラザース」を思わせるようなコスチュームから、ふたりの掛け合いにいくらかの期待をしたのだが、見るべきものは何もなかった。  
 まあ、こうしたハズレはよくあることで特にめずらしいことというわけでもないのだが。  
   

 
製作総指揮 スティーブン・スピルバーグ 原作 ローウェル・カニンガム
監督 バリー・ソネンフェルド 脚本 エド・ソロモン
撮影 ドン・ピーターマン 音楽 ダニー・エルフマン
出演 トミー・リー・ジョーンズ/ウィル・スミス/リンダ・フィオレンティーノ
ビンセント・ドノフリオ/リップ・トーン
 
   
 
 
 
 
 
 
2/18 スウィート・ヒアアフター
(97カナダ)
 
  
  
 米国の作家ラッセル・バンクスの小説をカナダの映画作家アトム・エゴヤンが映画化し、97年度のカンヌ映画祭でグランプリを受賞した作品である。  
 白一色の雪に包まれた北米のとある小さな町、穏やかな静けさのなかで何事もなくたたずむ町に初老の弁護士が訪ねてくる。  
 彼は目指す家を一軒一軒丹念に訪ね歩いていく。  
 そして彼の行動を追っていくことで一見平和そうに見えていた町が実は深い悲しみに沈んでいるのだということがわかってくる。  
 果たして何があったのか、観客の興味は次第にかきたてられていくが、映画はそれをはぐらかせるかのように時間と空間を目まぐるしくカットバックしていく。  
 こうして映画は観客を落ち着かない不安感のなかへと誘っていく。  
 そしてその気持ちを引きずりながら次第に物語の核心部分へと入っていくのである。  
   
 ある晴れた朝、雪のなかを一台のスクールバスが大勢の子供たちを乗せて走っていく。  
 そのバスが突然雪道でスリップしてあっけなく湖の底に沈んでしまう。  
 そしてこの事故によって大勢の子供が死んでしまう。  
 当初の弁護士はこの事故を告発しようと各家庭を説得してまわっているのである。  
 悲しみにうち拉がれた親たちから話を聞いていくなかで次第に日常の裏に隠された事実が明らかになっていく。  
 町の人々の互いの中傷や憎しみ、不倫、さらには近親相姦といった意外な事実が見えてくる。  
 同時に弁護士自身の家庭が崩壊しているという事実もカットバックによる回想によって明らかになってくる。  
 彼の携帯電話にしつこく電話をかけてくる娘が実は麻薬中毒でどうにもならない状態に陥っているということも。  
 「スウィート・ ヘアアフター」すなわち「穏やかなその後」は果たしてこの町に訪れるのであろうか。  
 「ハメルンの笛吹き」の詩をくりかえし引用し、不思議な気配を漂わせながら映画は進行していく。  
 奇妙な味わいをもつ映画なのである。  
   

 
製作・監督・脚本 アトム・エゴヤン 製作 カメリア・フリーバーグ
原作 ラッセル・バンクス 撮影 ポール・サロッシー 音楽 マイケル・ダーナ
出演 イアン・ホルム/サラ・ポーリー/カーサン・バンクス
ガブリエル・ローズ/トム・マッカマスブルース・グリーンウッド
 
 
 
 
 
 
 
2/20 ソウルフード
(97アメリカ)
 
  
 
 ソウルフード(SOUL FOOD)とはアメリカの黒人家庭に伝わる伝統料理のことである。  
 奴隷制時代に白人が食べなかった食材(豚の内蔵などが主)を工夫して作りだした料理が発展したものである。  
 この映画は日頃顔を合わせることの少ない家族たちが週一回のサンデー・ディナーに集まって、「ビッグ・ママ」(イルマ・P・ホール)が作る愛情溢れるソウルフードを食べることで家族の絆を確かめ合っている家族の物語である。  
  そして「ビッグ・ママ」の3人の娘の家庭の変転がサンデー・デイナーを柱として型どおりに描かれていく。  
 けっこうほのぼのとした気分で見せてくれる。  
 そう感じさせられる最大の要素は長女の小さな息子(ブランドン・ハモンド)の視点でこの物語が語られていくという点であろう。  
 子供の視線は常に家族の幸せを願い続けているものだ。  
 子供自身がそれに対して無力であるだけにその思いは強い。  
 そして彼にできることといえば、ひたすら家族の幸せを願い続けて見守ることしかないのである。  
 その無心な健気さが全編を流れるトーンである。  
 またこの視点はこれが初監督作となるジョージ・ティルマンJrの視点でもある。  
 自らの家族の思い出に材をとったこの物語には彼の家族にたいする深い愛情と過ぎ去った時間にたいする熱い想いがこめられている。  
 黒人家庭の物語というと大体が貧困や差別といったものがつきものだが、この物語ではそうした社会問題とは無縁なところで展開していく。  
おそらくこうした裕福な黒人家庭が現在のアメリカ社会では着実に増えてきているのだろうと思われる。  
 こうした視点で描かれる黒人映画というものが今後は次第に増えてくるのかもしれない。  
   

 
製作総指揮 ケネス " ベイビーフェイス " エドモンズ
製作 トレーシー・E・エドモンズ/ロバート・テイテル
監督・脚本 ジョージ・ティルマンJr 撮影 ポール・エリオット
 音楽 ウェンディ・メルヴォイン/リサ・コールマン
出演 ヴァネッサ・L・ウィリアムズ/マイケル・ビーチ/ヴィヴィカ・A・フォックス
ジェフリー・D・サムズ/ニア・ロング/メーキー・ファイファー/ブランドン・ハモンド
 イルマ・P・ホール/ジーナ・ラヴェラ/メル・ジャクソン
 
 
 
 
 
 
2/22 ラッシュアワー
(98アメリカ)
 
  
 
 「フィフス・エレメント」で変なオカマのDJをやって異彩を放っていたクリス・タッカーと本格的にハリウッド進出を果たしたジャッキー・チェンがコンビを組んだ刑事物アクションである。  
 そして監督はこれが2作目(前作はタッカー主演の「ランナウェイ」)になる新人のブレット・ラトナーである。  
 彼はMTVやCMの監督としてはすでに有名監督らしく、あの「コカ・コーラ」のCMディレクターでもある。  
 しかし出来はごく普通のレベルで、アクション映画のセオリー通りに無難にまとめたといった程度のものである。  
 もっと新人としての意気込みを感じさせられるようなところがあってもと思うのだが。  
 ジャッキー・チェンのアクションもこれまでの彼のアクションからすればちょっと物足りないといったところだ。  
 ただ、クリス・タッカーの黒人特有のリズミカルな身のこなしや柔らかさはなかなか魅力がある。  
 使い方しだいでは面白い映画ができそうな素材であるということを改めて感じさせられた。  
   


   
監督 ブレッド・ラトナー 脚本 ジム・コーフ/ロス・ラマンナ
撮影 アダム・グリーンバーグ 音楽 ラロ・シフリン
出演 ジャッキー・チェン/クリス・タッカー/エリザベス・ペーニャ
 
 
 
 
 
 
2/23 ミミック
(98アメリカ)
 
  
 
 廃線になった地下鉄構内を舞台にしたゴシック・ホラー風の映像にはなかなか見るべきものがあるのだが、物語の展開が平板で遺伝子操作で生まれた怪物の怖さがあまり伝わってこない。  
 着想の面白さがいまひとつ物語として表現し切れていないうらみが残る。  
 ただしミラ・ソルヴィーノ演ずる女性生物学者の懸命な活躍ぶりはなかなか魅力的だ。  
 作り方次第では「エイリアン」のリプリー航海士に迫る人物像になりえたように思えるのだが。  


 
監督 ギジェルモ・デル・トーロ 脚本 マシュー・ロビンス/ギジェルモ・デル・トーロ
撮影 ダン・ラウストセン 音楽 マルコ・ベルトラミ
出演 ミラ・ソルヴィーノ/ジェレミー・ノーサム/アレクサンダー・グッドウィン
ジャンカルロ・ジャンニーニ/チャールズ・S・ダットン
 
 
 
 
 
 
2/26 アウト・オブ・サイト
(98アメリカ)
 
 
  
 「セックスと嘘とビデオテープ」のスティーブン・ソダーバーグ監督がずいぶんと毛色の違った映画を撮ったもんだというのが観る前の印象であった。  
 「ジャッキー・ブラウン」や「ゲット・ショーティ」などのクライム・ノベル(犯罪小説)で知られる人気作家エルモア・レナードの原作を映画化するというのだから、両者がうまく結びつかないのは当然であろう。  
 で、映画を観た感想はというと、それなりに健闘はしているが、やっぱりなというのが正直な感想である。  
 出足のジョージ・クルーニーの大胆で頭脳的な銀行強盗のシーンにはワクワクさせられて、その後をずいぶん期待させられたが、中盤あたりから話がもつれたような印象になってしまってガッカリシし、結局意気消沈したまま終わってしまったというところである。  
 犯罪のからんだロマンティック・コメディという意匠はわからなくもないが、そしてそれなりにカッコいい場面も見られるが、なんだか全体のまとまりの悪さが目についてあまり夢中になれなかったのだ。  
 饒舌だけど、その話の内容にあまり乗れないというふうな、それこそジョージ・クルーニーの演じる主人公の印象と同じ様な印象の映画であった。  
   

 
監督 スティーヴン・ソダーバーグ 原作 エルモア・レナード
脚本 スコット・フランク 撮影 エリオット・ディビス 音楽 ディビッド・ホルムズ
出演 ジョージ・クルーニー/ジェニファー・ロペス
ヴィング・レイムス/アルバート・ブルックス/ドン・チードル
 
 
  
 
 
 
 
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