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●監督・脚本:ポール・オースター ●撮影:エイリック・サカロフ
●製作総指揮:シャロン・ハレル/ジェーン・バークレイ/イラ・デュチマン ●製作:ピーター・ニューマン/グレッグ・ジョンソン/エイミー・カウフマン ●音楽:グレアム・レヴェル ●音楽監修:スーザン・ジャコブス ●編集:ティム・スクイアーズ ●美術:カリナ・イワノフ ●出演:ハーヴェイ・カイテル/ミラ・ソルヴィーノ/ウィレム・デフォー ジーナ・ガーション/マンディ・パティンキン/ヴァネッサ・レッドグレイヴ |
映画「スモーク」や「ブルー・イン・ザ・フェイス」の原作者である小説家ポール・オースターの第一回監督作品。
ただし厳密に言えば、前作「ブルー・イン・ザ・フェイス」ではウェイン・ワンの共同監督として名前を連ねているので、必ずしも初監督というわけではないが、単独での監督はこれが初めてということで、まず初監督作といっていいのではなかろうか。 ジャズ・サックス奏者として活躍中のイジー(ハーヴェイ・カイテル)はライブ・ハウスでの演奏中に突然起きた発砲騒ぎに巻き込まれ、胸を撃たれてしまう。 手術でなんとか命は救われたものの、片肺を失って奏者としては二度とステージには立てなくなってしまう。 なす事もなく無気力に過ごす彼がある夜、街角で射殺死体を発見する。 気が動転した彼は転んだ拍子に鞄の上に倒れてしまい、思わずその鞄を抱えたままで、家に逃げ帰る。 その鞄に入っていたのは蒼く光る不思議な石と電話番号が書かれたレストランのナプキンであった。 翌日、彼はその番号に電話をかけ、電話の主の女性、セリア(ミラ・ソルヴィーノ)の住むアパートを訪ねることになる。 謎めいて夢とも現実ともつかない不思議な気分を漂わせながら大人のメルヘンのような物語が始まっていく。 いささか戸惑いながら、映画の中に流れるゆったりとした時間に気持ちよく身を任せていく。 この感覚は「スモーク」や「ブルー・イン・ザ・フェイス」で感じたものと同質のものである。 意味がありそうで、その実、大して意味もないようで、どちらかといえばどうでもいいような、それでいて人生にとってはきわめて重要な意味をもつのでは、などと思えるような不思議な感覚が味わえる。 開けてはならないものを開けたことで始まる物語、「パンドラの箱」。その映画化が行われることになり、女優志望のセリアが主役ルルのオーデションに合格し、その大役を射止めることになるというように、「パンドラの箱」の物語がこの映画では二重の形で重要なモチーフになっている。 |
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1998年ギリシャ・仏・伊合作 |
●監督・脚本・製作:テオ・アンゲロプロス
●製作:エリック・ユーマン/ジョルジオ・シルヴァーニ/アメデオ・パガーニ ●撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス/アンドレアス・シナノス ●編集:ヤニス・ツィツォプロス ●美術:ヨルゴス・パッツァス ●衣装:ヨルゴス・ジアカス/コスタス・ディミトリアディス ●音楽:エレニ・カラインドルー ●出演:ブルーノ・ガンツ/イザベル・ルノー/アキレアス・スケヴィス デスピナ・ベベデリ/イリス・ハジアントニウ/エレニ・ゲラシミドゥ |
アンゲロプロス監督の映画は一編の壮大な詩と呼ぶのがふさわしい。
ロングにとらえた長回しのショット。暗く抑えた色調。そしてモノローグとして語られる詩。 さらにここでは主人公は詩人であり、彼が少年に語って聞かせる前世紀の詩人ソロモスが実際に彼らの前に登場するなど、全編すべてが詩心によって覆われている。 そして言葉少なく、ほとんど映像だけで見せていく手法はまさに映像詩と形容されるにふさわしい。 このような詩情をどうとらえるかによって、彼の映画への評価が別れてくることになる。 そうした詩情に無縁な者には、彼の映画は難解で退屈だろう。 逆に詩を愛する者にとっては彼の映画は限りなく愛しく示唆に富んだものとして映るにちがいない。 詩は感情であり、情熱だ。理知で解ろうとするものではない。 豊穣なイメージに身を任せ、そこから放出される静かなエネルギーに感応するかどうかが重要なのである。 |
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●監督・製作:デヴィッド・マッケイ ●製作:ダニエル・ヘルバーグ
●脚本・撮影:スティーブン・シュルツェ ●脚本・美術:ジェレミー・レヴィン ●音楽:ドン・ティヴィス ●編集:ブレット・マーネル ●出演:コーム・フェオーレ/トニー・ゴールドウィン/アーリス・ハワード ディヴィッド・ペイマー/ジャック・ケラー/リチャード・リール/ジョナサン・スカーフ スティーヴン・ペトラルカ/マーク・ウォーデン/アダム・スコット |
心理サスペンス映画の傑作である。
ささいな悪事(レッサー・エヴィル)がもとで大変な事件を引き起こしてしまった4人の高校生たちが、22年の後、事件の存在が暴かれそうになったことをきっかけに再び集まり、事件の処理について話し合う。 人里離れた山小屋という密室のなかでの相談と22年前の出来事を巧みに交錯させながら、事件の全貌が次第に明らかにされていく。 よく練られたシナリオと緊張をはらんだ映像で、じわりじわりと緊迫感が高まっていく。 そして「現在」と「過去」の両方で4人が徐々に追いつめられていく様子に目が離せなくなってしまう。 高校時代の若さゆえの愚かさや暴走が22年後の大人としての狡猾さや計算高さと鮮明に対比されていて面白い。 さらに現在のそれぞれの職業が神父、弁護士、警察官といった正義を司る立場というのもなんとも皮肉な設定だ。 久しぶりに一級のサスペンスを堪能した。 (追記) この映画の題名「レッサー・エヴィル」という言葉についての詳しい説明を読者の方から頂いたので参考のために以下に転載しました。 これを読むともっと興味深く映画を見ることができるかもしれません。 『はじめまして。ホームページを見てメールしました。 先日、「レッサー・エヴィル(原題:The Lesser Evil)」を観ました。
インターネット上でもいろいろな紹介文がありますが、たいてい(全部?)のものは、「レッサー・エヴィル」のことを「ささいな悪事」としてあります。
「Microsoft Bookshelf」より
さらに、次のような文もありました。 「http://www.thinkthevote.com/」(CapitalismMagazine.com)より
これらはほんの一例で、英語の文献では、この「the lesser evil」というフレーズが、
これでしっくりきませんか? この映画で「悪者(Evil)」とされているのは、デレクとジョージ。
こまかいことかとも思いますが、どうしても気になったので、メールしました。
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●監督:ジャン・ヴィゴ ●脚本:ジャン・ギネ ●製作:ジャン・ルイ・ヌネーズ
●脚色・台詞:ジャン・ヴィゴ/アルベール・リエラ ●音楽:モーリス・ジョーベール ●美術:フランシス・ジュールダン ●撮影:ボリス・カウフマン/ルイ・ベルジェ/ジャン・ポール・アルファン ●出演:ミシェル・シモン/ディタ・パルコ/ジャン・ダステ ルイ・ルフェーブル/ジル・マルガロティス/ファニー・クラール |
セーヌ川を行き来する運搬船の船長と結婚した若い娘が退屈な船上生活のなかでパリに憧れ、そのことがもとで夫との間が危うくなるという映画「アタラント号」は夭折の映画監督ジャン・ヴィゴが撮った唯一の長編映画である。
彼はこの他に3本の短編映画を残しただけで29才の若さで亡くなっている。「アタラント号」撮影終了後8ヶ月のことである。 そして映画「アタラント号」は「大衆向きではない」との理由でジャン・ヴィゴの構想とは違った形で編集仕直され一般公開されることになる。 だが戦後、ヴィゴ再評価の動きが起きると、残されたフィルムや資料を集めての完全版への復元が試みられるようになる。 そして1990年、イギリスで改悪される前のフィルムが偶然見つかったことで、ようやく完全な形での「アタラント号」が日の目を見ることになるのである。 そうした数奇な運命を経てきた伝説の映画である。 ミッシェル・シモン演じる変わった趣味の持ち主、老水夫ジュール親爺の存在が強烈である。 身体中に落書きのような入れ墨をし、ガラクタのようなオモチャや置物を蒐集している奇妙で気のいい男を不思議な存在感で演じている。 父親がアナーキストだったというジャン・ヴィゴにとっては主人公の若いふたりよりもこうした破天荒な自由人を描くことのほうにより強い魅力を感じていたのかもしれない。 古いパリの街並みと水の流れが美しい。NHK、BS放送での放映。 |
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●監督・脚本:ガイ・リッチー ●製作:マシュー・ボーン
●撮影:ティム・モーリス・ジョインズ ●音楽:デビッド・A・ヒューズ/ジョン・マーフィー ●編集:ニーブン・ハウイ ●美術:イアン・アンドリュー/イブ・マブラキス ●出演:ジェイソン・フレミング/デクスター・フレッチャー/ニック・モーラン ジェイソン・ステイサム/スティーブン・マッキントッシュ/ビニー・ジョーンズ スティング/P・H・モリアーティ/スティーブン・マーカス/バス・ブラックウッド |
ロンドンの裏社会に生きるワルたちが大金とマリファナをめぐっての三つ巴ならぬ5つにも6つにも絡まりあって繰り広げる犯罪アクション・コメディ。
そしてどの人物もドジで間抜けな奴ばかりで、まったくそんなことでよく警察につかまらないもんだと思わせるような連中ばかりである。 映画が始まってしばらくは、あまりな間抜けぶりと登場人物の多さでいささか辟易させられるが、いったん現金強奪が実行にうつされされると、快調なテンポで転がっていく。 そして後は加速されたままに、最後のオチまでいっきに突っ走っていくことになる。 これで前半のマイナス点も帳消しで、お釣りがくるほどである。 スタイリッシュな映像や音楽の使い方、またスティングが顔見せのように出演していることもあり、ひょっとしてミュージック・ビデオ出身の監督ではとの予感があったが、やはり予想通り、監督、脚本のガイ・リッチーはミュージック・ビデオ出身者であった。 その洗練された映像感覚はなかなかのものだ。今後が楽しみな監督である。 ちなみに"lock, stock, and barrel"は『どれもこれも』という意味の言葉である。 |
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