1998年5月
 
 
 
 
5/5 CURE
(98日本)
 
  
 
 黒沢清監督得意のサイコ・ミステリーである。 
  彼の作品は「地獄の警備員」や「復讐The Revenge運命の訪問」また同じく「復讐The Revenge消えない傷痕」などを観ているが、いつも感じるのは途中で息切れしてしまうということだ。 
 着想や表現の面白さに並でないものを感じるのだが、どうもそこからもうひとつ飛躍していかないという恨みが残る。 
  この「CURE」はおそらく彼の代表作となるだろうが、ここでもやはり途中からの息切れを感じてしまうのだ。 
 黒沢清監督は日常のなかに潜む得体の知れない怖さや不気味さを実にうまく描き出す監督である。 
 何事もなく見える日常が突然血なまぐさい恐怖につつまれる。そんな気配を独特の感性によって画面に漂わせる。 
 しかしそこからあと一歩の踏み込みが足りないという不満をいつも感じてしまう。 
 そこを突き抜けることができればおそらく相当に力強い作品が出来上がるにちがいないのだが。 
 
 
監督・脚本 黒沢清 撮影喜久村徳章 音楽 ゲイリー芦屋
出演 役所広司/萩原聖人/うじきつよし /中川安奈
 
 
 
 
  
 
5/7 マイケル・コリンズ
(98アメリカ)
 
  

  
 アイルランド紛争の初期の指導者マイケル・コリンズの物語である。 
 それをアイルランド出身でアイルランドにこだわり続ける作家ニール・ジョーダンが監督している。 
 カリスマ性をもったマイケル・コリンズが次第に独立運動の新しい指導者になっていく様子が重厚でスピーディーな映像で描かれていく。 
 マイケル・コリンズを演ずるのはこちらもアイルランド出身のリーアム・ニーソンで、適役である。 
 そして彼をサポートする友人にエイダン・クインが、さらに彼と恋のさやあてをすることになる恋人役にジュリア・ロバーツが扮している。 
  この3人の恋と友情を軸に激しいアイルランド独立運動が描かれていくが、そんな3人の思惑とは無関係に歴史は非情に流れていく。 
 
 
監督 ニール・ジョーダン 撮影 クリス・メンゲス 音楽 エリオット・ゴールデンサル
出演 リーアム・ニーソン/エイダン・クイン/ジュリア・ロバーツ/アラン・リックマン
  
 
  
 
 
 
5/13 HANA−BI
(97日本) 
 
 
 
  北野武監督の「HANABI」がベネチア映画祭グランプリを受賞したことは昨年度の日本映画界における特筆すべき出来事であった。 
 その映画「HANA−BI」がようやく上映されることになったのは今年に入ってのことであった。 
 さらにわが弘前での上映はそれより数ヶ月遅れの上映となった。 
  
  題名「HANA−BI」の「HANA(花)」は「生」を表し、「BI(火)」は銃撃、すなわち「死」をイメージしている。 
 「死」は北野武監督の映画の大きな柱になっているテーマであり、これまで一貫して追及してきたテーマである。それはここでも例外ではない。 
 そしてその「死」を象徴する「火」=「銃撃」すなわち暴力が唐突に現れてくるのもこれまでの映画同様である。 
 だが、ここで違っているのは現実の彼自身が交通事故によって生死の境をさまようという体験をしたことで死がより具体的で身近なものになったということである。 
 それまでは映画という虚構の世界の出来事としての「死」であったものがより鮮明で避けがたいイメージとして捉えられるようになったということだ。 
 そして鮮明度を増しただけ映像表現もより明確な焦点を結んだものになっているのである。 
 さらに北野武自身が入院中に描いたという「花」の絵や現実の花や海といった「生」を象徴するものが繰り返し登場してくることによって「死」の輪郭がより明確なものになっている。 
 また極端に少ないセリフや大胆な省略といったいつも通りの手法が映像の緊張感をさらに高めている。 
 とくに北野武自身が演じる主人公とその妻(岸本加世子)のふたりは「あの夏、いちばん静かな海」の聾唖の少年と少女のその後の姿ではないかと錯覚してしまうほど極端にセリフが少ない。 
 もちろん彼らふたりが聾唖の夫婦というわけではなく、セリフよりも絵によって語らせようという北野武流の手法によるものであり、これはその手法が到達したひとつの頂点を示したものといえるだろう。 
 それによって見事な映像詩の世界を作り上げている。 
  
 私は事故以前の北野武映画にはいささか懐疑的であった。 
だが、事故以後の作品である「キッズ・リターン」とこの「HANA−BI」には素直に感心してしまうのだ。 
 それまでの表現のややあやふやに思えた印象が消え、明確な像を結んできたように思える。 
 いわば彼の「人生の覚悟」といったふうなものを強く感じるのである。 
 人生の総括といったふうなもの、瑣末なものを削ぎ落とした末に見えてきたもの、それに向かって着実に歩み始めたのを感じるのである。 
 
 
監督 北野武 撮影 山本英夫 美術 織田典宏 音楽 久石譲
出演 北野武/岸本加世子/寺島進/大杉漣/渡辺哲/白竜/薬師寺保栄
 
 
関連作品 「キッズ・リターン」   関連サイト 「北野武ギャラリー」
 
 
 
 
 
 
 5/13 真夏の出来事 
 (96アメリカ)
 
 
 
  今売り出し中の女優、キャメロン・ディアスとハーベイ・カイテルが夫婦役というちょっとミスマッチのようにも思われる組み合わせのミステリーである。 
 判事であるハーベイ・カイテルが被告であった若い女性キャメロン・ディアスと結婚。 
 ふたりで離島の別荘にバカンスに来るところから物語は始まる。 
 別荘には管理する青年がひとりだけいる。 
 結局この島には3人以外に人は住んでおらず、外部との接触のまったくない密室ともいえる状態の中でキャメロン・ディアスの昔の恋人が突然島に現れることから犯罪が引き起こされる。 
 謎に満ちた伏線や力関係から次第に複雑な物語が展開していくが、いささか話に無理があり、いまひとつ乗り切れないところもある。 
 ただ強引に話を進めていく力技はなかなかのものではあるが。 
  あまり深く考えないで楽しめるという映画にはなっている。 
 
 
監督 ジム・ウィルソン 脚本 テレサ・マリー
撮影 リチャード・ボーウェン 音楽 クリストファー・ヤング
出演 ハーベイ・カイテル/キャメロン・ディアス
クレイグ・シェーファー/ビリー・ゼイン
 
 
 
 
 
 
 
5/14 グッド・ウィル・ハンティング・旅立ち
(97アメリカ)
 
 

 
 商用で年に何回か上京する機会があるが、その時は必ず1泊し、1日は仕事に当て後の1日はリサーチを兼ねた街歩きをするのがここ数年来のメニューになっている。 
 目的もなく東京の街を歩くことで新しい風俗を肌で感じたり、面白そうな情報を仕入れたりということをやっている。 
 今という時代の感覚を知ることは仕事をする上でとても大切なことなのだ。 
 また仕事のためということに限らず、それはとても刺激的で面白いことでもある。 
 新しく建設されたビルや地域を訪ねたり、若者が集まる街やプレイスポットを覗いたり、また時にはバスに乗って馴染みのない場所を当てもなく走り続けたり、時には遊覧船に乗って海上から東京の街を眺めたりと様々な方法で街歩きを繰り返している。 
 足が棒のようになるまで歩いても飽きることがない。 
 そして疲れたときには喫茶店に立ち寄りうまいコーヒーを飲みながら街を眺める。 
 また美術館の静かな空間に身を置いて心身共にリラックスした時間を過ごしたり、図書館で休息を兼ねた読書をするということもある。 
 時には映画館で映画を観て過ごすということもある。 
 そんな一日を過ごすことで精神的なリフレッシュをしているのである。 
  
 ということで今回の上京時は街歩きの後の空いた時間に新宿ピカデリーで話題の映画「グッド・ウイル・ハンティング/旅立ち」を観ることにした。 
  そしてその選択は間違っておらず、いい映画をじっくりと味わう時間が持てたのだ。 
 この映画ではロビン・ウイリアムスがアカデミー賞の助演男優賞を受賞、シナリオを書き同時に主役も演じたマット・デイモンとベン・アフレックのふたりが脚本賞を受賞している。 
  このシナリオはマット・ディモンがハーバード大学の学生だった時に書いた戯曲をもとに幼なじみのベン・アフレックとふたりでEメールを交換しながら書いたものである。 
 そしてそれをエージェントに渡す際にこの映画の主役は自分たちふたりが演じることという条件をつけた。 
 当時のふたりはまだ無名の俳優で、その条件を飲もうというものが簡単に見つかるとは思えなかったが、彼らは引き下がらなかった。 
 そして案の定このシナリオを映画化しようという者は現れず、長い間捨て置かれるままになっていた。 
 映画化されるまでにはまだ幾分かの時間とチャンスが必要であったというわけだ。 
 数年後マット・ディモンが「レインメーカー」(監督フランシス・フォード・コッポラ)で主役を演ずることになった時、インディペンデント映画の製作で有名なミラマックス社がこのシナリオに目を止め、ようやくにして彼らの条件を受け入れて映画化されることになったのだ。 
 そして映画化された作品がアケデミー賞の2部門を受賞するという快挙を成し遂げたのである。 
 シルベスタ・スタローンが「ロッキー」で掴んだようなアメリカン・ドリームがまたもやハリウッドで起きたのだ。 
 そして今やマット・ディモンとベン・アフレックはハリウッドの若手俳優のなかでもっとも注目すべき俳優となったのだ。 
 こうした成功物語が成立するところがいかにもアメリカ的であり、かつまたハリウッドの層の厚さを感じさせるところでもある。 
  
 さて物語のほうはというとマット・ディモンとベン・アフレックがともに育ったボストンが舞台となっている。 
 ボストンでも貧しい地区であるサウス・ボストンに住む青年ウイル・ハンティング(マット・デイモン)が主人公である。 
 彼は孤児である。  
 だが彼には気のおけない数人の仲間(そのなかのひとりがベン・アフレックが演じるチャッキーである)がおり、マサチューセッツ工科大学の清掃人や工事現場の手伝いをしながらの自由で気ままな生活を送っている。 
 ある日、大学の廊下の黒板に難解な高等数学の問題が出題される。 
 それは大学教授ランボー(ステラン・スカラスゲールド、あの「奇跡の海」の主人公を演じた俳優だ。役柄の違いから最初は気づかなかった)が学生たちに向けて挑戦的に出題した問題であった。 
 誰も解けない難問を清掃中のハンティングがふと目にし、いとも簡単に解いてしまう。 
 ここから青年ウイル・ハンティングの人生が大きく変わっていくことになる。 
 おそらく学生には解けないだろうと予想していたランボー教授は驚き、さっそくその人物を捜し出そうとするが、どの学生にも該当者はなく、紆余曲折の後ウィル・ハンティングを見つけだす。 
 だが、彼は傷害事件を起こして拘置所に拘留された身であった。 
 その才能を惜しんだランボー教授は身元引受人となって彼を救い出す。 
 そして釈放の条件として出されたウィルのカウンセリングを実行するが、かたくなに心を閉ざすウィルにどのカウンセラーも長続きしない。 
  万策尽きた教授は大学時代の友人であるショーン・マクガイア(ロビン・ウイリアムス)にその役を依頼する。 
 ここからショーンとウィルの静かなる闘いが始まるのである。 
 そしてそれにランボー教授とマクガイアの対立がからんで3者3様の人生が浮き彫りにされてくる。 
 またウィルが知り合ったハーバード大学の学生であるガール・フレンド(ミニー・ドライバー)との愛情問題や親友チャッキーとの友情が重ねて描かれることでウィルのこれまでの人生やトラウマが浮かび上がってくる。 
 そしてそれが原因でウィルは傷つくことを怖れて何事にも消極的で、どうしてもあと一歩を踏み出せないでいる若者だということが明らかになってくるのだ。 
 そんなウィルがどうやってそれを克服し新しい世界へと旅立っていくのかが静かな感動をともなって描かれるのである。 
  青年の自立と旅立ちという青春映画お決まりのテーマがここでは現代的な衣装を纏って語られることで新しさを獲得している。 
 さらに監督のガス・ヴァン・サントは決して声高にならず日常的な視点を見失うことなく描ききっている。 
 彼のこれまでのやや過激と思われるフィルモグラフィーからすれば(「ドラッグストア・カーボーイ」や「マイ・プライベート・アイダホ」)これはなんと静かでおとなしい青春映画であることか。 
 だがこの傷つき悩みながら成長していくウィルの姿は「ドラッグストア・カーボーイ」や「マイ・プライベート・アイダホ」の若者たちと比べても決して異質なものではなく、ともに根を同じくした傷ついた者同士だということが映画を観ているうちにわかってくる。 
  そしてウィルの心を開かせることになるマクガイアもしかりである。 
 最愛の妻を亡くし、ウィル同様に自分の殻に閉じこもっていたマクガイアもウィルの旅立ちをきっかけに新しい人生へと出発する決意をするのだ。 
 救い出そうと手を差しのべた人間が相手とともに自分も癒されていく。 
 そんな幸運な出逢いがここにはある。 
  人生における人との出逢いの大切さ不思議さを静かな感動で描いた映画であった。 
 

 
製作 ローレンス・ベンダー 監督 ガス・ヴァン・サント 脚本 マット・デイモン/ベン・アフレック 
撮影 ジャン・イブ・エスコフィエ 音楽 ダニー・エルフマン
出演 マット・デイモン/ロビン・ウイリアムス/ベン・アフレック
ステラン・スカラスゲールド/ミニー・ドライバー
 
 
 
 
 
 
5/18 八日目
(96 フランス・ベルギー)
  
 
 
 ベルギーの映画監督ジャコ・ヴァン・ドルマルの初監督作品「トト・ザ・ヒーロー」は美しくも悲しい物語で心に残る映画であった。  
 この映画で彼は1991年のカンヌ映画祭カメラ・ドール賞(最優秀新人監督賞)を受賞している。  
 それから5年、ようやく完成した第2作目がこの「八日目」という映画である。  
 母親に会いたいという想いを募らせて施設を抜け出したダウン症の青年と、仕事一筋で生きてきたために家族から愛想づかしをされ家庭を壊してしまった男が車の事故によって出会い、ともに家族を求める旅に出かけることになる。  
 その旅の途中に起きる様々な出来事の中でふたりの心が触れ合い、次第に離れ難くなっていく様子が巧みな映像表現で描かれていく。   
 主役の男をフランス映画界を代表する俳優であるダニエル・オートゥユが演じ、ダウン症の青年をパスカル・デュケンヌが演じているが、彼は現実でも本当のダウン症の俳優で、「トト・ザ・ヒーロー」をはじめ何本かの映画の出演経験をもっているということだ。  
  この映画の「八日目」という題名も旧約聖書で神が七日間で天地を創造した後の八日目に彼らを創り出したという話に基づいている。  
 「無垢なる者」によって迷える者が次第に癒されていくという物語はいささか使い古された感がある。  
 そうした設定だけでは今はもうあまり見向きもされなくなってきている。  
 それをどう見せて泣かせるかという芸が問われることになるわけで、ドルマル監督はここでは本物のダウン症の青年を使うという荒技で見せようとするわけだ。  
 しかしその企みは成功しているとは言い難い。  
 作品の出来からすれば「トト・ザ・ヒーロー」のほうが数段上である。  
 いささか意気込みが先行してしまったという印象だ。  
 ただ、「トト・ザ・ヒーロー」でも感じたことだが、「人生はお祭りだ。辛いことも苦しいこともあるけれど精いっぱい人生を楽しもう」といった監督の前向きのメッセージは確かな感触で伝わってきた。  
  
 
監督・脚本 ジャコ・ヴァン・ドルマル
撮影 ワルテル・ヴァン・エンデ 音楽 ピエール・ヴァン・ドルマル
出演 ダニエル・オゥトーユ/パスカル・デュケンヌ/ミウ・ミウ
 
 
 
 
 
 
 
5/20 狼たちの街
 (96アメリカ)
  
 

 
 現代に生きるマオリ族を強烈な暴力で描いた「ワンス・ウオリアーズ」のリー・タマホリ監督がハリウッドに渡ってニック・ノルティの主演で撮ったフィルム・ノワールが「狼たちの街」である。 
 50年代のロサンジェルスを舞台に繰り広げられる謎めいた事件をニック・ノルティ率いる犯罪捜査班が法律すれすれの強引な捜査で次第に事件の核心へと迫っていく様子が重厚に描かれる。 
 50年代ファッションの街の風景が忠実に再現されており、その時代の光と影が画面から匂い立ってくる。 
 ニック・ノルティの片腕の刑事を演じるチャズ・パルミンテリが光っている。 
 こうした犯罪映画には欠かせないキャラクターだが、彼が出ることで独特の謎めいた雰囲気が画面に漂ってくるから不思議だ。 
 貴重なキャラクターである。 
  

 
監督リー・タマホリ 脚本 ピート・デクスター
撮影 ハスケル・ウェクスラー 音楽 デイブ・グルーシン
出演 ニック・ノルティ/チャズ・パルミンテリ
メラニー・グリフィス/マイケル・マドセン/ジョン・マルコビッチ
 
 
  
 
 
 
  
5/21 ラストマン・スタンディング
(98アメリカ)  
  
  
 黒澤明の「用心棒」のハリウッド版リメーク作品である。  
 主演はブルース・ウィリス。  
 「用心棒」のリメイクとしてはこれが2度目になり、過去にはクリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」があった。  
 この映画が大ヒットしたことでマカロニ・ウエスタンが続々と作られたことはよく知られている。  
 さらにこの時は盗作問題が大きな社会問題にまでなって大いに世間の注目を浴びた。  
 わが日本が誇る巨匠黒澤明の作品をよりにもよってイタリア製西部劇という得体の知れないゲテモノ映画の盗作にするとは実に不謹慎である、といった論調の記事が新聞紙上を賑わした。  
 これがハリウッドの正統派西部劇であればここまで問題は大きくならなかったかもしれないが、まだ海のものとも山のものとも知れないイタリア製西部劇とあっては世間の一斉砲火を浴びたのも致し方のないことだったかもしれない。  
 ただこの作品は焼き直しではあっても実に出来がよく、大ヒットをして監督のセルジオ・レオーネ、主演のクリント・イーストウッド、さらに主題曲を作曲したエンニオ・モリコーネの名声を高らしめることになった。  
 そして今回が2度目のリメークとなったわけである。  
 だがこちらは残念ながら凡作で、いまさら「用心棒」のリメークでもないだろうと不満のひとつも言いたくなる出来だ。  
 あまり楽しめない映画である。やたら拳銃をぶっ放して、派手な銃撃戦のつもりなのだろうが、芸がなくてつまらない。娯楽作なら娯楽作らしくもっと徹底して楽しめる映画にしてくれないと。どうも中途半端な作りの映画なのである。  
  
 
製作・監督・脚本 ウォルター・ヒル 撮影 ロイド・アハーン 音楽 ライ・クーダー
出演 ブルース・ウイリス/クリストファー・ウォーケン/ブルース・ダーン/ウィリアム・サンダーソン
 
 
 
 
 
 
5/24 秘密と嘘
(96イギリス)
  
  

  
 昨年度のキネマ旬報賞の外国映画部門第1位の映画が早くも衛星放送で放映された。  
 イギリスのマイク・リー監督が撮った映画で、この監督の演出法はシナリオを書かずに、俳優たちと徹底的な話し合いをしながら映画を組み立てていくというものだ。  
 そうした実験的な手法をとりながらも、この監督の撮る映画はきわめてオーソドックスで、家族や人生といったものを正攻法で描いていく。  
 そしてその演出法から生まれるリアルさが彼の映画を力強いものにしている。  
 この作品も生まれてすぐに里子に出された娘が養母の死後、ひとりで実の母親を捜し当てる物語なのだが、実にリアルで見応えがある。  
 静かで淡々と展開していく話で、一見何気なさそうに見えるのだが実は非常に緊迫感に富んでおりグングンと映画のなかに引き込まれていく。  
 非常に力強いものを感じる。  
 こうしたものこそ演出の力なのだろうと思う。  
 母親を演ずる女優がいかにもどこにでもいそうな女性という感じで、なかなかいい。  
 若い頃から現在までずっと不運続きで、なにもいいこともなく過ごしてきており、生活に疲れ切り、おそらくこれからもいいことが起こることはないだろうと思わせるような女性なのである。  
  だが実の娘が突然現れたことから彼女の人生が少しずつ拓けていきそうな兆しが見え始める。  
 最初は自分の娘だということを頑として認めず、ましてや相手が黒人の娘ときてはとても信じられず拒絶の姿勢を崩さなかった彼女だが、話を聞いているうちに次第に本当のことが見えてくる。  
  このあたりの事実が明らかになってくる場面はスリリングでなかなか見応えがある。  
 そして実の娘だということが判った後の次第にふたりが親しくなっていく様子が微笑ましい。  
   
 母親にはもうひとり私生児の娘がおり、彼女と同居しているが、この娘も母親同様不運をかこっており、将来に希望を持てないでいる  
 そして何かというと母親と衝突を繰り返すのである。  
 そんな母親と娘を何くれとなく支えているのが写真店を経営している母親の弟である。  
 彼は経営する写真店が順調でゆとりある生活をしているが、妻との間には子供がなく、そのことが原因で夫婦の関係がギクシャクしている。  
 みんなそれぞれに傷をもち、真実を隠そうと嘘をついており、それをやりすごすことでかろうじて現実を維持しようとしているのだ。  
 だがそんな「秘密と嘘」が弟の家で開かれた娘の誕生パーティーの席上で明らかにされる。  
 友人だと偽って黒人の娘を誕生パーティーに招いた母親がふとしたはずみからそのことを告白してしまう。  
 そしてパーティーが台無しになってしまった勢いからそれぞれの秘密が次第に明かされていく。  
 次々と現れる真実によってお互いが本音でぶつかり合い、傷があらわにされ、そして次第に誤解が解けはじめ、相手を許し合うようになっていく展開が見事である。  
  何度観ても涙を誘われる。  
 そしてラストシーンで母親がデッキチェアーのうえに寝ころんで暖かな陽の光を浴びながら呟く「人生っていいわね」というひと言が深く胸に沁みこんでくるのである。  
  
 
監督 マイク・リー 撮影 ディック・ポープ 音楽 アンドリュー・ディクソン
出演ブレンダ・ブレッシン/マリアンヌ・ジャン・バチスト/ティモシー・スポール
フィリス・ローガン/クレア・ラシュブルック/エリザベス・ベリントン
  
 
 
 
 
 
 
5/28 フルモンティ
(97イギリス)
 

  
 「秘密と嘘」に続いてまたイギリス映画を観る。  
 今回も上京時の空き時間に銀座の「シャンテ・シネ」で「フル・モンティ」を観た。  
 最近のイギリス映画の元気さがここのところやけに目につくようだ。  
  「トレインスポッティング」「秘密と嘘」「フル・モンティ」「ブラス」と立て続けに話題を呼ぶ映画が上映されている。  
 かってのイギリスは伝統と格式の国というイメージであったが、最近ではもっぱら失業と不況に喘ぐ混迷の国というイメージに変わってしまった。  
 そうした社会背景は映画の世界には敏感に現れてくるもので、これらの映画はどれもそうしたなかで懸命に生きようとする人間たちを描いたものばかりである。  
 「フル・モンティ」の場合はまさに失業者が物語の主人公になっている。  
 「トレインスポッティング」で暴力的なヤク中毒の男を演じたロバート・カーライルが一転してそんな主人公を演じている。  
 舞台は北イギリスの炭坑町。不況に苦しむこの町では失業者が町に溢れている。  
 彼らはなんとか仕事に就こうと懸命なのだが思うように職にありつけない。  
  そんな無為な日々のなかでロバート・カーライル扮する主人公が町のストリップ劇場で男性ストリップに熱狂する女たちの姿を目にする。  
 そして男性ストリッパーたちの実入りのよさを知ると、無謀にも男性ストリッパーを目指そうという考えにとりつかれてしまうのだ。  
 さっそく旧知の失業者仲間たちに声をかけて一座を組むことになる。  
 とても男性ストリッパーには向きそうもない不器用で不細工な男たちが懸命にダンスの練習をし、晴れの舞台を目指す姿はユーモアあふれるものではあるが、それに賭けるしかないせっぱ詰まった姿は実に身につまされるものがある。  
 そしていつしかそんな彼らを真剣に応援する気持ちになっていく。  
 失業というピンチに立たされなければこんな冒険とは一生縁がなかったと思われる男たちが恥も外聞も乗り来えて舞台に立つ姿はまさに感動以外の何のものでもない。  
 そう感じるのは家族や友人たちにしても例外ではなく、最初は嫌がり反対していた者たちも彼らの真剣さに次第に態度を変え始めるのである。  
 そしてラストで彼らが舞台に立つ場面では大挙して客席に訪れて、それまでのわだかまりを越えて拍手喝采を送るのだ。  
 まさに生活に疲れ押さえつけられていたエネルギーがこの舞台を媒介にして一気に解放、爆発をするのである。  
 そしてわれわれ映画の観客も舞台の観客同様に拍手喝采を送ることになるのだ。  
  泣き、笑い、勇気を与えてくれる。  
 観ることの至福を久々に味わわせてくれた映画であった。  
  
 
監督 ピーター・カッタネオ 脚本 サイモン・ボーフォイ
撮影 ジョン・デ・ポーマン 音楽 アン・ダドリー
出演 ロバート・カーライル/トム・ウィルキンソン/マーク・アディ
リスリー・シャープ/ポール・バーバー/スティーブ・ヒューイソン
 
 
 
 
  
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