映画書・考
NO.2
 
 
 
 
 
 
田山力哉「さよなら映画、また近いうちに」

 昨年(1997年)66歳で死去した映画評論家の田山力哉を追悼して出版された本である。 
 1989年から97年にかけて「キネマ旬報」誌上に連載された評論を第1章とし、92年から96年までのカンヌ映画祭のレポートを第2章、そして小説2編(「レコード大賞 水原弘の死」と「小説・渥美清 命の陽が落ちる」)を第3章とし、最後に彼と縁の深かった映画人たちの追悼を加えるといった構成になっている。 
 そうした彼への追悼の思いを込めて作られた本ではあるが、さらに第1章の「シネマ・ア・ラ・モード」では様々な映画人の死が語られといったふうで、2重の意味での追悼集のような体裁になっている。 
 このなかで田山力哉は様々な死を痛切に語っている。田山自身84年に肝硬変、食道動脈瘤で倒れて死線を彷徨って以来体調がすぐれず、常に死を意識しながらの執筆ということもあって、こうした映画人たちの死を他人事ではなく自分自身を重ねながら書いている。 
 語られた死を数え上げてみると、南俊子、西村潔、山根成之、神代辰巳、浜村純、大和屋竺、川喜多和子、飯島正、さらに海外ではフェデリコ・フェリーニ、ジャン・ルイ・バロー、ジョセフ・コットン、ルイ・マル、ルネ・クレマン、そして女優のアナベラといった人たちである。 
 ことに痛切なのは96年3月の「俺だけがまだ生きている。」のなかの同じ映画評論家たち、斎藤竜鳳、斎藤正治、小川徹、さらに佐藤重臣らの孤独な死を書いた一文である。 
 彼はこう書いている。「まことに映画評論家の末路なんて悲惨なもので、私だけは彼らとおなじ破滅の一歩手前まで行きながら、84年に98%絶望という大病から奇跡的に回復したために今まで生き残ってしまった。だが映画評論家はほとんどが惨めな最期をとげているのである。この世を去った彼らのことを今だれが知っているというのか。映画評論家は世にも孤独な存在なのであろうか。」と。 
 「辛口評論家」として名高い田山力哉もこうした仲間たちの孤独な死が痛く身に染みるようでめずらしく感傷的になっている。 
 そして「なぜ俺だけが生きているんだ。」とも書いている。 
 だがまたそれとは逆に「余生のまた余生」のなかでは次のようにも書く。 
 「思えば私が大病で入院し98%絶望と言われてから、この2月で丁度10年たった。要するに10年の余生を生きてしまったのである。余生を生き終えた現在もう怖いものは何もない。死ぬなんてどうということはない。そうなったら俺はちょっと手強いぜ。なにしろいつ死んだってもともとなんだから、ちょっとした脅しなどには屈しない。」 
 こうした弱気と強気の間を行き来しながら「辛口評論」を書き続けるのである。 
 浦山桐郎、熊井啓、田山力哉の3人はかって映画界の3大酒乱と呼ばれていた。そう並び称されるほど酒を飲み、かつよく荒れたという。 
 そこには破滅型の人間を指向する気持ちと同時に作品に対してづけづけと悪口を書き連ねなければならない苦渋が見て取れる。 
 その複雑な胸中を押し隠そうとする心理がこうした行動に駆り立てていたのではないかと想像する。 
 たとえ親しい相手の作品であったとしても言いたいことははっきり言おうとする姿勢、一方ではその痛みを紛らわせるために酒を飲む。 
 またこの世代共通の放歌高吟して議論を尽くすといった硬派の伝統をもっとも素直に身につけていた人物だったのかもしれない。 
 そうした姿勢が彼の評論のなかにも見ることができ、それが大きな特徴でもありまたおもしろく読ませるところでもあったのだ。 
 硬派で不器用な一面を武器に言いたいことを単刀直入にづけづけと言う。 
 そんな一言居士ぶりが田山力哉の真骨頂であった。 
 この本を読んでそうした印象をますます強くしたのである。 
  



 著者=田山力哉 
 発行所=キネマ旬報社 
 発行=1997年10月23日 
 
  
 
 
宮川一夫「キャメラマン一代〜私の映画人生60年
  
 昭和元年(1926年)に日活京都に入社して以来キャメラマン一筋に歩んできた宮川一夫の自伝である。 
 宮川一夫といえば日本を代表するキャメラマンであり、また巨匠と呼ばれる監督たちの作品を数多く撮り続けてきたキャメラマンである。 
 その主な監督たちの名前をあげていくと、まず山中貞雄に始まり、伊丹万作、稲垣浩、マキノ正博、溝口健二、衣笠貞之助、伊藤大輔、黒澤明、小津安二郎、市川崑、吉村公三郎、森一生、三隅研二、池広一夫、田中徳三、増村保造、篠田正浩といった錚々たる監督たちで、これだけでも日本の映画史を語れるほどの顔ぶれである。 
 そういった監督たちの姿がカメラマンの眼を通して語られていく。 
 どの監督との交流も面白く、数々のエピソードで語られる監督たちの横顔はいずれも個性あふれるものばかりで、意外な一面を知ることになる。 
 また市川雷蔵、勝新太郎、田宮二郎、田中絹代、京マチ子、藤村志保といった親しかったスタアたちとの交流や横顔も興味深いものがある。 
 そうした話を読んでいると、当時の撮影現場の活気が映像となって浮かんでくるようだ。 
 そして1作1作にカメラマンとしての創意工夫を追求してやまない宮川一夫の姿を見ていると、一流のカメラマンとはどういうものかということを改めて教えられるのである。 
 生涯に42人の監督と組み、132本の映画を撮った宮川一夫の60年の映画人生から考えれば、ほんのわずかが語られているに過ぎないが、映画の黎明期から最盛期を経て、現在の低迷期までの日本映画史の貴重な側面を知ることのできる一冊である。 
 


 著者=宮川一夫 
 発行所=PHP研究所 
 発行=1985年7月11日 
 
 

 
 
土屋嘉男「クロサワさーん!」<黒澤明との素晴らしき日々>

 著者である俳優、土屋嘉男は東宝得意の特撮映画や黒澤明の映画で知られているが、なかでも黒澤明監督の「七人の侍」での農夫の役がとくに印象に残っている。 
 これは彼が俳優座の研究生だった26才のときにオーディションによって与えられた役で、彼の映画デビューともなった記念すべき役であった。 
 以後、黒澤作品の常連としての俳優生活が続いていくが、この本ではその「七人の侍」を中心にした黒澤監督との長年の交流が書かれている。 
 彼は黒澤監督とは妙にウマが合ったようで、「七人の侍」の撮影が長期化するに及んでは、黒澤邸に居候するまでになっている。 
 そして撮影に出かける時は黒澤監督の車に同乗し、撮影現場でも常に黒澤監督の側近くに付き従い、またプライベートでも気軽に監督のお供をするといった具合で、新人俳優にしては破格の扱いを受けるようになる。 
 また土屋氏自身もこうした扱いを自然なものとして受け入れ、物怖じしない態度で世界の巨匠とつき合っていく。 
 そして監督として敬いながらも時には若者らしい率直さもみせるというふうで、こうした交流は以後、黒澤監督が亡くなるまで続いていくことになる。 
 そうした家族ぐるみのつき合いを許された土屋氏が見た黒澤明の時々の姿がさまざまなエピソードをまじえながら書かれていく。 
 それは時には撮影現場での厳しい黒澤監督の姿であり、また時には撮影を離れた家庭人としての黒澤明の姿である。 
 その両面が語られることで人間黒澤明の明と暗、さらには奥深さや複雑さが浮かび上がってくる。 
 そして同時に著者、土屋嘉男氏の黒澤明監督への深い愛情と尊敬が行間から窺えて、爽やかな印象である。 
 黒澤明監督を知るための貴重な本がまた一冊増えたということだ。 
  



 著者=土屋嘉男 
 発行所=新潮社 
 発行=1999年9月 
 
 

 
 
川本三郎「映画の香り」
 
 単館ロードショー形式のいわゆるミニシアターと呼ばれる映画館が誕生したのは80年代半ばの頃である。 
 それは全国一斉に封切られるメジャー系映画館ではかけられそうにない難解な映画や個性的な映画を客席数を限定した小規模な映画館で上映することで興行を成立させようとする形態であった。 
 こうしてかってなら商売としては成立しそうもない個性的な映画が上映されるようになり、それによって新しい観客層の掘り起こしにも成功するようになっていく。 
 そしてこうしたミニシアターが増加するにしたがって、それぞれの上映館が独自性のあるプログラムを組もうと競い合い、その結果より多彩な映画が上映されるようになり、われわれ観客の選択の幅も広がったのである。 
 この本では映画評論家川本三郎がそうしたミニシアターの映画だけに限定して書いている。 
 ここでは「ちょっと変わった小さな日本映画」「アジアの純情」「心地よく秘密めいた洋画」という三つのジャンルに分け、つごう69本の映画について書いている。 
 そのほとんどが穏やかな日常を見つめた静かな映画であるというところがいかにもミニシアター映画らしい特徴といえるだろう。 
 またそうした映画を語る川本三郎の文章も穏やかな優しさに満ちており、読み進んでいくうちに次第に彼独特の抒情に満たされていくことになる。 
 このなかで批評と云うことについて書いた印象深い文章がある。それは次のようなものだ。 
 「いい映画を見ると感動する。心地よくなる。その雰囲気にいつまでも包まれていたくなる。 
 批評の出発点はまずそこにある。そして、映画という小宇宙に向かって言葉によって近づいていく。 
 接近する。そんなことは不可能だとしても映画の世界に言葉によって近づこうとする。 
 私にとって批評とは、手持ちの乏しい言葉でなんとか映画を理解し、その美しさに一歩でも近づくことだ。」 
 まさに同感であり、もろ手をあげて賛成したい。 
 こうしたアプローチによって書かれた彼の文章が、さらにもういちど映画の感動を思い出させてくれるのだ。 
 いっきに読んでしまうのがもったいないような、そんな味わいのある評論集である。 
  


 著者=川本三郎 
 発行所=中央公論社 
 発行=1998年7月15日 
 
 
 
 
川本三郎「銀幕の東京」<映画でよみがえる昭和>
 
 東京の風景は昭和39年の東京オリンピックを境に大きく変わった。 
 関東大震災と東京大空襲というふたつの大きな災禍があったものの、それまでの東京には明治以来の古い風景がまだそこここに残されていた。 
 だが、東京オリンピックを中心とした高度成長によって日本人の生活は大きく変わり始め、そうしたものを次第に消し去っていくことになる。 
 さらにその後に続くバブル経済がこうした現象にとどめをさすことになる。 
 こうしてかつての面影をもった東京の町はそのほとんどが姿を消してしまったのである。 
 昭和二,三十年代という時代にこだわり続ける評論家の川本三郎が映画のなかにかつてのそんな懐かしい東京の風景を探し求め、それを再現しようと試みたのが本書である。 
 ここには昭和27年の「東京物語」にはじまって昭和37年の「銀座の恋の物語」までのつごう13本の映画が取り上げられているが、そのいずれもが東京オリンピック以前の映画であり、当然のことながらそこには失われた東京の姿が明瞭に撮し取られている。 
 それを川本はひとつひとつ丁寧に拾い集めては検証していく。 
 そこに撮された建物や乗り物、さらには川や路地がどのように機能し、人々の生活とどう関わっていたのか、資料を当たり、現在の姿と対比させ、さまざまな方法を駆使しながら検証していく。 
 こうしてかつての東京の町が再現されていく。 
 昭和19年に東京に生まれた川本にとってはそれは子供の頃の慣れ親しんだ町の風景である。 
 その身近だった町がいつか記憶のなかからも忘れ去られようとしている。 
 そして今や映画のなかでしか巡り会うことができないものになってしまっている。 
 それだけに愛しさはひとしおなものがある。 
 もういちど古い東京の風景を正確に記憶のなかに刻みこんでおきたい。 
 そんな願いからこの本は生まれたのである。 
 荷風を愛し、町歩きを愛し、古い東京の姿を愛する川本らしい労作といえよう。 
  

 著者=川本三郎 
 発行所=中央公論新社 
 発行=1999年5月15日 
 
 
 
 
 
 
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