2000年5月 NO.2
  
  
DEAD MAN
5/11 デッドマン

 
●監督・脚本:ジム・ジャームッシュ 
●製作:デメトラ・J・マクブライド  
●撮影:ロビー・ミューラー ●音楽:ニール・ヤング 
●出演:ジョニー・デップ/ロバート・ミッチャム/ミリー・アヴィタル 
  ゲイリー・ファーマー/ランス・ヘンリクセン/マイケル・ウィンコット 
  
1995年アメリカ作品 

 ひたすら漂泊する魂を描き続けるジム・ジャームッシュの異色の西部劇。 
 というよりもジョニー・デップ演ずる死にゆく者である会計士ウィリアム・ブレイクの死に出の旅を追い続けた映画といったほうがいいかもしれない。 
 旅の水先案内人になるのがノーボディ(誰でもない)という名のインディアン。 
 彼の語る先住民族インディアンの世界観が次第にウィリアム・ブレイクの心をとらえ、穏やかで優しい境地へと導かれていく。 
 それと同時に、われわれ観客もこの奇妙で哲学的な旅によって不思議な感覚を味わうことになる。 
 それは現実に存在する土地を旅するというよりも、存在しない場所、夢のなかでしか出会うことのない架空の場所を旅していくとでもいいたいような感覚である。 
 映画の冒頭にメスカリンで幻想旅行を体験した詩人アンリ・ミショーの言葉を引用していることからもそれは明かであろう。 
 また主人公の名前がイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクと同姓同名というところにもそうしたことを読みとることができる。 
 映画はノーボディのいう「命の源、魂の故郷」を目指して進んでいく。 
 それはすなわち「海と空が出会う鏡の一点」である。 
 まさにアルチュール・ランボーが「永遠」で詠った場所と同様の地点である。 
 瀕死の重傷を負ったウィリアム・ブレイクをのせたカヌーがその場所を目指して静かに流されていくラストシーンはだからこそ葬送の厳粛さと美しさをみせている。 
 そしてそこにニール・ヤングの奏でるすすり泣くようなギターの旋律が重なることでよりいっそうその思いが掻き立てられることになる。 
 一編の長大な詩を読んだかのような印象を残す作品である。

 
 
ERENDIRA
5/18 エレンディラ

 
●監督:ルイ・グエッラ ●原作・脚本:ガブリエル・ガルシア・マルケス 
●撮影:デニス・クレルバル/ロベルト・リベラ ●音楽:モーリス・レクール 
●出演:イレーネ・パパス/クラウディア・オハナ/ミシェル・ロンスダール/ルフェ 
  
  
1983年フランス/メキシコ/西ドイツ作品 


 
 
 
PADRE PADRONE
5/19 父/パードレ・パドローネ 

 
●監督・脚本:パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ ●原作:ガヴィーノ・レッダ  
●撮影:マリオ・マシーニ ●音楽:エジスト・マッキ 
●出演:オメロ・アントヌッティ/セベリオ・マルコーニ/ナンニ・モレッティ 
  ガヴィーノ・レッダ/ファブリツィオ・フォルテ/マルテラ・ミケランジェリ 
  
1977年イタリア作品 


 
 
 
5/22 どら平太

 
●監督・脚本:市川崑 ●原作:山本周五郎  
●脚本:黒澤明/木下恵介/小林正樹 ●製作/美術:西岡善信  
●製作総指揮:中村雅哉 ●撮影:五十畑幸勇 ●音楽:谷川賢作  
●出演:役所広司/浅野ゆう子/宇崎竜童/片岡鶴太郎/菅原文太/石橋蓮司 
  石倉三郎/大滝秀治/加藤武/神山繁/三谷昇/津賀山正種/岸田今日子  
  うじきつよし/尾藤イサオ/江戸家猫八  
2000年日活作品 

 山本周五郎の小説「町奉行日記」を原作としたこの映画のシナリオは1969年に結成された「四騎の会」のメンバー(黒澤明、木下恵介、小林正樹、市川崑)によって書かれたものである。 
 それを四人それぞれが分担して演出することで一本の映画に仕上げようという構想であったが、残念ながら実現はされなかった。 
 そういった経緯のあるシナリオが今回ひとり残った市川崑監督の手で30年ぶりに映画化されたのだ。 
 まさに難産の末に生まれた作品ということになるのだが、こういったエピソードを知るにつけ、映画化にこぎつけるまでの紆余曲折がいかにさまざまな要素によって成り立っているかということに改めて思い至るのである。 
 そして映画化された作品の裏にいかに多くの陽の目を見ない企画があるかということも同時に想像させられるのだ。 
 そんな感慨をおぼえながらこの映画を観た。 
 ストーリーは「どら平太」と呼ばれる型破りの青年武士が町奉行に任命され、これまで手つかずにいた「壕外」と呼ばれる治外法権の悪所を独自の方法で一掃するというものである。 
 この「壕外」では3人の親分が実権を握り、密輸、賭博、売春などで莫大な利益を生み出しており、藩の重役たちも裏で秘かに結託していることから、これまでに着任したどの奉行もこの改革には失敗してきたという苦い経緯がある。 
 そこで最後の切り札として指名されたのが主人公、望月小平太であった。 
 彼は江戸では「どら平太」というあだ名をつけられるほどの名うての蕩児で、世評はすこぶる悪い。 
 だが同時に彼は剣の達人でもあり、その腕と世評の悪さを逆手に取った常識外れの行動でこれらの難問をつぎつぎと解決していくのである。 
 いわゆる「毒をもって毒を征する」というやつである。 
 こうしたお家騒動、藩政改革のストーリーを見ていると、原作がともに山本周五郎ということもあってかどうしても黒澤明監督の「椿三十郎」との共通性を感じてしまう。 
 そこで黒澤明ならこの映画をどう撮っただろうかなどと想像してしまい、つい「椿三十郎」と引き比べてしまうのである。 
 映像的には「どら平太」もなかなかに凝っており、(例のごとく市川崑お得意の陰影の強い画面が重厚である)遜色ないところがあるものの(もちろん時代劇を撮ることが困難な今の時代と「椿三十郎」の時代を比較すること自体無理があり、意味のないことかもしれないが)望月小平太の活躍にいまひとつ三十郎のような痛快さが感じられない。 
 同じ痛快娯楽時代劇としてはハラハラ、ドキドキといった要素がいまひとつ不足しているのだ。 
 望月小平太演じる役所広司はまさに適役で、この魅力的なキャラクターを軽妙洒脱に演じてなかなかいいのだが、その活躍に快感を感じるというところまではいっていない。 
 そのへんに少々不満は感じるものの、映画としては丁寧に作っており、まずまずの出来といえるだろう。 
 ただ名匠、市川崑の映画としてはどうしてもそれ以上のものを期待してしまうので、つい点数が辛くなってしまうのは致し方のないところだ。 
 ところで参考までに書いておくと、「四騎の会」の第1回作品は小林正樹監督の「いのちぼうにふろう」であり、こちらも同じく山本周五郎の小説が原作で、この「どら平太」の壕外に似た「島」と呼ばれる治外法権の場所を舞台にした無頼たちの青春時代劇であった。 
 こうした共通点もなかなか興味深いところである。

 
 
 
5/25 黒い家

 
●監督:森田芳光 ●原作:貴志祐介 ●脚本:大森寿美男 
●撮影:北信康 ●音楽:山崎哲雄 ●美術:山崎秀満 
●出演:内野聖陽/大竹しのぶ/西村雅彦/石橋蓮司/田中美里/小林薫 
 町田康/伊藤克信/友里千賀子/鷲尾真知子  
  
1999年作品 


  
 
WAKING NED DEVINE
5/29 ウェイクアップ!ネッド 

 
●監督・脚本:カーク・ジョーンズ  
●製作:グリニス・ミュレイ/リチャード・ホルムズ 
●撮影:ヘンリー・ブラハム ●音楽:ショーン・デイヴィ 
●出演:イアン・バネン/デヴィッド・ケリー/フィオヌラ・フラナガン 
  スーザン・リンチ/ジェイムズ・ネズビット 
  
1998年イギリス作品 

 舞台は南アイルランドの小さな村、タリ−モア。 
 たった52人しか住んでいないこの小さな村に突然降ってわいた宝くじ当選のニュース。 
 そのニュースを聞きつけた主人公ジャッキーはそのおこぼれにあずかろうと親友マイケルとともに当選者探しをはじめる。 
 あの手この手のアイデアで村人たちに探りを入れるふたりだが、いっこうにその人物は浮かび上がってこない。 
 そしてとうとう最後のひとりになったネッド・デヴァインを訪ねるとなんと彼は喜びのあまり当選クジを手にしたまま昇天してしまっていたのである。 
 ここからジャッキーとマイケルの当選金を手に入れるためのおかしくも涙ぐましい大芝居が始まるのである。 
 だが彼らはけっして欲ぼけした悪人などではなく、長年小さな村で分をわきまえて、小さな幸せに満足しながら生きてきたきわめて善良な人間たちなのである。 
 そんな彼らが一生に一度あるかないかの幸運を前にして、それを逃すものかと一喜一憂する姿が人情味あふれるタッチで描かれていく。 
 そしてこの大芝居は結局村人全員を巻き込んだ騒動へと発展していくことになるのである。 
 果たして彼らは無事賞金を手にすることができるのか、事の顛末はいかに? 
 ユーモアたっぷりに描かれる心暖まる物語、大いなる人間讃歌の物語である。 
 人間、欲につっぱるとロクなことはない、何事もほどほどに、そして幸運は独り占めするのではなく、みんなで公平に分けることで新たな幸せもつかめるのだといった教訓が爽やかだ。 
 なんだかこんな村の一員になって一生を過ごしたいなという気分になってしまった。

 
 
 
 
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