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彼女は次期副大統領候補と噂されるキャンベル将軍の娘で、心理作戦の教官を務める才媛であった。 武器密売事件の捜査のために基地を訪れていた犯罪捜査部(C.I.D.)の捜査官ポール・ブレナー(ジョン・トラボルタ)は将軍から事件を隠蔽できる36時間という条件つきの極秘捜査を依頼される。 そしてレイプ犯罪の専門家で元恋人の捜査官サラ(マデリーン・ストウ)とチームを組んでの犯人捜しが開始されるが、捜査が進むに連れてこの事件の裏に隠されたさまざまな謎が浮上してくる。 原作はネルソン・デミルのベストセラー小説。 そして監督がデビュー作「コン・エアー」でその実力を示したサイモン・ウェスト。 主演のジョン・トラボルタ、マデリーン・ストウの他にキャンベル将軍を「L.A.コンフィデンシャル」で見事な権力者ぶりを見せたジェームズ・クロムウェルが重厚に演じている。 さらにジェームズ・ウッド、ティモシー・ハットンがエリザベス・キャンベル大尉と密接な関係をもつ軍人を演じて作品に厚みを加えている。 ただし、前半のサスペンスの盛り上がりに比べて、後半の事件の解明部分の設定がいささか物足りない。 軍隊という特殊社会における権力構造や女性蔑視を背景に、なかなかダイナミックな展開を見せていただけに残念である。 もうひとひねりあってもよかったように思うのだが、案外スンナリと終わってしまい、いささかガッカリしてしまった。 |
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この小説が書かれたのは19世紀末のことで、いとこ同士が未婚のままで同棲し、子供まで作ってしまうという内容は当時の社会通念から大きくはみ出したものだったようで、激しい賛否両論が巻き起こっている。 結局この騒動が原因でトーマス・ハーディが筆を折ることになったといういわくつきの問題作である。 これをウィンターボトムが見事な文芸作に仕上げている。 舞台の中心となる19世紀のクライストミンスターやウェセックス地方、ドーセット地方といった古い街並みを美しいロケーションによって見事に再現している。 その暗く重々しい街並みやそこに降る雨や漂う霧の冷たさが主人公であるデュードとスーの運命の過酷さを象徴しているかのようである。 道を踏み外してしまったことで、当然のようにふたりは社会から疎外されることになる。 土地を転々とし、宿にも泊めてもらえず、仕事もなく、幼子を抱えて雨の街を彷徨う姿は胸を打つ。 だが傷つきながらも信念を捨てず、愚直に愛を貫き通そうとする姿は、時には崇高ですらある。 貧しく不器用だが真摯に愛を貫くデュードを「シャロウ・グレイブ」のクリストファー・エクルストンが、さらに自由で情熱的な女性、スーを「いつか晴れた日に」や「タイタニック」のケイト・ウィンスレットが魅力的に演じている。 前作「バタフライ・キス」でも見せた社会に背を向けて生きざるをえない人間の業のようなものがここにも鮮烈に息づいているのを感じる。 印象深い作品である。 |
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このシナリオは30年以上前に書かれたものだそうだが、当時助監督であった深作監督はシナリオ誌に掲載されたこの作品を読み、そのテーマ、構成、キャラクターなど、そのどれをとっても素晴らしく、いつか映画化したいと思い続けていたということである。 ここには新藤兼人が師事した溝口健二監督の名作「祇園の姉妹」や「浪花悲歌」で描かれたのと同じような女の世界が描かれている。 昭和30年代初頭、売春防止法が施行される直前の祇園を舞台に、そこに生きる女たちのしたたかな生き様を舞妓見習いの少女を中心に据えて描いている。 まず映画のタイトルバックに幼い少女の歌う童謡「ちょうちょ」が流れる。 そしてその歌に象徴されるような芸妓の世界を主人公の舞妓見習いの生活を追っていくことで見せていく。 祇園の伝統的なしきたりや風俗が格調高くスケッチされていくにしたがって祇園という特殊な社会の内実が少しずつ見えてくる。 そこは女たちの芸や性が金で売り買いされるという世界ではあるが、女たちには女たちなりの犯すべからざる世界が厳然としてあり、けっして金だけで動かされるのではないといった毅然とした態度が見て取れる。 その特殊社会なりの動かざる論理といったものが存在するのだということがよく解る。 そんな社会に家庭の貧しさゆえに足を踏み入れざるをえなかった少女を新人の宮本真希がけなげに演じる。 そしてそんな境遇の彼女をけっして被害者として描くのではなく、与えられた人生を自ら積極的に選び取って生きていこうとする逞しい女として描いていくのである。 それは自らの身体を武器に戦場を駈けていく兵士の姿のようにも見えてくる。 彼女が住み込む芸者置屋のおかみや芸妓たちもまさにそんな戦士の姿なのである。 そしてそれぞれが女の弱さや愚かさやまた逆に強さや明るさももった多面的な人間であるということが様々なエピソードのなかから浮かび上がってくる。 ある者は男に騙され、またある者は男に踏みつけにされ、またある者は男を騙しといった賑やかな人間模様が重ねられながら彼女たちが精いっぱい本音で生きていく様子が活写されていく。 そんな芸妓たちに見守られながら、さなぎが蝶に脱皮するようにして少女が一人前の舞妓に生まれ変わっていく。 そこには曰く言い難い悲しみとともになんとも言えない清々しさを同時に感じることが出来るのである。 |
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