1998年6月
 
 
 
 
 
6/1 「恋愛小説家」
 (98アメリカ)
 
 

 ジャック・ニコルソンがこれまでに演じてきた役柄はどれを見ても非常に個性的な役柄ばかりである。 
 そしてその濃い役を濃い俳優であるジャック・ニコルソンが演じることでさらに何倍にも濃縮されることになる。   
 その濃縮されたものが味わい深いものになる場合もあるが、時としてそれが鼻について辟易することがある。   
 当然評価は常に大きく別れることになる。   
 ジャック・ニコルソンが出演しているということだけで身構えてしまう。   
 果たして当たりか外れか?   
 そんなスリリングな期待と憂鬱を同時に感じさせてしまう役者である。   
    
 ということで「恋愛小説家」である。   
 結論から先に書くと、ここでのジャック・ニコルソンは大当たりであった。   
 人嫌いで毒舌家、極端な潔癖症で、外出先から帰ってくるとまずはお湯と石鹸で手を洗い、いちど使った石鹸はそのままゴミ箱に捨ててしまうという異常に神経質な男、メルヴィンを演じている。   
 さらに彼は毎日同じ時間に同じレストランの同じ席で食事をし、ナイフとフォークはプラスティック製のものを持参する。   
 街を歩く時は絶対に人と接触しないようにし、舗道の敷石の境目を踏むことを極端に嫌い、そこは必ず跨いで歩くという奇行の持ち主。   
 そしてそんな変人の彼がなんとロマンティックな恋愛小説を書く「恋愛小説家」だという設定なのである。   
 この頭に「超」の字がつく変わり者の小説家メルヴィンをジャック・ニコルソンが実に楽しげに演じている。   
 まさに彼にしかできないキャラクターといってもいい。   
 それほどニコルソンはこの役にぴったりである。   
 アカデミー主演男優賞受賞は納得(!)の演技なのだ。   
 そして、こんな人間でもそれなりに生きていけるのがこの映画の舞台になっているニューヨークという街の懐の深さと言うべきか。   
 犯罪者であろうが、奇人であろうが、すべてを飲み込んでしまう大都会ニューヨーク。   
 だからこそ、こうした物語の成立に納得がいくのである。   
    
  さて、他人をすべて否定してしまうこんな気難しい変人にも唯一気に入った相手がいる。   
 それが毎日通うレストランのウェイトレス、キャロル(ヘレン・ハント)である。   
 彼女は喘息もちの幼い息子をかかえて健気に生きるシングル・マザーである。   
 こういう設定にも現代アメリカ社会の一端が現れていて面白い。   
 そしてこのふたりの恋愛にメルヴィンの隣室に住むゲイのアーティスト、サイモン(グレック・キニア)と彼の飼い犬(この犬が物語を進めていくうえで重要な要素になる。そして、その可愛さと演技のうまさ?は特筆モノ)がからんでの人生模様が繰り広げられる。   
 現代ニューヨークに住む時代を体現したような3人の孤独な魂が反撥し合い、惹きつけ合い、慰め合い、癒し合う。   
 おかしくも心暖まる大人の物語にひととき思いっきり浸れる。   
 そして彼らの間で交わされるセリフの素晴らしさが特に印象に残る。   

 ジェームス・L・ブルックス監督は「愛と追憶の日々」でジャック・ニコルソンにアカデミー助演男優賞を、さらに今回のこの映画で彼に主演男優賞を、ヘレン・ハントに主演女優賞をもたらせたのである。   
 まさに名伯楽というべきであろう。   
  


 
脚本監督 ジェームス・L・ブルックス 脚本 マーク・アンドラス
撮影 リチャード・マークス 音楽 マース・ジマー
出演 ジャック・ニコルソン/ヘレン・ハント/グレック・キニア 
  キューバ・グッディングJR/スキート・ウールリッチ 
  
 
 
 
 
 
6/2 「ラヂオの時間」
(98日本)
 
  

 売れっ子のシナリオライターである三谷幸喜の初監督作品である。 
 自らシナリオを書き、メガホンもとった完全な三谷幸喜ワールドである。 
 三谷幸喜といえば、劇団「東京サンシャインボーイズ」の座付作者兼演出家として、さらに「古畑任三郎」や「王様のレストラン」といった人気テレビドラマのライターとしてよく知られている。 
  また映画「12人の優しい日本人」(中原俊監督)のシナリオライターでもある。 
  そんな彼が満を持したようにして撮った映画がこの「ラヂオの時間」である。 
 「12人の優しい日本人」も「ラジオの時間」もともに自らの劇団「東京サンシャインボーイズ」の舞台で上演された作品で、それを映画用に書き替えて作られている。 
 彼の書く作品の面白さはその掛け合い漫才のようなセリフのやりとりの面白さにある。 
 速射砲のように次々と発射されるセリフの無責任で、間が抜けいて、その場しのぎで、それでいて時には痛いところを突いてくるというような多彩さが売り物になっている。 
 そうしたセリフが次のセリフを喚起して、何気なくしゃべったセリフが思いもかけない重要性を帯び始め、次第に状況がねじ曲がっていくというスリリングなドラマを創り出していく。 
 登場人物たちの本音や建て前や利害が目まぐるしく飛び交って思いもよらない方向へと進んでいく面白さは他に類を見ないものであり、三谷幸喜の類い希なる才能の煌めきを感じさせるものである。 
 抱腹絶倒、痛快きわまりないコメディの登場である。 
 これだけ練られたシナリオを書き、キャストにこだわり、映像にこだわり、演出にこだわるとこんなにもおもしろい映画ができるのだということを新人監督の三谷幸喜は見事に示してくれたのである。 
  


 
脚本監督 三谷幸喜
出演 西村雅彦/唐沢寿明/鈴木京香/戸田恵子/細川俊之
井上順/小野武彦/渡辺謙/モロ師岡/藤村俊二/布施明
 
 
 
 
 
 
6/4 いつも心に太陽を
(67米/英)

 
詳細データ
 
 
 
 
 
 
6/9 3人のエンジェル
(95アメリカ)
 
  

 パトリック・スェイジとウェズリー・スナイプスが見事(?)な女装でドラッグクイーンを演じる珍品映画である。 
 どちらかといえばマッチョ系に属するふたりがいかに女らしく化けられるかというのが最大の見所である。 
 とても女には成り得ないと思われるふたりが意外なことに女らしく変身していくのである。 
 不思議なマジックでも見ているような気分にさせられる。 
 そうした意外性はけっこう楽しめる。 
 ただし悪趣味一歩手前のギリギリのところでかろうじて踏みとどまっているといった印象ではあるが。 
  
 さらに3人目のドラッグクイーンを演じるジョン・レグザイモがイモっぽくて冴えないのだが、最後の全国大会では見違えるほど妖艶に変身し、見事に優勝を勝ち取るのである。 
 同一人物だとは思えないような変わり様に目を見張らされた。 


 
監督 ビーバン・キドロン 脚本 ダグラス・カーター・ビーン 音楽 レイチェル・ポートマン 
出演 パトリック・スウェイジ/ウェズリー・スナイプス/ジョン・レグザイモ
クリス・ベン/ストッカード・チャニング/ロビン・ウィリアムス
 
 
 
 
 
 
6/11 コーリャ 愛のプラハ
(95チェコ/英/仏)
 
 

 1988年、社会主義体制下のプラハを舞台に初老のチェリスト、ロウカと5歳の男の子コーリャの出会いと別れを切々と描いた作品である。 
 気ままで自由な独身生活を送るロウカは金目当てでロシア人女性と偽装結婚する。 
 だが相手の女性が西ドイツへ亡命してしまい、 ロウカのもとには彼女の息子コーリャが残される。 
 よけいな荷物を託されたロウカはコーリャに対して初めは冷淡でいいかげんだが、一緒に生活をしていくうちに次第に憎からず思うようになっていく。 
 そしていつしか離れがたいほどの愛情を感じるようになってくる。 
 と、こう書いてくると今までにも何度となくこれと似たような話にお目にかかっているということに思い当たる。 
 たとえば小津安二郎監督の「長屋紳士録」などはそっくり同じ物語といっていいだろう。 
 こちらのほうは戦後のどさくさの貧しい時代の話であり、そんな時代背景も社会体制下の貧しさと共通するところである。 
 そして貧しさゆえに子供を他人に託してしまうというところも同じである。 
 だがこうした話は人の心をとらえて離さないものがあり、繰り返し見せられても飽きずに観てしまうものである。 
 結局、どうやって見せるかというデテールの質が決め手になってくるようだ。 
 この映画の場合はコ−リャを演じるアンドレイ・ハモンド少年の可愛らしさとプラハの美しい風景といい音楽がその役目を果たしている。 
 さめざめと泣き、感動するというわけにはいかないが、そこそこにホロリとさせられる。 
  
 なお付け加えるとこれはロウカを演じたズディニェク・スビエラークがシナリオを書き、彼の息子のヤン・スビエラークが監督をするという親子の共同作業で生まれた作品である。 
  


 
監督 ヤン・スビエラーク 原案 パヴェル・タウセック 脚本 ズディニェク・スヴェラーク
撮影 ウラジミール・スムットニー 音楽 オンドジェイ・ソウクップ 
出演 ズディニェク・スビエラーク/アンドレイ・ハモンド
 
 
 
 
 
 
6/11 狼は天使の匂い
(72米/仏)
 
 


  
製作 セルジュ・シルベルマン 監督 ルネ・クレマン 原作 デビッド・グーディス
脚本 セバスチャン・ジャプリゾ 撮影 エドモン・リシャール 音楽 フランシス・レイ
出演 ロバート・ライアン/ジャン・ルイ・トランティニャン/レア・マッサリ
 
 
 
 
 
 
6/15 絆〜きずな〜
(98日本)
 
 
  
 白川道のベストセラー小説「海は涸いていた」を映画化したこの作品は野村芳太郎監督の「砂の器」を思わせるような社会派ミステリーである。 
 自らの出生を隠し、別人となって生きる孤独な男が生き別れた妹や施設で兄弟同然に育った昔の仲間たちのために殺人を犯し、それをひとりの刑事が追うといった話である。 
 その中から男の複雑で悲しい過去が浮かび上がってくる。 
 さらに事件の背景が明らかになっていくに連れて、ふたりの間にただ単なる刑事と犯人という関係だけではない男と男の曰く言い難い関係が成立していくといった構成になっている。 
 主人公の男を役所公司が、刑事を渡辺謙が演じており、それぞれにいい味を出している。 
 とくに役所公司が押さえた調子と激しさの両面の演技で男の孤独と不安を演じて見事である。 
 画面に緊張と重厚さを与えており、ハードボイルドな味わいを醸し出している。 
 また5年ぶりの作品となる根岸吉太郎監督もこの物語を真正面から正攻法で描き切っており、なかなか見ごたえのある作品になっている。 
 脚本は昨年「身も心も」で初監督をした荒井晴彦。 
 複雑なあらすじと人間関係をうまくまとめ上げている。 
  
 チンピラ時代からの親友で今はヤクザ組織の幹部役の斉藤洋介と役所公司を蔭から支える片腕役の中村嘉葎雄がなかなか渋い味を出して好演しているのが印象に残る。 
  

 
製作 中川敬 監督 根岸吉太郎 原作 白川道
脚本 荒井晴彦 撮影 丸池納 音楽 朝川朋之
出演 役所広司/渡辺謙/麻生祐未/斉藤洋介
萩尾みどり/田中健/夏八木勲/中村嘉葎雄
 
 
 
 
 
 
6/22 ジャッカル
(97アメリカ)
  
  
 フレデリック・フォーサイスの小説「ジャッカルの日」が映画化されたのは1973年のことで、もうすでに25年も前のことになる。 
 フランスのドゴール大統領の暗殺を請け負った謎の人物、ジャッカルとフランス警察の息詰まる攻防戦をフレッド・ジンネマン監督が格調高く描いていたが、今回は舞台をアメリカに移し、FBI長官を新たな標的にしている。 
 ただし今回の話はフレデリック・フォーサイスの小説とはまったく別物で、ただ主人公であるジャッカルの設定をいただいただけのものである。 
 オリジナルにこだわらず、新たな物語として楽しむべき作品といえよう。 
  
 主役のジャッカルを演じるのはブルース・ウィリス。 
 対して彼を追うFBI副長官が久々の映画出演となるシドニー・ボワチエ。 
 そして正体不明のジャッカルを知る唯一の人物、元IRAテロリストをリチャード・ギアが演じている。 
 なかなか考え抜かれたキャスティングで、それぞれに持ち味を発揮しての演技合戦が見ごたえがある。 
 またこの陰謀の背景も現在の政治状況を反映したもので、ジャッカルの依頼主も今風にロシアン・マフィアとなっている。 
 ソ連崩壊後台頭してきたロシアン・マフィアの犯罪をFBIとロシア警察が国境を越えて協力して追求するという状況のなかでこの陰謀が画策されていく。 
 モスクワをはじめヨーロッパ各都市を巡り、さらにアメリカへと舞台を移しながら展開される物語はジャッカルの足取りとともに徐々に緊迫感が高まっていく。 
 またジャッカルが巧みにハイテクを駆使して計画を遂行していくところなども現代的で、なかなか興味深いものがある。 
 とくに標的を暗殺するための武器がパソコンによる遠隔操作が可能な高速銃というところなどなかなかのアイデアである。 
 その秘かな製作過程や威力を試すエピソードの見せ方などもソツがなく、迫力にあふれている。 
 またジャッカルのアメリカへの侵入とそれを阻止しようとするFBIとの情報戦もドラマチックで楽しめる。 
 といったふうに水準以上の出来に仕上がった国際陰謀アクション映画である。 
  
 
製作総指揮 テレンス・クレッグ/ハル・リーバーマン/マーク・ゴードン
製作 ジェームズ・ジャックス/ショーン・ダニエル/ケヴィン・ジャール 
製作・監督 マイケル・ケイトン=ジョーンズ 脚本 チャック・ファーラー
撮影 カール・ウォルター・リンデンロウヴ 音楽 カーター・バーウェル
出演 ブルース・ウィリス/リチャード・ギア/シドニー・ボワチエ
ダイアン・ヴェノーラ/マチルダ・メイ/J・K・シモンズ
 
 
 
 
 
 
6/23 アルビノ・アリゲーター
(97アメリカ)
  
 

 「ユージュアル・サスペクト」でアカデミー助演男優賞を受賞したケビン・スペイシーの初監督作品である。 
 これは個性派俳優のケビン・スペイシーらしい凝りに凝った作りの映画である。 
 この凝り方は「ユージュアル・サスペクツ」にも共通したものである。 
 そしてあっと言わせる結末も「ユージュアル・サスペクツ」に負けず劣らず見事なものだ。 
 盗みに失敗した3人の男が深夜営業中のバーに逃げ込むところから物語が始まる。 
 そこをすぐに出るつもりでいたところ、予想もしない早さで警察に包囲され、出るに出られなくなってしまう。 
 しかたなく、バーに居合わせた客やウエイトレスら5人を人質にとり、警察との交渉が開始される。 
 だが、両者の思惑が一致せず、いっこうに事態は進展しない。 
 膠着した状況を犯人たちがどう切り抜けていくのか、あるいは最悪の事態に陥ってしまうのか、そういった先の見えない展開が緊迫したタッチで描かれていく。 
 犯人のうちのふたりは実の兄弟で、悪に徹しきれない兄をゲイリー・シニーズが、ボス的な存在である弟をマット・ディロンが演じている。 
 そのふたりの間へ人質を殺してしまおうと主張するもうひとりの凶暴な仲間が割り込んできて、穏健派の兄と過激な男の間でマット・ディロンの心が不安定に揺れ動いていく。 
 またフェイ・ダナウエイ扮する酒場のウエイトレスが彼らに対して強気な態度をとることで一触即発の空気が生まれていく。 
 いつ暴発してもおかしくない重苦しく不安定な時間が流れていく。 

 「アルビノ・アリゲーター」というのは突然変異の「白いワニ」のことである。 
 そうしたワニが時に生まれることがあり、外敵からの攻撃を受けたときその劣性遺伝子をもったワニを犠牲にすることで自分たちの身を守ろうとするワニの生態があるという。その生態が切れた男の口から何かを暗示するかのように繰り返し話される。 
 これがあっと言わせるラストのキーワードになっているのだが、それは観てのお楽しみである。 
 とにかくこれはなかなか見ごたえのある一級のサスペンス映画なのである。 
  2重3重に張り巡らされた謎が実に巧妙だ。 
 サスペンス映画が好きなファンにはこたえられない一本といえよう。 
 絶対にお勧めの一本である。 
 とにかく初監督作品とは思えない見事な出来映えだ。 
 役者として異彩を放つだけでなく、こんな映画を初監督作品として作ってしまうとは、やはりケビン・スペイシーはただ者ではないということをこの映画で改めて認識し直した次第である。 
  


 
監督 ケビン・スペイシ− 脚本 クリスチャン・フォルテ
撮影 マーク・プラマー 音楽 マイケル・ブルック
出演 マット・ディロン/ゲーリー・シニーズ/フェイ・ダナウェイ/ヴィゴ・モーテンセン
ウィリアム・フィッチナー/ジョン・スペンサー/スキート・ウーリッチ/ジョン・マンテーニャ
 
 
 
 
 
 
6/27 2/デュオ
(98日本)
  
 

 
製作 仙道武則/小林広司 監督 諏訪敦彦 撮影 田村正毅
出演 西島秀俊/柳愛里
 
 
 
 
 
 
6/28 緑の街
(97日本)
  
  

 10年ほど前、ネームバリューのあるタレントや歌手を監督にして映画を撮らせるという企画が盛んに行われたことがあった。  
 低迷する日本映画の活性策のひとつとして考え出されたものだが、当時は話題性を狙っただけのいかにも安易な方法に思われたものだ。  
 そして実際ほとんどが話題性だけで終わってしまったものだが、今になって振り返ってみるとこの試みは割合と意義が深かったのではないかというふうに思われてくるのである。  

 参考までに記憶にあるところを記してみると次のようになる。  
 「その男、凶暴につき」「あの夏、いちばん静かな海」の北野武、「稲村ジェーン」の桑田佳祐、「家族輪舞曲」の椎名桜子、「麻雀放浪記」の和田誠、「風、スローダウン」の島田紳助、「無能の人」の竹中直人、「グッバイ・ママ」の秋元康、「外科室」の板東玉三郎、「魚からダイオキシン」の宇崎竜童、「空がこんなに青いわけがない」の柄本明、といったところである。  
 このうちその後も監督を続けているのは北野武、和田誠、竹中直人の3人である。  
 この3人のその後の活躍はここで改めて言うまでもないが、こうした才能がこの流れの中から生まれたことの意義は大きいということだ。  
 もちろんこうした括り方で語ることは必ずしも的を得た方法ではなかろうが。  
 これはあくまでも同時多発的に起こった流れであり、本来は個々のものとして語るべきものであり、才能ある人間がたまたま時流の中で機会を得たということなのだろう。  

 ところでこうした流れの中で歌手の小田和正も異業種監督のひとりとして映画を撮っている。  
 そして当然のようにその作品は批判の集中砲火を浴びることになった。  
 残念ながら私は「いつか、どこかで」というその監督作品は観ていない。  
 だからどの程度のレベルの映画なのかはわからないが、映画には素人である異業種のスターが監督をやるとなると作品の出来云々以前に様々な非難中傷が巻き起こるのは当然予想されることではある。  
 こうした場合はほとんどが冷笑されるか無視されるというのが通り相場のようである。  
 もちろん小田和正もこうした反応は当然予想したうえでの行動ではあったのだろうが。  
 そして今回、彼はこの映画製作の際の一連の騒動を題材にして「緑の街」という作品を撮りあげた。  
 初監督の際の騒動や苦い思いをベースにしたこの作品は当然彼の捲土重来を期そうとする意気込みも感じられるが、それ以上にその時の思いや体験をいまいちど冷静に検証し直したいといった真摯な態度が見て取れるのである。  
 そしてそれを2重3重に物語に組み込んで巧みに映像化している。  
 これを観る限りにおいては、彼の映画つくりは決して思いつきやファッションなどといった生半可な動機だけではなかったのだということがよく解る。  
 そしてその時の体験がなかなか巧妙に映画のなかに取り込まれているのである。  
 集団で行う映画作りの難しさや苦しさ、特にスタッフやキャストたちとの人間関係の難しさを中心に据えて物語を進めていく展開はなかなか見事である。  
  撮影している映画の物語と現実の映画作りの物語が重層的に描かれていくことで撮影中の映画の主人公と映画を監督する主人公の思いが重なり始め、次第に作者である小田和正の心情がそこにあぶり出されていくという構造をこの映画は持っている。  
  それが爽やかな初夏の映像と音楽で叙情的に描かれていく。  
  しかし如何せん作りがあまりにもオーソドックスすぎるのだ。  
 新奇な映像や実験的な映像といったものとは一線を画したきわめてオーソドックスでわかりやすい映画なのである。  
 だからこそ好感が持てるともいえるのだが、それが逆に人によっては食い足りなさと映ってしまうかも知れない。  
 そしてそうしたことも含めて、おそらくはこの映画も前作同様あまり顧みられることなく、冷遇されたままで終わったしまうのであろう。  
 そんな予感を持ちながら映画を見終わったのである。  

 ところでこの映画は地元のテレビ局RAB青森放送の企画で毎年行われている「シネマ・フェスティバル」のプログラムとして上映されたもので、上映後、小田和正によるゲスト・トークがつくというおまけ付きであった。  
 そしてここでも撮影中のエピソードが披露されるといったこともあり、なかなか楽しめる内容であった。  
  


 
監督・脚本・音楽 小田和正 撮影 西浦清/今井裕二
出演 渡部篤郎/中島ひろ子/泉谷しげる/尾藤イサオ/津川雅彦
河相我聞/林泰文/角替和枝/大江千里/武田鉄也/大友康平
 
 
 
 
 
 
6/28 風の歌が聴きたい
(98日本)
  
 

 
監督・脚本 大林宣彦 脚本 中岡京平/内藤忠司 撮影 坂本典隆
出演 天宮良/中江有里/勝野洋/石橋蓮司/左時枝/入江若葉/高橋かおり
 
 
 
 
 
 
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