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●監督:キャロル・バラード ●原作:ビル・リッシュマン
●脚本:ロバート・ロダット/ヴィンス・マッキュウィン ●製作総指揮:サンディ・ガリン ●製作:ジョン・ヴェイチ/キャロル・バウム ●撮影:キャレブ・デシャネル ●音楽:マーク・アイシャム ●出演:ジェフ・ダニエルズ/アンナ・パキン/ダナ・デラニー/テリー・キニー ホルター・グレアム/ジェレミー・ラッチフォード/デボラ・ヴァージネラ マイケル・J・レイノルズ/デヴィッド・ヘンブレン/ケン・ジェームズ 1996年アメリカ作品
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少女が卵を見つけ、それを孵して育てた鴨を越冬する土地に連れていくまでを描いたこのシンプルな映画になぜか何度も泣かされてしまった。
少女が母親を事故で亡くし、別れた父親のもとで新しい生活を始めなければならないといった困難を背負っており、その困難をどう乗り越えていくかというドラマや自然保護をめぐる争いといった味付けはされてはいるものの、それもとりたててドラマティックというほどではなく、定石通りのものでしかない。 ではなににそれほど感動したかといえば、鴨たちが少女の操縦する軽飛行機に連なって飛んでいくという、ただそれだけに単純に感動して涙したのである。 生まれて初めて目にしたものを親として認識するいわゆる刷り込みという鴨の習性で少女を親と思いこんでいる鴨たちはいつも少女の後を追って行動する。 そしてその習性を利用して空を飛ぶことを教え、遠く離れた越冬地まで連れていこうという計画を父親が思いついたとき誰もそんなことはできるはずがないと思いこむ。 だがあきらめず何度もトライするうちにある日とうとう鴨たちが軽飛行機といっしょに飛ぶことに成功する。 その時の「やった!」とういう感動だけでもうじゅうぶんこの映画を観た値打ちがあったと思ったのである。 少女の操縦する軽飛行機を先頭に整然と隊列をなして飛行する鴨たちのけなげさにはもうわけもなく胸が熱くなってしまうのだ。 実に美しく映画的な風景である。 こうした至福の瞬間を味わえるからこそ私は映画を見続けるのである。 2001/03/19
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●監督・製作:リドリー・スコット ●脚本:ロザリン・ボッシェ
●製作総指揮:ミミ・ポーク・ソテラ/イエン・スミス ●製作:アラン・ゴールドマン ●撮影:エイドリアン・ビドル ●音楽:ヴァンゲリス ●出演:ジェラール・ドパルデュー/シガーニー・ウィーヴァー/アーマンド・アサンテ アンヘラ・モリーナ/フェルナンド・レイ/チェッキー・カリョ/ケヴィン・ダン フランク・ランジェラ/マイケル・ウィンコット/ローレン・ディーン 1992年アメリカ/フランス/スペイン作品
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冒頭に流れるコロンブスの言葉、「万人の同意が人類の進歩をうながしたことはない。人より先に目覚めた者はそれがために苦難の道を歩む。」が印象に残る。
そしてこの言葉がこの映画のすべてを表しているのだ。 キリスト教的世界観や迷信によって縛られた15世紀の社会のなかでコロンブスの挑もうとする冒険がいかに破天荒で困難なことだったかがよくわかる。 映画の前半はそれをどう克服していくかがエネルギッシュに描かれる。 だが新大陸発見後の建設がそれ以上に困難をきわめたものであったのだ。 異文化が遭遇することで生じる軋みや争いはいつの時代でも同じである。 そのなかで悪戦苦闘するコロンブスの姿にかつての冒険家としての力強さや矜持は見られない。 結局コロンブスは新世界の建設に失敗したことで歴史の表舞台からは消え去ることになるのだが、映画では人間コロンブスの人生がけっして失敗に終わったものではなかったことを匂わせて終わる。 コロンブスを演じたジェラール・ドパデューがその栄光と挫折をスケール大きく演じて見ごたえがある。 2001/03/24
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●監督:ロバート・ロンゴ ●原作・脚本:ウィリアム・ギブソン
●製作:ドン・カーモディ ●撮影:フランソワ・プロタ ●音楽:マイケル・ダナ ●デザイン:シド・ミード ●出演:キアヌ・リーヴス/北野武/ディナ・メイヤー/アイス・T ドルフ・ラングレン/ヘンリー・ロリンズ/ウド・キア/バルバラ・スコヴァ 1995年アメリカ作品
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●監督:ジョン・フランケンハイマー ●脚本:アーレン・クルーガー
●製作:マーティ・カッツ/ボブ・ウェインスタイン/クリス・ムーア ●撮影:アラン・カーソ ●音楽:アラン・シルヴェストリ ●出演:ベン・アフレック/ゲイリー・シニーズ/シャーリーズ・セロン デニス・ファリナ/ジェームズ・フレイン/ドナル・ローグ/ダニー・トレホ 2000年アメリカ作品
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「RONIN」でまだまだ衰えないところを見せたジョン・フランケンハイマー監督がそれに続いて放ったアクションミステリー。
前作同様の面白さを期待したがいささか消化不良気味。 刑期を終えて刑務所を出獄した男が殺された同房の男になりすまし彼の文通相手の女性と会ったことから事件に巻き込まれていくという出だしはなかなか謎に満ちていて興味をひかれる。 そして彼女の魅力に囚われていくにつれて次第に抜き差しならない事件に巻き込まれていくあたりは快調で、とても悪人には見えないベン・アフレックの運の悪さについ同情してしまう。 はたしてこの事件の裏にはいったいどんな謎が隠されているのか興味深々なのだが、最後の種明かしでそれがいっきにしぼんでしまう。 「ちょっとそれはないんじゃないの」と文句のひとつも言ってみたくなる。 やはりミステリーは最後の締めが肝心ということである。 2001/04/01
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●監督・脚本:ペドロ・アルモドバル
●撮影:アファンソ・ペアト ●音楽:アルベルト・イグレシアス ●出演:セシリア・ロス/マリサ・パレデス/ペネロペ・クルス アントニア・サン・ファン 1999年スペイン作品
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スペインの鬼才、ぺトロ・アルモドバル監督といえば「神経衰弱ぎりぎりの女たち」「ハイヒール」「キカ」といった作品が示すように世間の常識からはみ出したいっぷう変わった映画を作ることで知られている。
で、この作品だが、底に流れるものは同じだが、これまでの作品とはいささか異なって語り口が平明でわかりやすい。 だがその淡々とした語りが重っていくにしたがって次第に力強いものを感じ始める。 そして最後には大きな感動のなかへと引き込まれていってしまう。 これまでのアルモドバル監督の映画は正直言っていまひとつついていけないところがあった。 そりが合わないというか、嗜好の違いというか、いつも途中で退屈してしまうのだ。 どの作品も意欲作であることは認めるが、どうもうまが合わない監督だというふうに思っていた。 だがこの映画ではその印象が違い、まったく退屈せず素直に感動したのである。 重要な登場人物がみんな女性だというのはやはりこれまでどおり。 またそれぞれが大きな欠点や暗い過去や傷をもち、しかも世間からつまはじきにあっている女性たちで、さらにゲイが重要な存在としてからんでくるといったところも同様である。 そんな彼女や彼たちが世間の偏見や冷たい目に晒されても、たくましく前向きに生きていく。 どんなに欠落したものを抱えていようと、ありのままの自分を受け入れて生きていく。 完璧な人間なんていない、どんな人間でも必ず欠落したものを抱えているのだ。 そこにこの映画の普遍性がある。 そしてそんな彼女や彼たちの力強い生き方に勇気を与えられるのである。 こういう映画を見ると人間が愛しく思え、ほんとうに人間が好きになれる。 2001/04/01
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