1999年4月 NO.1
 
 
 
 
4/4 サボテン・ブラザース
(86米)
 
  
 
 「サタデー・ナイト・ライブ」出身の3人とジョン・ランディスが組んで「七人の侍」をベースにしたようなハチャメチャな西部劇をけっこう楽しんで作っている。 
 3人のお笑い競争といった趣の映画である。 
 こういった映画の現場はおそらくとてつもなく愉快なものに違いない。 
 ひょっとすると映画よりもそちらのほうが何倍もおもしろいのかもしれないなどと想像してしまう。 
 映画では見られないライブ感や即興のおもしろさ、掛け合い漫才のような笑いのやりとりが充満しているのではなかろうか。 
 そう思ってしまうのも、映画自体の笑いがいまひとつはじけないといううらみがあるためだ。 
 おかしいことは確かだが、腹を抱えて笑うというふうではないのである。 
 この3人であればどうしてもそこまでの笑いを期待してしまうのだ。 
 それだけの芸をもったコメディアンであるはずで、それが十分に発揮されていないのがいささか惜しまれる。 
  

 
製作総指揮・脚本 スティーブ・マーチン
製作 ローン・マイケルズ/ジョージ・フォルシーJr
監督 ジョン・ランディス 脚本 ローラン・マイルズ/ランディ・ニューマン
撮影 ロナルド・W・ブラウン 音楽 エルマー・バーンスタイン
出演 スティーブン・マーチン/チェビー・チェイス/マーチン・ショート
 
 
 
 
 
 
 
4/7 めし
(51東宝)
 
  
 
 言わずと知れた成瀬巳喜男監督の代表作であり、日本映画の名作の1本である。 
 いわゆる日本映画の巨匠と呼ばれる監督の作品でレンタルビデオなどで簡単に観られるのは黒澤明と小津安二郎のふたりぐらいのもので、溝口健二、成瀬巳喜男、内田吐夢などの作品はほとんど観ることができない。 
 とくに成瀬巳喜男の作品は地味なものが多く、あまり商売にならないという判断が働くからだろうがどこを覗いてみても皆無なのである。 
 だから今回、衛星放送で成瀬巳喜男作品が三本も放映されるということは私にとっては特別なことで、ちょっと大げさにいえば千載一遇のチャンスともいえるものなのだ。 
 これを見逃せばまたいつこうしたチャンスに再び巡り会えるかわからない。さっそく録画をする。 
  
 この作品の製作年度は1951年、昭和26年となっており、敗戦からわずか6年、まだ戦争の影を濃厚に引きずっている時代の話である。 
 この映画のなかでも主人公の原節子の女学校時代の友人で、幼い子供を抱えた戦争未亡人が駅前の路上で新聞を販売しているシーンが登場してきて、さりげなくそうした時代背景が描かれている。 
 ごくありふれた庶民の生活の哀歓を描き続けた林芙美子の原作ということで貧しくて生きていくのが精いっぱいという人々の生活がたんたんとスケッチされていく。 
 貧しい生活に追われ、ともすれば自分を見失ってしまいがちだが、その底には陽気でおおらかな気分が流れているのが感じとれる。 
 それはこの映画が作りだした気分であるのと同時に、時代がもつ気分でもあったのだと思われる。 
 たとえば同じ長屋のおばさん(浦辺粂子)が原節子、上原謙夫婦をなにくれとなく手伝ったり、向かいに住むおめかけさんがおかずのお裾分けをもってきたりといったことが描かれるが、こうしたことがまだまだ日常の習慣として自然に行われていたのだろう。 
 また長屋にしても今のように閉め切って、人の出入りを遮断するような構造ではなく、ずいぶんと開放的な作りのものである。 
 外から中の様子が簡単に見通せるほどである。現在から見れば不用心このうえないが、当時はそれが当たり前のことだったのだろう。 
 ただ、映画のなかでせっかく買った上原謙の通勤用の靴があっさりと盗まれるというエピソードがあるようにけっして油断は出来ないのだが、それさえも実にのんびりとした印象なのである。 
 昔は良かったと短絡して考えたくはないが、このころの名画を観ていると懐かしさとともに心洗われるような気持ちにさせられる。 


 
製作 藤本真澄 監督 成瀬巳喜男 原作 林芙美子
脚本 井手俊郎/田中澄江 撮影 玉井正夫
音楽 早坂文雄 美術 中古智
出演 原節子/上原謙/島崎雪子/杉葉子/風見章子
浦辺粂子/大泉晃/杉村春子/山村聰
  
 
 
 
 
 
 
4/8 乱れる
(64東宝)
 
 
 
 さて成瀬巳喜男監督の2本目は「乱れる」である。 
 この作品の製作年度は1964年、昭和39年で、「めし」から13年後であり、映画の時代背景もほぼリアルタイムなものである。 
 日本は高度成長期のまっただ中にあり、戦争の影も薄れて比較的安定した時代である。 
 「めし」は林芙美子の原作だったが、こちらは松山善三のオリジナルである。 
 高峰秀子という女優のよさをいちばん身近に理解している夫の松山善三が書いたというだけあって、高峰秀子の素晴らしさが際だっている。 
 彼女のけっして派手ではない普通の女性のもつ美しさを巧みに引き出している。 
 またストーリーのよさに加えて成瀬巳喜男のきめの細かい演出が観ているこちらの心を掴んで離さない。 
 年下の義弟に愛を告白されて複雑に揺れ動く未亡人の心理を高峰の確かな演技と成瀬の格調高い映像表現が的確に捉えていく。 
 けっして声高でなく日常的な表現のなかに強い緊張感をはらんで進んでいく。 
 そしていつの間にかその世界に強く捕らえられていることに気づくのである。 
 義弟役の加山雄三が実にいい。こんないい演技をしていたのだと改めて思う。 
 どちらかといえば不器用で黒澤映画以外ではあまり演技に感心することはなかったが、この映画での加山雄三のよさは強く印象に残る。 
 おそらく彼の代表作の一本といっていいだろう。 
 やはり俳優はいい監督のもとで演技をするべきなのだ。 
  

 
製作 藤本真澄 製作・監督 成瀬巳喜男 脚本 松山善三
撮影 安本淳 美術 中古智 音楽 斎藤一郎
出演 高峰秀子/加山雄三/草笛光子/白川由美
浜美枝/三益愛子/藤木悠/十朱久雄
 
 
  
 
 
 
4/9 百貨店大百科
(92フランス)
 
 
 
 題名からも分かるようにフランスの老舗百貨店を舞台にした群像劇である。 
 個人主義の国フランスの百貨店の舞台裏が様々な店員の姿を追って描かれていくが、あまり楽しめる内容ではない。 
 自己主張の激しい店員たちの勝手な行動を見ていると、他人事ながら腹が立つ。 
 おそらくかなりデフォルメされて描かれているのだろうが、大なり小なりこうした現実が存在するのに違いない。 
 こうした生態を見続けるのはかなりの忍耐が必要だ。 
 途中で投げ出したい衝動にかられたが、なんとか我慢して最後まで見続けた。 
 おそらくフランス流のエスプリによる味付けがされているのだろうが、その辺の感覚がよくわからないままである。 
 クラビシュ監督の「猫が行方不明」は評判がよさそうな作品だが、これに懲りて今はちょっと観る気にならない。 
 ひょっとすると観る順番を間違ったのかも知れない。 



  
製作 アドリーヌ・ルカリエ 監督・脚本 セドリック・クラピッシュ 撮影 ドミニク・コラン
音楽 ジェフ・コーエン 美術 フランソワ・ルノー=ラバルト
出演 ファブリス・ルキーニ/ジャン=ピエール・ダルッサン
ピエール=オリヴィエ・モルナス/ナタリー・リシャール/マイテ・ナイール
オリヴィエ・ブローシュ/マルク・ベルナン/エリザベート・マコッコ
 
 
 
 
 
 
4/9 ジム・キャリーはMr.ダマー
(94アメリカ)
 
  
  
 「メリーに首ったけ」でファレリー兄弟を知ったので、遡って観れる作品をということで、まずは「ジム・キャリーはMr.ダマー」を観ることにする。 
 これは「2人のバカな男がスキーに熱中する」話である。 
 ひとりはジム・キャリー、もうひとりがジェフ・ダニエルズ。 
 ともにどうしようもないほどバカでまぬけなふたりがとんでもない勘違いからひとりの女性を追いかけて、はるばる遠く離れたスキー場へと旅をする。 
 「メリーは首ったけ」でもキャメロン・ディアスをめぐって男たちが入り乱れてストーカー行為をくりかえすという話であったが、この映画のふたりもほとんどそれと変わりがない。 
 本人たちは善意の行動と思っていることも常識的にはストーカーと変わりがない。 
 そんな馬鹿馬鹿しい行動が延々とくりかえされる。 
 「メリーに首ったけ」ほどの弾けたおもしろさはないものの、そこそこ楽しめるバカ映画ではある。 
 こういったプロセスを経て「メリーに首ったけ」でブレイクしたという意味では興味は持てるが、それ以上でも以下でもない。 
 それがこの映画を観ての結論である。 


 
製作総指揮 ジェラルド・T・オルソン/アーロン・メイヤーソン
製作 チャールズ・B・ウエスラー/スティーブ・ステイプラー/ブラッド・クレボイ
監督・脚本 ピーター・ファレリー 脚本 ベネット・イェリン
撮影 マーク・アーウィン 美術 シドニー・J・バーソロミューJr
出演 ジム・キャリー/ジェフ・ダニエルズ/ローレン・ホリー
カレン・ダフィー/ビクトリア・ロックウェル/チャールズ・ロケット
  
 
 
  
 
 
4/10 鉄塔武蔵野線
(98日本)
 
  
 
 孤独な少年のひと夏の冒険を爽やかに描いた映画である。 
 濃い緑と夏空が美しい。 
 子供時代の夏休みというものは不思議な開放感とともに記憶に残っている。 
 学校という束縛から解き放たれた自由な時間をどう過ごそうかと期待に胸ふくらませたときの言いようのない幸福感は忘れがたい。 
 そして同時に一日を遊びほうけた後のそこはかとない物悲しさ、日暮れた道をとぼとぼと帰っていくときに感じた切ないような心細さといったものが甘い記憶として残っている。 
 そうした記憶をこの映画は鮮やかに蘇らせてくれる。 
  
 両親の離婚で東京から長崎の学校へ転校することになった夏休みに小学6年生の見晴は年下の友達、暁を誘って武蔵野送電線の鉄塔第一号を探し出す旅に出かける。 
 そしてそれぞれの鉄塔の下にビール瓶のブリキの栓をまじないのように埋めていく。 
 それは不思議なパワーを身につけるためのふたりだけの秘密の儀式なのである。 
 子供は時として思いもよらないような奇妙なものに強い関心を示すことがある。 
 大人から見れば取るに足りないようなものが子供にとっては非常に重要なものに見えてくる。 
 ここではそれが武蔵野に連なる鉄塔であった。 
 そしてその鉄塔をたどっていくという行為は普段の少年たちの日常というテリトリーを大きく踏み出す大冒険なのである。 
 ふたりは自転車にまたがって未知の世界へと走り出す。 
 もちろんこうした冒険の常としてふたりの前には次々と難問が現れてなかなか思ったようには進まないという事態が待ち構えているのだが。 
 しかしそれは世界の成り立ちの不思議さと出会ってしまう冒険であり、また新しい現実と遭遇することの新鮮な驚きを味わえる冒険なのである。 
 そしてこうした冒険が間違いなく「一生で数えるほどしかない幸せな時間であるということ」に少年はやがて気づくことになる。 
  
 抜けるように高い青空とむせ返るような草いきれそして途絶えることのない蝉の声が甘酸っぱい感傷を掻き立てる。 
 そしてそこにおおたか静流の歌う主題歌が夏の映像と見事に溶け合って流れることで、さらに強い印象を残すことになる。 
  
  子供時代の思い出を大切にとっておきたいと考えるようにこの映画も記憶の引き出しにそっとしまいこんでおきたいと思わせる作品なのである。 
  

 
監督・脚本・編集 長尾直樹 原作 銀林みのる
撮影 渡部眞 音楽 おおたか静流/内藤和久
出演 伊藤淳史/内山眞人/田口トモロヲ/麻生祐未/菅原大吉
 
 
 
 
 
 
4/10 バスキア
(97アメリカ)
 
  
 
 ジャン・ミッシェル・バスキア。 
 ストリート・カルチャーから登場し、80年代のアート・シーンを疾走し、そのポップな作品と同様の激しく荒々しい人生を生き、27歳という若さでこの世を去った天才画家である。 
 彼の活躍した期間はわずか7年という短い時間であった。 
 その間に膨大な数の作品を残したが、その絵は彼の生き方と同じように自由で大胆な線によって構成されたものだ。 
 人間の根源的な声を作品化し、プリミティブな印象を与える絵画のなかに現代アメリカ社会のさまざまな様相が塗り込められ、原始的であると同時にきわめて現代的な精神を感じさせるのが彼の作品の最大の魅力である。 
 そうした力に初期の頃から注目していた作家のひとりにアンディー・ウォーホールがいた。 
 バスキアも現代アートの代表的な作家であるウォーホールからは強い影響を受けており、彼の目標とする作家でもあったところから急速にふたりは接近するようになる。 
 そしてバスキアの名声が高まるにつれ共同で作品を制作するようにもなる。 
 映画ではこのふたりの交流を中心に80年代のニューヨークのアートシーンを再現している。 
 デビッド・ボウイが笑ってしまうほど見事にウォ−ホールそっくりに変身している。 
 さらに新人のジェフリー・ライトがちょっと太めながらもこれもバスキアそっくりに変身しており、当時の時代感覚が楽しめる。 
 ただし映画としてのおもしろさはさほどではなく、あまり多くは期待できないが、現代アート好きにとっては興味深い映画ではあるだろう。 


 
製作総指揮 ピーター・ブラント/ミチヨ・ヨシザキ/ジョセフ・アレン
製作 ジョン・キリク/ライディ・オストロー/ジョニー・サイヴァッソン
監督・脚本 ジョリアン・シュナーベル 原作 レヒ・マジュースキー
撮影 ロン・フォーチュナトー 音楽 ジョン・ケイル 美術 ダン・リー
出演 ジェフリー・ライト/デビッド・ボウイ/ゲーリー・オールドマン
デニス・ホッパー/クリストファー・ウォーケン
テータム・オニール/コートニー・ラブ/ウィレム・デフォー
 
 
 
 
 
 
4/11 ケス
(69イギリス)
 
 
 
 先日観た「鉄塔武蔵野線」に続いて少年が主人公の映画を観る。 
 1969年に作られたケン・ローチ監督による作品である。 
 ヨークシャ地方の炭坑町に暮らす少年の孤独な日常がタカを育てることで慰められていく様子が力強いリアリズムで描かれていく。 
 まるでドキュメンタリー映画を観ているような手触りはケン・ローチ監督の映画の大きな特徴である。 
 その力強いリアルさに思わず物語のなかに引き込まれていく。 
 15才になる少年ビリーは離婚した母親と不良の兄との3人で貧しいアパートで暮らしている。 
 兄とはしょっちゅうケンカばかりしており、学校でも教師の締め付けと同級生たちのいじめにあうという厳しく潤いのない毎日を過ごしている。 
 さらに勉強のできない彼は卒業後の就職先のあてもないという状態である。 
 しかしそんな八方ふさがりの生活のなかでも、彼なりの知恵を働かせてけっこう逞しく生きている。 
 学校が終わった後の新聞配達の途中で人の家の牛乳を盗み飲みしてみたり、古本屋の本を万引きしたりといった悪ガキぶりも発揮するのである。 
 このままいけば多分彼も兄のようなどうしようない不良になるに違いないと思わせるような毎日だ。 
 おそらくそれがこの貧しい炭坑町で生きる多くの少年の等身大の姿であるとケン・ローチのカメラは語っているようだ。 
 そんな彼が廃屋でタカの雛を見つけて飼うことになる。 
 けっして人にはなつかないといわれるタカを懸命に飼い慣らしていくことで少年の日常は輝いたものになっていく。 
 タカと少年の日々の描写が素晴らしい。 
 とくに草原での調教で、次第にタカを自在に扱かえるようになっていくプロセスが感動的だ。 
 まるで少年がタカと一体になって空を飛んでいるような高揚感がある。 
 そしてそのことを知った教師が授業のなかで少年にタカの調教について語らせる場面も同様に胸をうつ。 
 教師に促され、イヤイヤながら壇上に進み出た少年が訥々とタカとの経緯を話し始める。 
 そして話が次第に佳境に至ってくると俄然口調が熱をおび始め、少年の態度が次第に自信に満ちたものになってくる。 
 学校で居場所のなかった少年の誇らしげな顔が印象的だ。 
 「タカは飼い慣らせない。人に服従しないから好きだ。」という少年の言葉にこめられた心情は胸をうつ。 
 これは紛れもなくケン・ローチの代表作であり、また同時にイギリスを代表する傑作でもある。 
  

 
製作 トニー・ガーネット 監督・脚本 ケン・ローチ 原作・脚本 バリー・ハインズ
撮影 クリス・メンジス 音楽 ジョン・キャメロン 美術 ウイリアム・マックロー
出演 デイヴィッド・ブラットレー/コリン・ウェランド/リン・ペリー/フレディ・フレッチャー
 
 
 
 
 
 
4/11 ボディ・バンク
(96アメリカ)
 
  
  
  なかなか楽しめるサスペンス・ドラマである。 
 現代の医療問題を巧みに犯罪に絡ませたアイデアはやはり原作のよさであろう。 
  主人公の青年医師(ヒュー・グラント)が病院内部の謎に気づいていくプロセスや伏線の張り方はなかなか見ごたえたっぷりだ。 
 最初の疑問にぶつかった後、それを中途半端なままにしておけないところなどはいかにも生真面目な科学者らしい態度である。 
 そしてそれがきっかけで次第に深みへはまっていくことになり、自らも危険にさらされるようになる展開もスリリングで恐怖を感じる展開だ。 
 さらにジーン・ハックマンが存在感のあるところを見せており、単純に悪とは呼べない人物を押さえた演技で演じており、医療に携わる科学者同士の対立をふたりが鮮やかに浮かび上がらせている。 
 この対立をラストにつなげるアイデアも自然な流れで納得のいくところである。 
 よくできたサスペンス・ドラマといえよう。 
  
 
製作 エリザベス・ハーレー 監督 マイケル・アプテッド 原作 マイケル・パルマー
脚本 トニー・ギルロイ 撮影 ジョン・ベイリー 音楽 ダニー・エルフマン
出演 ヒュー・グラント/ジーン・ハックマン/サラ・ジェシカ・パーカー/デビッド・モース
 
 
 
 
 
 
4/12 ケレル
(82仏/西独)
 
  
  
 フランスの異端の作家ジャン・ジュネの「ブレストの乱暴者」を映画化した作品である。 
 またさらに若くして急死したニュー・ジャーマン・シネマの代表的映画作家であるライナー・ベルナー・ファスビンダーの遺作でもある。 
 ブレスト港の高台に建つ淫売宿「ラ・フェリア」を舞台に主人公ケレルを中心に男色と犯罪というジャン・ジュネ独特の倒錯した世界が描かれる。 
 倒錯した官能の世界が舞台劇を思わせる人工的なセットや青や橙色の毒々しい照明によって強調され、汗と体臭が匂い立ってくるような独特の映像世界が展開される。 
 実験精神あふれた意欲作ともいえようが、はっきり言ってよく解らない世界であり、縁のない世界の話といった印象である。 
 最後まで見続けるためにはかなりのエネルギーが必要であった。 
 だがいかに失望させられようと雑食性の映画ファンとしてこうした異端の映画を観る意欲だけは持ち続けていなければと思うのだ。 


 
監督・脚本 ライナー・ベルナー・ファスビンダー 原作 ジャン・ジュネ
撮影 ザビエル・シュワルツェンバーガー
出演 ブラッド・デイビス/ジャンヌ・モロー/フランコ・ネロ/ギュンター・カウフマン
 
 
 
 
 
 
4/12 シン・レッド・ライン
(99アメリカ)
 
 
  
 「天国の日々」という美しくも悲しい作品を作った後、20年間まったく作品を撮らなかったテレンス・マリック監督がようやくその重い腰をあげて撮った待望の作品である。 
 この20年間という空白が何を意味するものなのか、その謎にわれわれ映画ファンは大いに興味をそそられる。 
 おそらくその全貌が明らかにされることはないだろうが、そこに創作者の複雑な内面や興行世界の隠された利害などといったものを勝手に想像してしまうのだ。 
 だがとにかくこうして新しい作品を作り上げることができたということはなんとしても喜ぶべきことである。 
 われわれファンは最大の拍手をもって迎えたい。 
  
 「シン・レッド・ライン」直訳すると「細い赤い線」ということになる。 
 過酷な最前線にあっての「細い赤い線」、それは人間の生と死を分け隔てる線であり、正気と狂気を隔てる線でもある。 
 そしてその隔てる線はごくわずかの細い線によって区切られているにすぎない。 
 そうしたことを第二次大戦におけるガダルカナルの壮絶な戦闘によって描いていく。 
 ここでは誰もが実にあっけなく死んでいく。 
 死は日常であり、決して荘厳でも厳粛でもなく、ただ単なる即物的な事実でしかありえない。 
 そしてその事実を前にした兵士たちの苦悩と絶望は痛々しくわれわれの胸を打つ。 
 激戦が始まる前の耐え難いほどの緊張と不安、そしてそれを激しく揺さぶる長い沈黙。 
 その息づかいが聞こえてくるような静寂のなかで若い兵士たちの恐れや怯えが身を切り裂くように伝わってくる。 
 ある者は身体の変調をきたし、ある者は恋人との幸せな日々の記憶にすがりつこうとする。 
 そして「レッド・ライン」を越え、自らを狂気に駆りたてることで戦闘へと突入していくのである。 
 攻撃目標である丘の頂上から容赦なく降り注いでくる銃弾の雨、そして激しく炸裂する砲弾、つぎつぎと倒れていく兵士たち、彼らの悲鳴や怒号が飛び交うなかで兵士たちをさらに深い狂気のなかへと駆りたてていく。 
 膠着したまま何の成果もみせない戦闘が絶望的に続いていく。 
 それは永遠に終わることがないように思われる時間である。 
 こうした場面を見ることでわれわれ観客の心は次第に絶望的な無常観に支配されていく。 
 そして思う。 
 人間とは何なのか、生きるとは、死ぬということは、神とは? 
  
 さらにテレンス・マリック監督はこうした激烈な戦闘を描くのと同じ比重で熱帯の大自然のさまざまな表情を同時にとらえていく。 
 「レジェンド・オブ・フォール」と「ブレイブハート」でアカデミー撮影賞を受賞したジョン・トールのカメラが 
こうした熱帯の風景を美しく撮し出す。 
 それは戦争とは無縁の大自然の雄大さであり、人間たちの愚かな争いを見下すかのような美しさである。 
 殺戮と生命の讃歌という両極の対比によってこうした問いかけがいっそう際だったものになって迫ってくるのである。 
  
 深く重く心のなかに沈殿してくる戦争映画の傑作である。 
  

 
製作総指揮 ジョージ・スティーブンスJr.
製作 マイケル・ガイスラー/グラント・ヒル/ジョン・ロバルデュー
監督・脚本 テレンス・マリック 原作 ジェームス・ジョーンズ
撮影 ジョン・トール 音楽 ハンス・ジマー
出演 ショーン・ペン/ジム・カヴィーゼル/ジョン・キューザック/ニック・ノルティ
エイドリアン・ブロディ/ベン・チャップリン/エリアス・コーティアス
 
  
 
 
 
 
 
4/13 リチャードを探して
(96アメリカ)
 
  
  
 アル・パチーノがシェークスピアの「リチャード3世」を上演するために様々な角度から原作に迫っていく姿をドキュメンタリーとフィクションの両面から追っていくという映画である。 
 シェークスピア劇に関わる様々な人物へのインタビュー、リハーサル風景、さらには実際に彼らが演じる劇を織り交ぜながら「リチャード3世」の全貌へと迫っていく。 
 主役のリチャード3世を演じるのがアル・パチーノ、彼がこの映画の製作も監督も兼ねており、長年のシェークスピア劇への愛着と蓄積の深さを感じることができる。 
 シェークスピアに関心のない者、よく知らない者でもこの映画を観ることでシェークスピア劇の面白さの一端に触れることができるという仕組みになっている。 
 アル・パチーノをはじめとする出演者たちが映画の進行とともに次第に役に成りきっていく姿がスリリングである。 
 そして不自由な体に生まれついたリチャード3世がそのコンプレックスをバネに権某術数の限りを尽くして登りつめていく様子が劇的に描かれていく。 
 初監督とは思えない見事な見せ方である。 
 この映画を観ていると「リチャード3世」の舞台劇を全編通して観てみたいという気持ちにさせられる。 
  
 
製作 アル・パチーノ/マイケル・ハッジ 監督 アル・パチーノ
原作 ウィリアム・シェークスピア 撮影 ロバート・リーコック
音楽 ハワード・ショア 美術 ケビン・リッター
出演 アル・パチーノ/アレック・ボールドウイン/アイダン・クイン
ウィノナ・ライダー/ケビン・スペイシー/ペネロープ・アレン/ケビン・コンウェイ
  インタビュー出演 ジョン・ギールグッド/ケネス・ブラナー
ヴァネッサ・レッドグレーブ/ケビン・クライン
 
  
 
 
 
 
 
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