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●監督:ビレ・アウグスト ●脚本:ラファエル・イグレシアス
●原作:ビクトル・ユーゴー ●製作:サラ・ラドクリフ/ジェームズ・ゴーマン ●撮影:ユルゲン・パーソン ●編集:ヤヌス・ビレスコフ=ヤンセン ●音楽:ベイジル・ポールドゥリス ●美術:アンナ・アスプ ●出演:リーアム・ニーソン/ジェフリー・ラッシュ/ユマ・サーマン/クレア・デーンズ ハンス・マセソン/レイン・ブリノルフソン/ピーター・ボーン 1998年アメリカ作品 |
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●監督・脚本:クレール・ドゥニ ●脚本:ジャン=ポール・ファルジョー
●製作:ファビエンヌ・ヴォニエール/ルース・ワルドバーガー ●撮影:アニエス・ゴダール ●編集:ネリー・ケティエール ●音楽:ジャン=ルイ・ミュラ ●出演:カテリーナ・ゴルベワ/リシャール・クルセ/ヴァンサン・デユポン アレックス・デスカス/ベアトリス・ダル 1994年フランス作品 |
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●監督・脚本:合津直枝 ●原作:江國香織
●製作:鍋島嘉男 ●プロデューサー:合津直枝/当摩寿史 ●撮影:中堀正夫 ●音楽:西村由紀江 ●出演:原田知世/渡部篤郎/菅野美穂/木内みどり/大杉漣 国生さゆり/日比野克彦/浅野忠信/中井貴一 1998年松竹作品
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この映画はひとりの女性の愛の挫折と再生を今日的な視点から描いた物語である。
そしてそれをこれが映画初監督という会津直枝監督が女性らしい細やかな感覚で描いていく。 傷つきたくないがために、お互いが本音をぶつけ合うことを避け、優しさと寛容さで接しようとする今日的な男女の別れが本当はどれだけ深く心を傷つけているのかを、そしてそこから立ち直ることがいかに困難かということを何気ない日常のさまざまなエピソードを通して見せてくれる。 そしてそのやり場のない痛みが皮肉なことに別れの原因となった新しい恋人との触れ合いによって癒されていくというのが新鮮で面白い。 最初はその新しい恋人が突然、主人公のアパートに現れて、同居を始めてしまう展開にいささか戸惑ってしまうのだが、主人公が次第に彼女に惹かれていくのに同調するように、観ているこちらも奔放な彼女の存在に興味を覚えて惹かれ始め、最初に感じた違和感も次第に稀薄なものになっていく。 そしてそのうちに思ったことは、これはあるいは物わかりのいい主人公の気持ちを裏返しにした人物なのではなかろうかということである。 実在の人物であるようでいて、実は主人公の願望が作りだした幻想の人物のようにも思えてくるのだ。 現実には彼女のように自由奔放に振る舞えない主人公の隠された本音が投影された人物。 まるで子供がそのまま大人になってしまったかのように無邪気で天真爛漫な人物。 そんな彼女の存在を通して主人公自身の抑えた気持ちを解放させようとしているかのようなのだ。 そういえば、主人公も幼稚園でそうした無邪気な子供たちを相手に英語を教えている。 そうしたことにもなにかしら符号するものを感じさせるのだ。 とにかく本来ならば、けっして近づけることのないような恋敵を主人公はいとも簡単に受け入れてしまう。 こうしてふたりの、いや正確に言うならば、去っていった男を含めた3人の不思議な関係が始まっていくのである。 傷つき迷う主人公に対比させてしばしば登場してくる仲の良い老夫婦の姿が印象的だ。 若い彼女の不安定さと違って、老夫婦の姿にはそうした迷いや苦悩はなく、確かな安定がある。 また彼女の母親も同様で、再婚などいっさい考えず、ひたすら亡き夫の墓を守ることを自分の役目と心得ており、そこにも迷いはない。 そうした若さと老いがさりげなく対比されることで彼女の悩みや苦しみもよりいっそう際だったものとして伝わってくることになる。そしてそのことが映画に厚みをもたらすことにもなっているのだ。 こうした種類のなにげなく、それでいて映画に意味やふくらみを持たせるような描写がところどころに印象的に配されており、女性監督らしい細やかさを感じさせられる。 合津直枝監督はもともとは「幻の光」を手がけたプロデューサーとして知られた人である。 そして「幻の光」で描かれた「喪失と再生」というテーマがここでも見事に引き継がれて描かれているのである。 |
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●監督:サム・ライミ ●製作:アーミアン・バーンスタイン/エイミー・ロビンソン
●原作:マイケル・シャーラ ●脚本:ダナ・スティーブンス ●撮影:ジョン・ベイリー ●音楽:ベイジル・ポールドゥリス ●出演:ケビン・コスナー/ケリー・プレストン/ジョン・C・ライリー ジェナ・マローン/ブライアン・コックス/J・K・シモンズ 1999年アメリカ作品
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「アンタッチャブル」で初めてケビン・コスナーを知った時から彼のことをゲーリー・クーパーとスティーブ・マックィーンを足して2で割ったような風貌だと思っていた。
正統派二枚目であるゲーリー・クーパーの品の好さとマックィーンの野性味の両方を併せ持った魅力的な俳優という印象をもったのだ。 そしてその後はその印象に違わぬ活躍ぶりをみせて、いまやハリウッドを代表するスターのひとりとなり、クーパー、マックィーンの歩んだ道を確実に辿っているように見える。 それはクーパーも演じたことのある大リーグの選手をこの映画で演じているという共通性からも窺えることである。 クーパーの場合はルー・ゲーリックという実在の大リーガーで、コスナーが演じるビリー・チャンプという人物は架空の大リーガーという違いはあるにせよ、ともにアメリカを代表するプロ野球の選手を演じるということに変わりはなく、そのことによっていかにもアメリカ的な男性像を作り上げているのである。 野球好きのコスナーにとって野球を題材にした映画は「さよならゲーム」「フィールド・オブ・ドリームス」に続いて今回で3度目となる。 こうして何度も演じているということからもわかるように彼は野球のユニフォームがよく似合う。 また野球好きなだけあって、プレイ姿もなかなか堂に入っており、まさに大リーガーを演じて遜色がない。彼ほど大リーガーが似合う俳優は他にいないのではと思わせるものがある。 さて映画「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」である。デトロイト・タイガースの投手、ビリー・チャンプは40歳。 体力的な衰えを感じる彼は最終の登板試合直前にトレードか引退かという選択を迫られる。 さらにそれに加えて長年愛を育んできた恋人からも別れを告げられると云うダブル・パンチを浴びせられることになり、こうした経緯を抱えたまま最終試合のマウンドに登ることになるのである。 相手チームは優勝の秒読みに入っている名門ニューヨーク・ヤンキース。おまけに球場は相手のフランチャイズであるヤンキース・スタジアムとあって、ほとんどがヤンキース・ファンで埋まっている。 こうして孤立無援となった敵地での人生の岐路に立たされたビリー・チャンプの孤独な戦いが開始されるのだ。 そしてこの試合と平行しながら、彼のこれまでの人生が静かに綴られていく。 亡き父や母との思い出。チーム・メイトとの友情。そして恋人ジェーンとの愛の記憶。 様々な思い出が試合の進行にともなって走馬燈のように浮かんでくる。 そして最初は単なる消火試合にしか思われていなかったこの試合で彼の投球が予想もしないような快進撃を続けていくにつれて次第に人生の総決算のような色彩を帯び始めるのである。 まさに野球の試合が人生になぞらえたように描かれていき、その展開に胸を熱くすることになる。 そしてまるで自分自身がマウンドに立っているような錯覚に酔うことができるのだ。 満員の観客で埋め尽くされたヤンキース・スタジアムでのロケーションがそうした臨場感をますます高めてくれる。 まさに迫力の大リーグ映画である。 監督は意外なことにホラー映画で名高いサム・ライミ。 こうしたオーソドックスな映画を正面きって描くセンスに改めて好感を持ったのである。 |
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●監督・脚本:レイ・ミュラー ●製作:ハンス・ユルゲン・パニッツ
ジャック・ドゥ・クレ/ルク/ディミトリイ・ドゥ・クレルク ●撮影:ワルター・A・フランケ/ミシェル・ボードゥル/ユルゲン・マルティン ●音楽:ウルリッヒ・バースゼンゲ/ウォルフガング・ノイマン ●出演:レニ・リューヘンシュタール 1993年ドイツ=ベルギー作品
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