2002年10月31日
 
 
 
 
阿弥陀堂だより
 2002年日本作品

 
監督: 小泉堯史  原作: 南木佳士 
プロデューサー: 柘植靖司/ 桜井勉/ 荒木美也子  
エグゼクティブプロデューサー: 原正人/ 椎名保  
撮影: 上田正治  美術: 村木与四郎/ 酒井賢  
編集: 阿賀英登  音楽: 加古隆  
出演: 寺尾聰/ 樋口可南子/ 田村高廣/ 香川京子 
 井川比佐志/ 吉岡秀隆/ 小西真奈美/ 塩屋洋子 
 内藤安彦/ 荒野祥司/ 北林谷栄 

 「生きる」ということ、そして「死ぬ」ということを自然と共に生きる人々の素朴な生活を通してあらためて見つめ直そうとした作品である。   
 前作「雨あがる」で故黒澤明監督の遺志を継いで、爽やかで心暖まる作品を作り上げた小泉堯史監督が前作同様黒澤組のスタッフと組んで生み出した作品。   
 原作は芥川賞作家、南木佳士の同名小説。   
 奥信濃で1年間撮影したという四季の移り変わりが美しい。   
 そしてその美しさがそこで生きる人々の素朴な生活を確かなものにしている。   
 それはかつて日本の各地でふつうに営まれていたにちがいない伝統的な営みである。   
 自然と共に生き、生きていることに感謝をするといった現代人が忘れかけた生活、だからこそ現代人が憧れてやまない生活がここにはある。   
 そしてそれを体現するのが村の死者たちが祀られた阿弥陀堂で暮らす、おうめ婆さんである。   
 演じるのは北林谷栄、何十年にもわたってさまざまな「老婆」を演じ続けてきた彼女の集大成のような老婆である。   
 96歳のおうめ婆さんを91歳になる北林谷栄が演じる。   
 ほぼ実年齢に近い老婆を、演技しているとは思えないほどの自然さで演じている。   
 それはまるで彼女自身ほんとうにそこで長年生活していたのではと錯覚させられるほどの自然さである。   
 彼女以外にも地元の老女が数人登場してインタビュー形式で語るという場面が出てくるが、そんな老女たちに混じっても違和感を感じない。   
 まさに至芸と呼ぶにふさわしい。   
 そんな彼女のたたずまい、語る言葉、生き方が病んだ心を癒そうとこの地に移り住んできた主人公夫婦の心にしみ込んでゆく。   
 同時にそれは私たちの胸にも深く響いてくる。   
 彼女の言葉は難病を抱えた少女、小百合によって聞き書きされて「阿弥陀堂だより」として村の広報誌に連載される。   
 そこには次のような言葉が記されている。   
    
 「畑にはなんでも植えてあります。   
 ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、スイカ・・・・。   
 そのとき体が欲しがるものを好きなように食べてきました。   
 質素なものばかり食べていたのが長寿につながったとしたら、   
 それはお金がなかったからできたのです。貧乏はありがたいことです。   
    
 雪が降ると山と里の境がなくなり、どこも白一色になります。   
 山の奥にあるご先祖様たちの住むあの世と、里のこの世の境がなくなって、   
 どちらがどちらだかわからなくなるのが冬です。   
    
 春、夏、秋、冬。   
 はっきりしてきた山と里との境が少しづつ消えてゆき、一年がめぐります。   
 人の一生とおなじなのだと、この歳にしてしみじみ気がつきました。   
 お盆になると亡くなった人たちが阿弥陀堂にたくさんやってきます。   
 迎え火を焚いてお迎えし、眠くなるまで話をします。   
 話しているうちに、自分がこの世の者なのか、あの世の者なのか分からなくなります。   
 もう少し若かった頃はこんなことはなかったのです。   
 恐くはありません。   
 夢のようで、このまま醒めなければいいと思ったりします。」   
    
 欲も得もなく、あるがままの生をあるがままに受け入れ、そして自然の恵みに感謝をし、自然と共に生きる人間本来の一種理想的な生き方がここには語られている。   
 生も死も自然の一部として同列に存在する生活。   
 生活実感から生まれた飾り気のない言葉にわれわれは大いに勇気づけられる。   
    
 さらにもうひとり主人公夫婦を強く惹きつける人物が登場する。   
 夫の中学校時代の恩師、幸田重長である。   
 演じるのは田村高廣。  
 末期ガンに冒された彼は現代医学の治療を拒んで自然な死を迎えようとしている。   
 そして望みどおりの死を迎えることになる。   
 死と向かい合って生きる最期の日々を田村高廣が淡々と演じて印象に残る。 
 そこには言い知れぬ苦悩があったにちがいない。  
 諦念と悟りがないまぜになった彼の表情からそれは容易に窺うことができるのである。 
 だがそうした苦しみを乗り越えた今は清々しい気分が漂っているだけである。  
 そんな生き方(死に方)が主人公夫婦に強い感動を与える。 
 彼の死後、その遺志を受け継いだ夫が村の祭礼で剣舞を舞う。   
 それは死者の霊を慰めると同時に生きている者の心も浄化させるものである。  
  
 人と出会い、自然と触れ合うのなかで主人公夫婦は再生されていくのだが、 それは彼らふたりがなにごとも受け入れようとする謙虚さをもっているからである。 
 肩の力を抜き何事に対しても自然体で接しようとする。 
 そしてそのなかから生きる活力や知恵を学び取ろうとする。 
 そんなふたりを寺尾聰と樋口可南子が好演している。 
 「女殺油地獄」以来9年ぶりの映画出演になる樋口可南子、そして小泉監督の前作「雨あがる」に続いての出演となる寺尾聰。 
 互いに寄り添い支え合う夫婦をごく自然に演じている。 
  
 最後に、この映画のキーワードになるような言葉がふたつ登場するが、それを書いておく。 
 ひとつは夫婦が移り住んだ家の壁に古くから貼ってあった宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ」。 
 もうひとつは恩師が毎日欠かさず書き続けている良寛の書「天上大風」。 
 このふたつの言葉に込められた願いが映画から確実に伝わってきた。 
2002/11/28
 
  
  
 
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