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●監督・脚本:ボブ・クラーク ●撮影:レジナルド・H・モリス
●音楽:カール・ジェットラー ●出演:ダン・モナハン/カーキー・ハンター/ナンシー・パースンズ 1981年アメリカ/カナダ作品
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青春のおかしみと情けなさを50年代ヒット曲にのせて軽快に描いた青春コメディー。
1981年の作品だが、この頃の青春も今とちっとも変わっていないのがよく分かる。 セックスしか頭になく、その衝動と妄想に振り回されてつぎつぎと失敗をくりかえす彼らの姿が情けなくもあるしおかしくもあり、また可愛くもある。 それが健康な青春の姿ということなのであろうと思う。 |
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●監督:リサ・ブラモン・ガルシア ●脚本:シェイナ・ラーセン
●製作:ベッツィ・ビアーズ、デイヴィッド・ゲイル、ヴァン・トフラー ●撮影:フランク・プリンジ ●音楽:マイケル・ブラモン ●出演:デイヴ・チャペル/ポール・ラッド/コートニー・ラヴ/マーサ・プリンプトン キャスリーン・ケルナー/ベン・アフレック/ブライアン・マッカーディ エルヴィス・コステロ/ニコール・パーカー/アンジェラ・フェザーストン 1998年アメリカ作品
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1981年の大晦日、総勢17人の男女が誰と大晦日を過ごすかを巡って繰り広げるラブ・コメディ。
それぞれの男女が偶然同じタクシーを利用して、さまざまな恋の駆け引きを経た後に最後は同じパーティ会場に集まってくるという仕掛けになっている。 大晦日という特別な夜の脳天気で上気した気分そのままにドラマは進行していくが、そんな彼らといっしょに最後までつき合っていくうちにいささかげんなりした気分にさせられる。 そんなわけで大晦日の乱痴気騒ぎの後に迎えた新年の朝の気だるさや苦さを、見ているこちら側も同様に感じてしまったというわけである。 |
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●監督・脚本:テリー・ギリアム ●原作:ハンター・S・トンプソン
●脚本:トニー・グリソーニ/トッド・ディヴィーズ/アレックス・コックス ●製作:ライラ・ナブルシー/パトリック・カサベッティ/ステファン・ネメス ●撮影:ニコラ・ペコリーニ ●美術:アレックス・マクドゥエル ●音楽:レイ・クーパー/布袋寅泰 ●出演:ジョニー・デップ/ベニチオ・デル・トロ/トビー・マグワイア キャメロン・ディアス/マーク・ハーモン/クリスティーナ・リッチ/エレン・バーキン 1999年アメリカ作品
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「1971年、それは神様が創造をしくじった年。」と原作者のハンター・S・トンプソンが言うようにこの映画は始まりから終わりまでドラッグの幻覚に陥ったふたりの男の奇行と大脱線を延々と追っていく。
その徹底ぶりとメチャクチャさはまさに鬼才テリー・ギリアムらしいやりたい放題で、別の意味で見事としかいいようのないものだ。 ただしこうした映像の垂れ流しにつき合うにはこちらはいささかエネルギー不足で、いいかげん途中でギブアップしたくなる。 原題の「FEAR AND LOATHING IN LAS VEGAS」(「恐怖と嫌悪のラスベガス」)が表すようにまさしく観ているこちらの気分も最悪になる。 結局彼らふたりは本来の目的であるレース取材には何の成果も残さずに、乱暴狼藉の限りを尽くしただけでラスベガスを後にする。 ここに至ってようやくこちらの気分も開放されて、ほっとする。 だからラストに流れるローリング・ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のメロディーがなんとも心地よく響いてくることになる。 主役のジョニー・デップが原作者ハンター・S・トンプソンの形態模写よろしく頭を禿頭にして怪演しているのにはいささか驚きを通り越してあきれてしまう。 そのことひとつをとってもこの映画のワル乗りさ加減がわかろうというものだ。 「人間は獣になることで人間としての苦悩を忘れる。」というハンター・S・トンプソンの言葉が映画の冒頭に示されるが、彼らは果たしてこうした脱線によって苦悩を忘れることができたのだろうか。 |
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●監督・脚本:ミカ・カウリスマキ ●原作・脚本:リチャード・レイナー
●出演:ヴィンセント・ギャロ/ジュリー・デルピー/デイヴィッド・テナント ヴァネッサ・ショウ/ジョニー・デップ/アヌーク・エーメ/アマンダ・プラマー 1998年イギリス/フランス/フィンランド作品
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素朴なイギリス青年リチャードがロサンゼルスから旅行に来た女優の卵バーバラに一目惚れ、彼女を追ってはるばるロサンゼルスまでやってくる。
しかしロサンゼルスでの生活は戸惑うことばかり。 ところが偶然知り合ったギタリストのモスの世話でなんとかロスでの生活の目途がつく。 こうしてリチャード、バーバラ、モス、そしてバーバラの親友ジュリーを加えた4人の交流が始まることになる。 そんなハイでハッピーな青春を描いているが、ギタリストのモスを演じたヴィンセント・ギャロのかっこよさばかりが目につく映画だ。 「バッファロー66」の主人公と幾分重なるようなこの役はヴィンセント・ギャロならではのものである。 さらには監督のミカ・カウリスマキの弟アキ・カウリスマキの映画でお馴染みのレニングラード・カウボーイズが出演し、ヴィンセント・ギャロとのセッションが見られるのもこの映画の大きな見どころである。 異邦人(ミカ・カウリスマキ)の目で見た現代ロサンゼルス案内といった趣の映画である。 また主人公リチャードが映画フリークということもあって、ハリウッド映画の舞台裏を皮肉ったり、ジョニー・デップ、アヌーク・エーメ、アマンダ・プラマー等々がカメオ出演をしているのも楽しい。 |
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●監督・原案:ブラッド・バード ●原作:テッド・ヒューズ
●脚本:ティム・マッカンリース ●製作:アリソン・アベイト/デス・マッカナフ ●製作総指揮:ピート・タウンシェント ●音楽:マイケル・カーメン ●声の出演:イーライ・マリエンタール/ハリー・コニックJr/ヴィン・ディーゼル クリストファー・マクドナルド/ジェニファー・アニストン/ジョン・マホニー 1999年アメリカ作品
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時は1957年、ソビエトが世界で初めて人工衛星スプートニクを宇宙の軌道に乗せることに成功したこの年に、アメリカ、メイン州のロックウエノレという小さな町に宇宙から巨大なロボットが落ちてくる。
そのロボットを森の中で発見したのが主人公の少年ホーガースであった。 身の丈30メートル、全身が鋼鉄の巨大ロボットはそのいかつさとは正反対にまるで生まれたての赤ん坊のように何ものにも染まっていない純真無垢なロボットであった。 捨て犬や捨て猫を育てるようにホーガースはロボットにさまざまなことを教え込む。 生きるとはどういうことか、死ぬということはどういうことか、そんな根源的なテーマを子供ながらの理解の範囲のなかで教え込んでいく。 次第に成長していくロボットはいつしか少年の願いが乗り移ったかのような存在になていく。 そして「スーパーマン」のように強く正しく生きたいと願うようになる。 そんな彼が愚かな人間たちが引き起こした危機に身を挺してくい止めようとする姿が感動的に描かれていく。 「ぼく、スーパーマン」とつぶやきながらミサイルに向かっていく姿には涙が誘われる。 それはアニメ「鉄腕アトム」のラストでアトムが人間のためにミサイルに突っ込んでいく姿と重なるものである。 こうした究極の自己犠牲にはいつ見ても涙を誘われる。 |
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