1999年11月 NO.2
 
 
 
 
11/14 ブルース・ハープ
(98東映)
 
 
 
 
 映画つくりが困難な現在の日本映画界にあって、つぎつぎと精力的に作品を撮り続けている三池崇史監督の作品である。 
 沖縄を舞台に、ブルース・ハープを吹く青年とやくざの青年の友情と破滅を描いたこの映画は「Aサイン・デイズ」と「ソナチネ」を組み合わせたような設定の映画である。 
 そしてその「Aサイン・デイズ」で見られたような青春の熱気や挫折、さらに「ソナチネ」での死と暴力といったものと共通の要素を展開させることで、味わいのある世界ができあがっている。 
 とくに現代版ジュリアン・ソレルともいうべき若きヤクザを演じる田辺誠一の存在が強く目を惹く。 
 自分がのし上がるためにはどんな方法も厭わない上昇志向の強いヤクザ・健二を彼が絶妙に演じている。 
 そしてそんな偏った個性の持ち主である健二が窮地を救ってくれたハーフの青年・忠治(池内博之)に同性愛的な友情を感じるようになるところから物語は動き始める。 
 ただしそれはごく短いワン・シーンで微かにそれらしく匂わせる程度で、果たして本当にそうなのかどうかといったハッキリとした断定は見られないのだが。 
 彼は自分が属するヤクザ組織の組長を殺し、偽の遺言状を用意することで次期組長の座を狙おうとしており、組長の妻と通じることで彼女を利用し、さらに対立する組にも片棒を担がせることで計画を成就しようとしている。 
 そしてこの危険な陰謀が計画通りに進んでいくかに見えたが、健二と忠治の関係を妬む弟分と組長の女房の裏切りによってもろくも崩れてしまうのである。 
 ブルース・ハープで世に出るチャンスを掴みかけた忠治が対立する組のヤクザの手で強制的に組長暗殺の鉄砲玉に仕立て上げられ、それを知った健二が忠治を停めようと組長暗殺の現場に駆けつけるといったサスペンスがここから鮮烈に展開されていくことになる。 
 青春の自由と危うさ、無為な時間、友情、恋愛、迷い、そして躓き、こういったものが自在な映像と音楽によって切れ味よく描かれて、独自の世界を形作っている。 
 けっして傑作というわけではないが、強く惹きつける魅力が画面から発散している。 
 三池崇史監督の作品はこれまで気にはしながらも、あまり観る機会がなかったのだが、この作品を観たことをきっかけに今後は意識して彼の作品を観るようにしなければと思っている。 
 とりあえずは『岸和田少年愚連隊・血煙り純情篇』や『中国の鳥人』といった作品を観ることから始めようと考えている。 
  
 
製作:成田尚哉/尾西要一郎
監督:三池崇史 脚本:松尾利彦/森岡利行
撮影:山本英夫 音楽:奥野敦士 美術:石毛朗
出演:池内博之/田辺誠一/関野沙織/ボブ鈴木/ミッキー・カーチス
山田辰夫/奥野敦士
 
 
 
 
 
 
 
 
11/15 梟の城
(99日本)
 
 
  
 
 司馬遼太郎の長編第1作であり、直木賞受賞作品でもある「梟の城」を篠田正浩監督が映画化した。 
 この小説はかって東映で工藤栄一監督によって映画化されており、これが2度目の映画化となる。 
 東映版「梟の城」(1963年)は前年に大映で作られた「忍びの者」(山本薩夫監督、市川雷蔵主演)の大ヒットに連なって作られたもので、当時の忍者ブームの一翼を担った作品であった。 
 主役の葛籠重蔵を大友柳太郎、風間五平を大木実、女忍者、小萩を高千穂ひづる、さらに同じく女忍者・木さるに本間千代子といった配役であった。 
 今回はそれを中井貴一、上川隆也、鶴田真由、葉月里緒菜といった布陣で臨んでいる。 
 篠田正浩監督が司馬遼太郎の小説を映画化するのはこれが2度目のことで、前回は1964年に松竹で幕末の志士、清川八郎を描いた短編「奇妙なり八郎」を「暗殺」の題名で映画化している。 
 さらに篠田監督はこの作品を作った翌年、1965年に「異聞猿飛左助」という忍者もの映画も撮っている。 
 そういったことを考えると、今回の「梟の城」映画化へと至るベクトルは過去にすでに存在していたと云えるわけで、司馬遼太郎なき今、この作品にかける篠田正浩監督の意気込みのほどが想像されるところである。 
 そして今回の映画化でその意気込みがもっともよく結実しているのは、なんといっても安土桃山文化の絢爛豪華な再現であろう。 
 聚楽第、大坂城、伏見城、名護屋城、さらには京、堺、伏見、奈良、といった安土桃山時代の都市空間を京都映画界の重鎮、西岡善信の重厚な美術とデジタル合成によって見事に再現している。 
 篠田監督は「写楽」「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」など早くから作品にSFX技術を取り入れて時代の再現を目指してきたが、そのキャリアがここで一気に華開いたような見事な再現を果たしているのである。 
 ただしそれらを背景に展開されるドラマ部分には多少不満が残ってしまう。 
 時の権力者たちの覇権争いに翻弄される下層の人間である忍者たちの姿を数々の忍びの術のリアルな再現や派手なアクションを交えながらケレン味たっぷりに描いているが、狙ったほどにはドラマはダイナミックに動いていかない。 
 時代背景や登場人物の相関関係の説明ばかりに時間をとられすぎて、肝心のドラマ部分のスペクタクルが不足してしまったような印象なのである。 
 これは「写楽」を観たときにも感じたことである。 
 江戸期の大衆芸能が専門の篠田監督がその再現にばかりに精力を注ぎすぎた結果、ダイナミックな人間ドラマにまで手が回らなかったということなのか。 
 かっての「暗殺」や「乾いた花」といった作品で描かれていたような時代のうねりのなかで無情に消耗していかざるをえない人間の悲しみや怨みといったものがいささか稀薄に思える。 
 視覚的に見事な映像を見せてくれているだけに、そこが多少残念なところであった。 
  

 
製作統括:羽佐間重彰 監督・脚本:篠田正浩
原作:司馬遼太郎 脚本:成瀬活雄 撮影:鈴木達夫
美術:西岡善信 音楽:湯浅譲治 衣装:朝倉摂 SFX:川添和人
出演:中井貴一/上川隆也/鶴田真由/葉月里緒菜
永澤俊矢/根津甚八/山本學/火野正平/マコ・イワマツ
馬渕晴子/小沢昭一/中尾彬/中村敦夫/岩下志麻
 
 
 
 
 
 
 
 
11/18 ビッグ・リボウスキ
(98アメリカ)
 
 
  
 
 コーエン兄弟の第7作である「ビッグ・リボウスキ」を観ていると、彼ら独特のファニー・テイストな世界がますます研きのかかったものになっていることがよく解る。 
 特に今回はクセの多い俳優を大勢集めての、おかしなキャラククターのオンパレードを見せてくれる。 
 まるでこれこそがこの映画の神髄だと云わんばかりの賑やかさである。 
 まず、主役のジェフ・リボウスキにコーエン映画初出演のジェフ・ブリッジスが扮してがんばっている。 
 70年代に情熱を置き忘れてきたという彼は仕事もなく、気ままにその日暮らしを続ける不精者で、唯一の趣味がボーリングいう変わり者である。 
 彼はジン(?)とミルクをブレンドしたホワイト・ロシアンという酒が好みで、「デュード」(いい男という意味)という呼び名で呼ばれることに強いこだわりを持つ男である。 
 そして彼のボーリング仲間をコーエン・ファミリーとしてお馴染みのジョン・グッドマンとスティーブ・ブシェーミが楽しげに演じており、さらに同じくジョン・タトゥーロが彼らのライバルのボーラーをまさに怪演しているのである。 
 ジョン・グッドマン演じるウォルターはベトナム帰りの元兵士で、どんな話題にも必ずベトナム戦争を引き合いに出し、都合が悪くなると怒鳴り散らすという危ない男である。 
 そしてふたりにつき従うセコい元サーファーをブシューミが演じているが、影の薄い彼がふたりの話にクチバシを挟もうとすると、必ずウォルターから「黙ってろ!」と一喝されてしまう。 
 いかにもブシェーミらしい情けないキャラクターである。 
 さらにジョン・タトゥーロ演じるライバル、ジーザスの奇人ぶりがこれまたケッサクである。 
 縮れた髪を一本に結い、胸には「Jesus」の刺繍入りで、紫色の思いっきりキッチュなコスチュームで登場する。 
 しかもその登場に合わせてジプシーキングスのラテン・ロックが流れ、おまけにしゃべるたびに卑猥に腰をくねらせるといった凝りようなのである。 
 そして3人に向かって挑発的な言葉で悪態をつく。 
 これが「ミラーズ・クロッシング」や「バートン・フィンク」で見せたあの情けないタトゥーロと同一人物なのかと思わせるような変身ぶりである。 
 さすが達者な役者ともなるとここまで変身が可能なのかといまさらながらに感心してしまう。 
 彼の役柄は話の内容とはまったく関係のない、単なる点景としてだけの人物なのだが、こうした種類の人物こそが隠し味のようにして映画を引き締めており、コーエン兄弟のファニー・テイストなこだわりを色濃く反映していると思われるのだ。 
 この他にも同様の人物に、デイヴィッド・シューリス演じる怪しげなビデオアーチストがいるが、これがしばらくの間は誰が演じているのかわからないほどの見事な変身ぶりで、ほんのワンシーンだけの出演ながら強い印象を残している。 
 またデュードが住むアパートのホモっぽい大家も同様で、彼が踊るニジンスキーになったつもりの下手くそなバレエは爆笑モノである。 
 こうした脱線を繰り返しながらデュードが同姓同名の大富豪に間違えられて脅されるという事件がもちあがり、それをきっかけに誘拐事件に巻き込まれていくといういつもながらのコーエン流のパターンが展開されていくのである。 
 さらに相棒のウォルターが自分勝手な考えから強引に事件に関わってくるようになると、話が余計に混乱してしまうというのもいつものパターン通りである。 
 この手の、事件を思惑とはまったく違った方向に暴走させてしまうという人物は「ファーゴ」でピーター・ストーメアが演じたキャラクターと同列のものであるが、こうしたやっかいな人物がいることで話がどんどんと悪夢的におもしろくなっていくことになる。 
 ところでそのピーター・ストーメアだが、今回はドイツ人ニヒリストに扮して誘拐事件に一枚かんでくるが、他の強烈な個性の役柄に食われてしまったためか、いまいち精彩を欠いている。 
 彼のファンとしてはもう少し活躍させてもらいたかったところである。 
  
 とにかくこうした変人奇人が大勢入り乱れての奇抜なコーエン・ワールドが遊び心たっぷりに展開されていくのだが、デュードが夢に浸ることで思い切りハッピーになれたように、われわれ観客もこの奇妙でナンセンスな映画によって、ひとときハッピーな気分を味わえるというわけである。 
  

 
製作総指揮:ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー
監督・脚本:ジョエル・コーエン 製作・脚本:イーサン・コーエン
撮影:ロジャー・ディーキンズ 音楽:カーター・バーウェル 美術:リック・ハインリクス
出演:ジェフ・ブリッジス/ジョン・グッドマン/スティーブ・ブシェーミ
ジュリアン・ムーア/ピーター・ストーメア/ディビッド・ハドルストン
ジョン・タトゥーロ/ベン・ギャザラ/ディビッド・シュウリス/サム・エリオット
 
 
 
 
 
 
 
 
第8回 なみおか映画祭 NO.1
 
 今年で8回目をむかえる「なみおか映画祭」が今月の19日から始まった。  
 今回の映画祭のキャッチ・コピーは「ポップコーンはいらない」というもので、ドキュメンタリーというコンセプトのもと、ポップコーンの似合わない映画を中心にプログラムが組まれている。  
 その目玉となるのが、アメリカのドキュメンタリー作家、フレデリック・ワイズマンの作品である。  
 今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した「メイン州ベルファスト」を始めとするワイズマンの作品10本が上映された。  
 それにイランの映画作家アボルファズル・ジャリリ、さらには篠崎誠、是枝裕和、黒沢清、諏訪敦彦といった日本の監督たちの作品を組み合わせたものである。  
 いずれの作品もなんらかの形でドキュメンタリーと劇映画の関係を考えさせられる要素をもったものばかりである。  
 都合20作品の上映ということに加え、「メイン州ベルファスト」が4時間を越える上映時間ということもあって、いつもより会期を一日延長し、5日間の上映となっている。  
 私は都合で全日程には行けず、結局ワイズマンの作品5本だけは観ることができなかったのだが、それでも映画祭全体の様子はなんとか見ることができたように思う。  
 それにしてもこの映画祭に参加するたびに思うことだが、スタッフたちの下準備の大変さはいかばかりかということである。  
 おそらくどこの映画祭でもそうなのだろうが、映画祭が終わった瞬間から次の映画祭への準備が始まり、ほぼ一年をかけて開催にこぎつけるということを繰り返しているわけだ。  
 その努力や苦労を考えると、あだやおろそかに映画は観れないという気分にさせられる。  
 襟を正すと言えばおおげさになるかもしれないが、幾ばくかの敬意と緊張を感じながら劇場へと足を運ぶことなる。  
 今回もそうした意識を持ち、さらには腰や尻の痛みに耐えながら見続けた5日間であった。  
 そして気分のいい疲労感を感じながら映画祭の会場を後にしたのである。
 
 
 
 
 
11/20 チチカット・フォーリーズ
(67年アメリカ)
 
 
  


  
 ワイズマンが撮し出す精神異常犯罪者矯正施設の悲惨な現実を前にすると、どんな言葉も力を失ってしまう。そしてただ呆然と立ちつくすだけである。 
 それはわれわれの日常のなかでは幸運にもと云うべきか、ほとんど遭遇することのない悲惨な現実の姿である。 
 だが、そうであっても、これは紛れもないわれわれ人間社会のひとつの断面であり、生きた人間たちの貌なのだ。 
 そのことをワイズマンのカメラは穏やかに語りかけてくる。 
 いっさいの説明を省き、ただそこに流れる時間だけを長回しのカメラによって冷徹に切り取るというスタイルにワイズマンの現実を見据える確かな視線を感じる。 
 さらに作品の最初と最後に施設の演芸大会の映像を配することで、この現実がまるで「ショータイム」であるかのように見せるところなどはワイズマンの強烈な皮肉を感じる。 
  
 この作品はワイズマンの監督第1作でありながら、アメリカでは24年間上映禁止になっていたといういわくつきの作品である。 
 しかし24年たった今でも、その衝撃の強さはいささかも色褪せてはいないのだ。 
  

 
製作・監督・編集:フレデリック・ワイズマン 撮影:ジョン・マーシャル
 
 
 
 
 
 
11/20 高校
(68アメリカ)
 
 
 
  
 ワイズマンの映画はひとつの閉じられた社会、同じ目的を指向するために機能する組織といったふうな場所に長期間カメラを持ち込んでそこでの人々の日常や行動を丁寧に撮し取るというものである。 
 ここではそんな場所として「学校」を取り上げている。 
 1968年、ベトナム戦争が拡大を続けるなか、フィラデルフィアの 
 
製作・監督・編集:フレデリック・ワイズマン 撮影:リチャード・ライターマン
 
 
 
 
 
 
11/20 法と秩序
(69アメリカ)
 
 
 
 
製作・監督・編集:フレデリック・ワイズマン 撮影:ウィリアム・ブレイン
 
 
 
 
 
 
11/20 病院
(70アメリカ)
 
 
 
 
製作・監督・編集:フレデリック・ワイズマン 撮影:ウィリアム・ブレイン
 
 
 
 
 
 
11/20 バレエ
(95アメリカ)
 
 
  
 
製作・監督・編集:フレデリック・ワイズマン 撮影:ジョン・デイビィー
 
 
 
 
 
 
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