1999年6月
 
 
 
 
6/1 犬、走る DOG RACE
(98日本)
 
 
 
 新宿警察の不良刑事、中山(岸谷五朗)と在日韓国人の情報屋、秀吉(大杉漣)そして中国人女性、桜花(冨樫真)のねじれた愛情と友情を飄々と描いた作品である。 
 原案は丸山昇一が故松田優作のために書いた「ドッグレース」で、それを洋一と鄭義信が新たに書き直したものである。 
 舞台は新宿、歌舞伎町。ここを根城に生きるやくざや刑事、さらには不法入国の中国人や在日韓国人等の生態を描きながら彼らのしぶとい生き様を乾いた笑いを交えながら描いていく。 
 あたかも治外法権化したような欲望渦巻く街、新宿歌舞伎町は独特のオーラを放っており、表現者たちの創作意欲を刺激するようである。 
 ここを舞台に様々な作品が生み出されている。 
 最近の作品でも「不夜城」「ラブレター」などがあり、いずれもこの街に生息するヤクザやアジア人たちが主人公になっている。 
 さらに少し前の作品だと「眠らない街/新宿鮫」「われに撃つ用意あり」「新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争」といった作品もあった。 
 新宿歌舞伎町の無国籍性は香港などのアジアの都市の混沌さと通じるものがあり、最近のアジア映画の隆盛とどこかリンクするものがあるようだ。 
 この作品でもそういった歌舞伎町の得体の知れなさがよく表現されており、規格外れの主人公3人のキャラクターがいかにもありそうに思えてくる。 
 「蒲田行進曲」の銀チャンとヤスのような加虐と被虐のねじれた友情がごく自然に受け止められるのだ。 
 評価の高かった「月はどっちに出ている」よりもこちらの映画のほうが数段楽しめた。 
  
 
監督・脚本:崔洋一 脚本:鄭義信
原案:丸山昇一 撮影:藤澤順一 音楽:鈴木茂
出演:岸谷五朗/冨樫真/香川照之/遠藤憲一/大杉漣
絵沢萌子/岩松了/國村隼
 
 
 
 
 
 
 
6/1 RONIN
(99アメリカ)
 
 
 
 「ジョン・フランケンハイマー」、懐かしい名前である。 
 彼は60年代に活躍した過去の監督というイメージであったが、この映画でまだまだりっぱな現役だという健在ぶりを示してくれた。 
 骨太でダイナミックな表現はさらに磨きがかかったような若々しさである。 
 アメリカの広い空間ではなく、ヨーロッパの古い町並みのなかで、その入り組んだ狭さを逆手にとった迫力あるアクションを見せてくれる。 
 なかでも狭い路地や高速道路を逆走するカーチェイスは一級品の迫力である。 
 アメリカを舞台にしたカーチェイスを見慣れた目にはとても新鮮に映る。 
 さらにロバート・デニーロとジャン・レノというアメリカとヨーロッパの渋い男同士の顔合わせもなかなか魅力がある。 
 とくにロバート・デニーロのプロの男だけがもついぶし銀の魅力はさすがである。 
 ただのアクションだけではない深みが彼の存在によって生まれている。 
 まさに上質のエンターテインメントといえよう。 
  

 
製作総指揮:ポール・ケルメンソン 製作:フランク・マンキューソJR
監督:ジョン・フランケンハイマー 脚本:J・D・ザイク/リチャード・ウェイズ
撮影 ロベール・フレース 音楽 エリア・クミラル
出演:ロバート・デニーロ/ジャン・レノ/ステラン・スカラスゲールド
ナターシャ・マケルホーン/ショーン・ビーン/ジョナサン・プライス
 
 
 
 
 
 
 
6/7 鉄道員(ぽっぽや)
(99東映)
 
 
  
 すべてが高倉健に収斂していく映画、高倉健讃歌とでもいうべき映画である。 
 だが、かって大向こうから「健さん!」の掛け声をかけたようなかっこよさへの讃歌ではなく、老いた高倉健への哀歓をこめた讃歌なのである。 
 雪の似合う、制服の似合う俳優、高倉健が駅長の制服を着て雪の舞うプラットホームに立つだけでもう涙が溢れてくる。 
 押し黙った彼が寒さのなかでどこまでも響きわたるような発車の笛を吹くだけでわけもなく胸が熱くなってくる。 
 そこには紛れもなく希有な俳優、高倉健の老いていく姿があり、だがそれは間違いなく今でも輝き続ける姿であり、そこに主人公、佐藤乙松の人生の総決算を見ることができるのである。 
 それは決して哀れむべき人生ではなく、職務への愚直なまでの忠実さのために妻子の死に目にも立ち会ってやることができなかったという悔いはあるものの、彼なりに精いっぱい生きた人生なのである。 
 乙松が父親から聞かされた言葉「戦後日本の復興の大きな力になる」鉄道マンの仕事という使命感、「ぽっぽや」の矜持に支えられた人生なのである。 
 またそれは戦後の経済成長を底辺から支えた続けた人々に共通の矜持でもあろう。 
 映画の中にさりげなく挿入される炭坑のエピソード、集団就職の風景などにそれが読みとれる。 
 だがそうした使命ももうすでに遠い記憶の彼方にあり、今や終焉の時を迎えているのだ。 
 頑なに守ってきた鉄道もすでに廃線の決定がなされてしまい、すべてが終わりの時を迎えている。 
 そして佐藤乙松も定年という終わりを。 
 それはまさにこのローカル線を走る「キハ12」という古い列車と同じである。 
 雪原を雄々しく走るこの列車に「ぽっぽや」たちは人一倍愛着をもっているが、すでに使命を終えて現役引退の時を待つばかりなのである。 
 まさに乙松と同じ立場に置かれた列車である。 
 そして映画はこうした滅び行くものたちを穏やかに慈しむ。 
 と同時にそれは高倉健によせる慈しみや讃歌とも重なってくるのである。 
 小林稔侍の姿にそれがもっともよく見て取れる。 
 彼は佐藤乙松とは機関士見習いの頃からの同僚で、長年コンビを組んで機関車を走らせてきた仙次という役柄である。 
 乙松の「ぽっぽや」気質を誰よりも理解しており、彼の定年後の生活を兄弟のように心配している。 
 そんな役を彼は嬉々として演じている。 
 その仙次の乙松に寄せる心情はまさに現実の小林稔侍の心情そのままといっていいだろう。 
 高倉健とのからみが楽しくて仕方がないといった風情が素直に伝わってくる。 
 高倉健の出演する映画にはなにをおいても必ずや駆けつけるといった彼の高倉健を慕う気持ちが如実に現れている。 
 かつての映画「冬の華」でひとことのセリフもなく、影のように高倉健に付き従っていた彼の姿が強く印象に残っているが、これはまさにその延長線上にある姿であろう。 
 男が男に惚れるということの純な姿を彼の演技から感じ取れるのだ。 
 そしておそらく他の共演者、スタッフたちの気持ちも同様のものにちがいない。 
 そうした心情が結実したのがこの作品なのである。 
 これはもう作品の出来、不出来といった枠を越えた映画といっていいだろう。 
 ただひとつ、高倉健が好きか、嫌いか、ポイントはただこの一点だけのことであろうと思う。 
 私はこの映画に気持ちよく泣けたのである。 
  

 
製作:高岩 淡 監督・脚本:降旗康男
原作:浅田次郎 脚本:岩間芳樹 撮影:木村大作
出演:高倉健/大竹しのぶ/広末涼子/小林稔侍
安藤政信/吉岡秀隆/奈良岡朋子/志村けん
平田満/中本賢/石橋蓮司/田中好子/本田博太郎
 
 
 
 
 
 
 
6/12 メッセージ・イン・ア・ボトル
(99アメリカ)
 
 
  
  「恋に落ちたシェークスピア」の例を見るまでもなく、男女の出会いにおいて、美しく綴られた言葉がかつてはいかに大きな役割を果たしていたかということをわれわれはさまざまな物語によって知っている。 
 だが現代においてはそのような例を見ることは稀なことであろう。 
 この映画はそのような失ってしまった言葉がもつ魔力を現代の物語のなかで蘇らせている。 
 物語の発端は主人公の女性が浜辺で偶然に手紙の入った瓶を拾ったことから始まる。 
 その手紙には失った妻に宛てたある男の切々たる想いが綴られていたのである。 
 誰にも読まれることもなく波間を漂うだけであった手紙が愛するものに裏切られ深く傷ついた女性の手に拾われたことから物語が始まっていく。 
 真情を吐露した言葉が彼女の心を動かし、彼女による手紙を書いた人物捜しが始まり、そしてそこからもうひとつの愛の物語が生まれていくことになる。 
 こうした現代の大人のファンタジーともいうべき物語がケビン・コスナーとロビン・ライト・ペンのふたりによって演じられていく。 
 ふたりの出会いと愛し合うようになるまでのプロセスには情感や適度の緊張感があって、美しい海辺の風景と相まってなかなか見せるのだが、それ以降がいささか拍子抜けしてしまう。 
 そして結末はとってつけたような通り一遍の悲劇になってしまうのである。 
 思いっきり大人のラブストーリーに酔えるというわけにはいかなかった。 
 ただし、ポール・ニューマンがケビン・コスナーの父親役で渋いところを見せてくれたのがなかなかの儲けものではあったのだが。 
  
 
製作 デニーズ・ディノービ/ジム・ウィルソン/ケビン・コスナー
監督 ルイス・マンドキ 原作 ニコラス・スパークス 脚本 ジェラルド・ディペーゴ
撮影 ケイレブ・デイシャネル 美術 ジェフリー・ビークロフト 音楽 ゲイブリエル・ヤーレッド
出演 ケビン・コスナー/ロビン・ライト・ペン/ジョン・サベージ
ロビー・コルトレーン/ポール・ニューマン
 
 
 
 
 
 
 
6/14 ヴァイラス
(99アメリカ)
 
 
 
 霧に包まれた船上で起きる恐怖の体験というこの映画を観ながら、似たような設定の「マタンゴ」という映画のことを思い出していた。 
 昭和38年に作られた、本多猪四郎監督によるSFホラーで、ヨットの遭難で流れ着いた無人島での恐怖の体験を描いたものであった。 
 この映画でも全編に不気味に霧が立ちこめて、そこから何かよからぬことが起こりそうな予感を漂わせていた。 
 また恐怖の原因がその島に生育するマタンゴと呼ばれるキノコで、その点でも「ヴァイラス」と呼ばれるビールス性の電磁波との共通性を感じさせられた。 
 「ヴァイラス」はハリウッドの視覚効果のプロたちが集結して作り上げたというだけあって、リアルな迫力をもった映像で、その点では30年以上前の「マタンゴ」ではとても勝負にならないのは当然としても、内容的な怖さという点では「マタンゴ」のほうが何倍もの怖さがあった。 
 ジェイミー・リー・カーチス、ドナルド・サザーランド、ウィリアム・ボールドウィンといったくせ者ぞろいの顔ぶれにかなり期待をさせられたが、いまひとつ彼らのよさが生かされていない。 
 やはり映像的な迫力だけではほんとうの怖さは表現できないのだということを改めて考えさせられたのである。 

 
製作 ゲイル・アン・ハード 監督 ジョン・ブルーノ 撮影 デビッド・エグビィ
脚本 チャック・ファーラー/デニス・フェールドマン 音楽 ジョエル・マクニーリー
デジタル・エフェクトSFX:フィル・ティペット フィジカル・エフェクトSFX:スティーブ・ジョンソン
出演 ジェイミー・リー・カーチス/ウィリアム・ボールドウィン
ドナルド・サザーランド/ジョアンナ・パクラ/シャーマン・オーガスタス
 
 
 
 
 
 
 
6/21 奇蹟の輝き
(99アメリカ)
 
 
 
 夫婦の愛や親子の愛を現実と霊界のふたつの次元にわたって描いた映画で、その物語自体は凡庸でとりたてていうほどのものでもないが、SFX技術を駆使して描いた霊界の映像が素晴らしい。 
 まるで泰西名画のなかに人間が迷い込んだようなファンタジックな美しさである。 
 存在するすべてのものがカラフルな絵の具で造られており、手で掴むとその絵の具が手のなかで溶けだしてしまうという天国の設定が見事な映像処理と色彩感覚によって作り上げられている。 
 これまでにもさまざまな映画が霊界の視覚化に挑戦してきているが、その結果はことごとく無残なものばかりであった 
 だがここではそれが見事に実現されているのである。 
 この映像を見るだけでもこの映画を観る値打ちがあるというものだ。 
 

 
製作総指揮 テッド・フィールド/スコット・クループス/エリカ・ハギンズ/ロン・バス
製作 スティーブン・サイモンバーネット・ベイン
監督 ヴィンセント・ウォード 脚本 ロン・バス
撮影 エドゥアルド・セラ 音楽 マイケル・ケイメン
出演 ロビン・ウィリアムス/キューバ・グッデンJr
アナベル・シオラ/マックス・フォン・シドー
 
 
 
 
 
 
 
6/22 地球は女で回ってる
(98アメリカ)
 
 
 
 私生活をネタに小説を書く作家ハリー、まるで現実のウッディ・アレンを思わせるようなこの主人公をウッディ・アレン自身が自虐的かつコミカルに演じておもしろい。 
 3度の離婚歴があり、未だに女たちとの浮き名を流しながら、そのことをネタに小説を書かずにいられないハリーはまさにアレン自身といってもいいだろう。 
 そんなハリーが今は小説が書けないというスランプに陥っている。 
 さらに別れた妻(エイミー・アーヴィング)の妹で今は不倫の関係にあるルーシー(ジュディ・デイヴィス)から「ふたりの不倫関係を小説に書いた」と怒鳴り込まれたり、別れた恋人フェイ(エリザベス・シュー)からは結婚話を聞かされ、うろたえてしまうなどといったふうで最悪の状態のなかにある。 
 これまで自分の好き勝手に生きてきたハリーはそうしたさんざんな状態のなかで今更ながら人生を振り返り、自分のいい加減さに落ち込むことになる。 
 そんなこんなの日常の小さな騒動や出来事が例のごとくつぎつぎとコラージュされながら軽快に語られていく。 
 さらに精神分析でも解決の糸口を見つけられないハリーの前に小説の登場人物たちがつぎつぎと登場しては慰めるというアレン独特の世界が展開されていくことになる。 
 常に顔がピンボケになった俳優のロビン・ウィリアムズ、熱心すぎるユダヤ教の女性デミ・ムーア、さらにリチャード・ベンジャミンといった変な人物たちがハリーとコミカルな会話を交わす。 
 こうして時間、空間を自由に行き来しながらハリーの心象風景が語られることで哀しくもおかしい人生の機微が浮かび上がってくるのである。 
 これはまさにウッディ・アレン版「81/2」ともいうべき映画といえよう。 
 いまや熟練の域に達したウッディ・アレンの自由で自在な語り口に酔うことができる作品である。 
  

 
製作総指揮 ジャック・ロリンズ/チャールズ・H・ジョフィ/リティ・アロンソン
製作 ジーン・ドゥマニアン 監督・脚本 ウッディ・アレン 撮影 カルロ・ディ・パルマ
出演 ウッディ・アレン/キャロリン・エアロン/カースティ・アレイ/ボブ・バラバン
リチャード・ベンジャミン/ビリー・クリスタル/ジュディ・ディヴィス
マリエル・ヘミングウェイ/デミ・ムーア/エリザベス・シュー/ロビン・ウィリアムス
 
 
 
 
 
 
 
6/24 猫と庄造と二人のをんな
(56東京映画)
 
 
 
 昭和30年に豊田四郎監督が森繁久弥と淡島千景で名作「夫婦善哉」を撮っているが、この映画はその翌年に豊田四郎が再び森繁と組んで撮った作品である。 
 原作は谷崎潤一郎、舞台はこちらも同じく関西で、「夫婦善哉」の大阪の下町から場所を芦屋の海岸に移しての物語である。 
 主人公、庄造は「夫婦善哉」の柳吉と同類の生活力のないだらしのない男で、母親の言いなりのまま適当に毎日をやり過ごしているという男である。 
 森繁十八番の役どころで、こういう種類の男を演じるとまさに森繁の独壇場である。 
 さらに大阪出身の森繁が流暢な大阪弁で演じることでそのだらしなさがいちだんと強調されて見える。 
 こうしたいいかげんさはやはり大阪弁が似合いである。 
 ここでの相手役は元女房の山田五十鈴、今の女房が香川京子、そして母親が浪花千栄子という具合である。 
 この三人の女性たちが庄造をめぐって三つどもえの争いをするなかを右往左往する庄造の情けない姿が面白い。 
 だが当の庄造自身は女たちより愛猫のリリーが第一で、猫の心配ばかりというのがさらにおかしい。 
  

 
製作 滝村和男/佐藤一郎 監督 豊田四郎
原作 谷崎潤一郎 脚本 八住利雄
撮影 三浦光雄 美術 伊藤憙朔 音楽 芥川也寸志
出演 森繁久弥/浪花千栄子/山田五十鈴/香川京子
芦乃家雁玉/林田十郎/山茶花究
 
 
 
 
 
 
 
6/27 戦艦バウンティ
(62アメリカ)
 
 
 
 1789年に南太平洋上で起きた謎の叛乱事件を題材にした映画「戦艦バウンティ」をNHK教育TVの世界名画劇場で観る。 
 絶対的権力を持つ上官が名誉や功名に拘泥する人間で、自分のことしか考えられないという硬直した考えの持ち主だとしたら、そうした組織がいったん困難な状況に追い込まれた時に、どういうことが起きるかといったことをこの映画は描いている。 
 上官が生殺与奪権を握る軍隊では上官の能力や人間性の欠落によって個人の運命が大きく左右されるということはけっして珍しいことではないだろう。 
 それが証拠にこうしたことが原因で起きる悲劇を描いた映画は数多くある。 
 思いつくところをあげてみると、ハンフリー・ボガード主演の「ケイン号の叛乱」、ロバート・アルドリッチ監督の「攻撃」、スタンリー・キューブリック監督の「突撃」、さらに最近の映画では「クリムゾン・タイド」などがある。 
 さらに日本映画では「八甲田山」がそうした悲劇を描いている。 
 いずれの映画でも指揮する人間による自分本位の強引な判断が次第にどうしようもない状況を招来し、最終的には部下たちにそのしわ寄せがやってきてしまうという不条理を描いている。 
 そしてその不条理を支えているのが軍隊という非人間的な絶対権力であり、通常の常識的な論理の通用しない世界というわけである。 
 だが時にはその忍従が限界に達して切れてしまうという状況も起こりうるわけで、それがこの映画のような叛乱という形で現れるわけである。 
 そしてこうした事件はほとんどの場合が悲劇的な結末を迎えることになる。 
 秩序の維持、軍隊の権威の守護という名目の前では個人の主張や自由は圧殺されてしまうのが常である。 
  
 絶対権力者の艦長をトレバー・ハワードが、叛乱の首謀者である副艦長をマーロン・ブランドが演じて、緊張したやりとりを展開する。 
 ふたりの名優の火花の散る演技がみものである。 
 また艦長の傍若無人な理不尽さに部下たちがどこまで耐えうるかといったストーリーもなかなか重苦しくスリリングである。 
 同時に航海中に立ち寄るタヒチの美しさも印象に残る。 
 「地上の楽園」という形容がけっして大げさな表現ではないと納得する美しさである。 
   

 
製作 アーロン・ローゼンバーグ 監督 ルイス・マイルストン
脚本 チャールズ・レデラー 撮影 ロバート・サーティース
音楽 ブロニスラウ・ケイパー 出演 マーロン・ブランド
トレバー・ハワード/リチャード・ハリス
 
 
 
 
 
 
 
6/30 マーキュリー・ライジング
(98アメリカ)
 
 
 
 先頃観た「エネミー・オブ・アメリカ」も国家安全保障局(NSA)が機密保持のために個人を抹殺しようとする物語であったが、こちらもやはり同じ様な設定の物語である。 
 国家の安全という大儀の前では個人の命などものの数ではないというストーリーを組み立てる場合、権力の底知れぬ大きさや冷酷さといったものがしっかりと描きこまれていなければならない。 
 ところがこの映画の場合、そこがいまひとつ迫力不足なのである。 
 解読不可能と思われていた暗号を解いてしまった少年を追う殺し屋がたったひとりというのではあまり怖さが伝わってこない。 
 ましてやこの殺し屋がミスを重ねてばかりでは単なるマヌケにしか見えないのだ。 
 さらに巨費を投じた暗号システムが自閉症の少年にいとも簡単に解読されてしまうという設定自体もかなり無理のあるところで、その無理をあえて強引に納得できるように描いていれば話にもっとふくらみをもたせることができたにちがいない。 
 そういうわけでもうひとつ盛り上がりにかけた映画であった。 
  

 
製作総指揮 ジョセフM・シンガー/リック・キドニー
製作 ブライアン・グレイザー/カレン・ケヘラ 監督ハロルド・ベッカー
原作 ライン・ダグラス・ピアソン 脚色 ローレンス・コナー/マーク・ローゼンタール
撮影 マイケル・セレシン 音楽 ジョン・バリー
出演 ブルース・ウィリス/アレック・ボールドウィンチ・マクブライト/キム・ディケンズ
 
 
 
 
 
 
 
6/30 リーサル・ウエポン4
(98アメリカ)
 
 
 
  リッグスとマータフの漫才コンビのようなかけ合いはこのシリーズの呼び物のひとつだろうが、私はこのノリにはいつまでたっても馴染めないでいる。 
 おそらくファンはこうした悪ふざけを大いに楽しんでいるのだろうが、私はちょっと身が退けてしまう。 
 「リーサル・ウェポン」という映画は本来はもっとシリアスなものであったはずなのだ。 
 恋人を失ったリッグス刑事がその悲しみから死の誘惑にかられ、自らを人間兵器と化したかのような破れかぶれの行動をとるようになったというのがそもそもの始まりであったはずなのだ。 
 もちろんこんな馬鹿げた行動がいつまでも続くものではないだろうから、シリーズが進むにつれて変化していくのは当然としても、あまりにも落差がありすぎるように思う。 
 あの悲しみや切実さはいったいなんだったのか、ついそんなことが頭をよぎってしまうのだ。 
 もちろんそんなつながりは無視してしまい、まったく別物の映画として観るという手もあるが、たとえそうしたとしても、どうもこのノリにはついていけないのである。 
 このシリーズもそろそろこのあたりが年貢の納め時なのかもしれないなどと思ってしまう。 
  
 だがこうした感想の一方で、悪役として出演しているジェット・リーの華麗なアクションが目をひく。 
 「少林寺」等のカンフー映画で有名なリー・リンチェイがジェット・リーの名前でハリウッド初進出を果たしているのである。 
 切れ味抜群のアクションと甘いマスクでの悪役ぶりはなかなかみごたえがある。 
 彼の存在がリッグスとマータフコンビのマイナス面をかなりの程度カバーしているのである。 
  

 
製作総指揮 スティーブ・ペリー/ジム・バン・ウィク 製作 ジョエル・シルバー 
製作・監督 リチャード・ドナー 脚本 チャニング・ギブソン 撮影 アンジェイ・バートコウィアク
音楽 マイケル・ケイメン/エリック・クラプトン/ディビッド・サンボーン
出演 メル・ギブソン/ダニー・グローバー/ジョー・ペシ/レネ・ルッソ/ジェット・リー
 
 
 
 
 
 
 
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