2000年1月 NO.1
  
 
 NEWTON BOYS
1/3  ニュートン・ボーイズ

 
98年アメリカ作品
●製作:アン・ウォーカー=マクベイ/ピーター・ジェームズ 
●監督・脚本:リチャード・リンクレイター ●脚本:クラーク・リー・ウォーカー 
●原作・脚本:クロード・スタヌッシュ ●撮影:ピーター・ジェームズ 
●音楽:バッド・リバース ●作曲:エドワード・D・バーンズ 
●プロダクション・デザイナー:キャサリン・ハードウィック 
●編集:サンドラ・アデアー ●衣装:シェリー・コマロフ 
●出演:マシュー・マコノヒー/イーサン・ホーク/スキート・ウールリッチ 
 ビンセント・ドノフリオ/ドワイト・ヨアカム/ジュリアナ・マルグリース 
 ボー・ホプキンス/クロエ・ウェブ/チャールズ・ガニング 

 1919年から24年間、80を超える銀行を襲い、さらに史上最大の郵便列車強盗をやってのけた4人兄弟の実録映画である。 
 この兄弟のやった銀行強盗は史上もっとも高い成功率を収めており、さらにまた全員が長寿の人生をまっとうするという銀行強盗にしては珍しい生涯を送っている。 
 その成功の秘訣は果たして何だったのか、その点について興味をそそられるが、映画では詳しい説明はなされない。 
 ニトロを使って金庫の扉を爆破する単純で荒っぽいやり方がどうしてそんな高い確率で成功を収めることができたのか、納得いく経緯が描かれていないので、どうしてもその手口に頭をひねらざるをえなくなる。 
 これではどの銀行も単に間抜けで無防備なだけだったということなってしまう。 
 本来ならばこうした映画ではそのへんの攻防こそが最大の柱となるはずで、そこがしっかりと描きこまれていないことには映画そのものにも乗っていくことができない。 
 結局そんなことから映画としてのカタルシスも味わうことなく、中途半端な印象のままで終わってしまったのである。 
 アウトローものにしてはいささか迫力不足と云わざるをえない。

 
 
 
EYE OF THE NEEDLE
 1/3  針の眼

●監督:リチャード・マーカンド ●製作:スティーヴン・J・フリードマン 
●原作:ケン・フォレット ●脚本:スタンリー・マン 
●撮影:アラン・ヒューム ●音楽:ミクロス・ローザ 
●出演:ドナルド・サザーランド/ケイト・ネリガン/イアン・バネン 
 クリストファー・カザノフ/フィリップ・マーティン・ブラウン 
 
81年イギリス作品

 第2次大戦の末期、ヨーロッパ戦線においては連合軍がいつどこに上陸してくるかということが最大の関心事であった。 
 その緊迫した状況下で、イギリスに秘かに潜入していたドイツ軍最強のスパイがその情報を探ろうと活動を開始する。 
 イギリス人に成りすました彼は<針>というコードネームで呼ばれ、危機に際しては隠し持ったナイフでいとも簡単に人を刺し殺す。 
 そうしたプロ中のプロである<針>が上陸地点がノルマンディーであるという情報を入手して国外脱出を図ろうとするまでが緊迫したタッチで描かれていく。 
 その静かな迫力に思わず画面に引き込まれてしまう。 
 それはまるでフレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」を思い出させるような感触である。 
 <針>を演じるドナルド・サザランドのイギリス紳士然とした表向きのソフトさと、その裏に隠されたスパイとしての冷酷非情さを見ていると「ジャッカル」のイメージと重なってくるものがあるのだ。 
 ということで幾度となく「ジャッカル」を連想しながら観ていたのである。 
 そんなドナルド・サザーランドの際だった個性がこの映画を大きく支えており、彼の存在なくしてこの映画の成功はありえなかっただろうと思わせる。 
 なかなか見ごたえのあるスパイ映画の傑作である。

 
 
 
RED CORNER
1/4  レッド・コーナー

97年アメリカ作品
●製作総指揮:ウォルフガング・ペーターゼン/ゲイル・カッツ 
●製作:ジョーダン・カーナー/チャールズ・B・マルベヒル/ロザリー・スウェドリン 
●製作・監督:ジョン・アブネット ●脚本:ロバート・キング 
●撮影:カール・ウォルター・リンデンラウブ ●編集:ピーター・E・バーガー 
●美術:リチャード・シルバート ●音楽:トーマス・ニューマン 
●出演:リチャード・ギア/バイ・リン/ツァイ・リン/ブラッドリー・ホイットフォード 
 バイロン・マン/ピーター・ドナット/ロバート・スタントン/ジェームズ・ホン 

 北京を舞台に繰り広げられるサスペンス・ミステリー。 
 東洋文化に傾倒しているリチャード・ギアらしい作品といえるだろう。 
 開放政策盛んな中国のラジオ映画テレビ省にテレビ番組を売り込みに来たアメリカのビジネスマンが運悪く殺人事件に巻き込まれ、無実の罪で裁判にかけられる。 
 言葉も通じず、裁判の方法も違った異国の地でまったく孤立無援の状態に陥った彼がひとりの女性弁護士の命がけの弁護によって救出されるまでがサスペンスあふれるタッチで描かれる。 
 罪を認めず裁判で争えば間違いなく死刑が宣告され、日をおかずに銃殺刑に処せられてしまうという状況のなかでどうやって無罪を勝ち取っていくのか、彼の日々高まっていく焦燥や恐怖を交錯させながらテンポよくまとめられていく。 
 実際、現実の中国の訴訟制度がどのようなものかについてはまったく分からないが、文化大革命という恐怖政治を招いた中国だけに、あるいはこういった恐怖体験もあり得るかも知れないと思わせるものがある。 
 そうした気分を道具立てとしてうまく利用した話といえよう。 
 だがとにかくそうした詮索は別にしても、なかなかよくできたミステリー映画といえるだろう。 
  
 製作総指揮にウォルフガング・ペーターゼンの名前が見られるが、彼の参加があるいはこの映画の質を高める一因になっているのかも知れない。 

 
 
 
AMONG GIANTS
1/7  マイ・スイート・シェフィールド

●監督:サム・ミラー ●製作:スティーブン・ガーレット 
●脚本:サイモン・ボーフォイ ●撮影:ウィトルド・ストック 
●編集:エレン・ピアース・ルイス/ポール・グリーン ●音楽:ティム・アタック 
●出演:ピート・ポスルスウェイト/レイチェル・グリフィス/ジェームズ・ソーントン 
 ロブ・ジャーヴィス/レニー・ジェイムス/アンディ・サーキス/アラン・ウィリアムス 
  
98年イギリス作品

 「フル・モンティ」の舞台となったイングランド北部の町シェフィールドはかつては鉄鋼で栄えた町である。 
 だが今は当時の面影も消え、不況の風が吹き荒れる「鉄冷え」の町となっている。 
 そのあたりの様子は「フル・モンティ」で詳しく描かれていたが、そのシナリオを書いた脚本家サイモン・ボーフォイが再びシェフィールドを舞台に書いたのが「マイ・スイート・シェフィールド」である。 
 彼が自らの故郷シェフィールドを何度も作品に登場させるほどこだわる理由はこの映画を観ているとよく解る。 
 緑豊かなヨークシャーの大地、そこに鉄塔やタンクといった建造物がまばらに点在する風景を見ていると彼でなくともその美しさに心奪われてしまう。 
 そしてその雄大さを画面に取り込むような空から見下ろすショットが繰り返し登場することでその美しさがさらに強く心に残る。 
 もちろんこの映画が鉄塔のペンキ塗りを題材にしたものだということから考えると当然のアングルなのだろうが、逆にこうした大地の美しさを見せるためにこうした設定を選んだのではないかというふうにも思えてくる。 
  
 こうした町を背景に男たちの危険きわまりない作業が映し出されていく。 
 ピート・ポスルウェイト演じる主人公レイは当然のことながら失業中の身である。 
 そして彼が臨時仕事として見つけてきたのが高圧鉄塔線のペンキ塗りという仕事である。 
 保険も保証もないなかで200以上もの鉄塔を決められた期間内に塗り終えなければならない。 
 彼と相棒のスティーブはともにフリー・クライミングの名手で、高いところの作業はお手のものだが、他の数人の仲間は皆一様に腰が引けてしまっている。 
 そうして始めた作業ではあるが、時間の経過とともに高さにも慣れてくる。 
 そんなある日、オーストラリアから旅してきたバックパッカーのジュリーが加わる。 
 彼女もレイたちと同じくフリークライミングの名手で、こうした仕事にはうってつけであった。 
 こうして男たちと紅一点のジュリーの共同作業が始まり、ノルマも順調にこなし、それにつれていつしかレイとジュリーが愛し合うようになっていく。 
 中年男のレイと若い女性ジュリーであったが、ともに登山を愛する自由さがお互いを惹きつけ合ったのかも知れない。 
 また妻や子供と別居中のレイと根無し草のジュリーが互いの寂しさに敏感に反応した結果なのかも知れない。 
 こうして遅咲きの恋に夢中になったレイは彼女との結婚を決意するが、結局は彼女の自由を縛りつけることは出来ず、ふたりの愛は終わりを告げることになる。 
 そして残ったものはふたりの結婚を祝って仲間たちが白く塗った一機の鉄塔だけである。 
 結局彼らの鉄塔塗りも完結しないままに終わってしまう。 
 何もかもが中途半端なままなのである。 
 それはまるで挫折多き彼らの人生を象徴しているようにも思えてくる。 
 だが同時にそうやって失敗を繰り返す彼らが愚かしくも愛すべき存在にも思えてくるのだ。 
 人生なんて失敗の連続だ。成功することのほうが珍しい。 
 君たちはほんとうによくやったよ。けっして悲しむべき経験ではなかったはずだ。 
 そんな言葉を投げかけたくなってくるのである。 
 そしてシェフィールドの美しい風景がそんな彼らの心を癒してくれるにちがいないのだ。

 
 
 
CEUX QUI M'AIMENT PRENDRONT LE TRAIN
1/8  愛する者よ、列車に乗れ

●監督・脚本:パトリス・シェロー ●製作:シャルル・ガッソ 
●脚本・原案:ダニエル・トンプソン ●脚本:ピエール・トリヴィディック 
●撮影:エリック・ゴーティエ ●編集:フランソワ・ジェディジエ 
●美術:リシャール・ペドゥッツィ/シルヴァン・ショヴロ 
●出演:ジャン=ルイ・トランティニャン/シャルル・ベルリング/ヴァンサン・ペレーズ 
 パスカル・グレゴリー/シルヴァン・ジャック/ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ 
98年フランス作品

 「愛するものよ、列車に乗れ」という画家ジャン=バチストの遺言にしたがって生前彼と親しかった者たちが同じ列車に乗り合わせて墓地のあるリモージュを目指す。 
 ゲイの画家であったジャン=バチストの葬儀には彼と愛情関係にあったゲイたちや複雑な関係にあった近親者、友人といった様々な人間たちが参列する。 
 そしてこの2日間の旅のなかでそれぞれが思いや葛藤をぶつけ合うことになる。 
  
 正直いって退屈だった。どうもこのての映画は苦手である。 
 まず登場人物が多いうえに、それぞれの関係があまりよく見えてこない。 
 またそれぞれの人物造型が曖昧で輪郭がぼやけてしまっている。 
 そのうえそうした人間たちが話すセリフがこれまた意味が解りにくく、いったい彼らが何を悩み、何に苛立っているのか、最後までよく解らないままなのである。 
 ここではひとりの男の死を契機として浮かび上がってくる男女の愛、男同士の愛、親子の愛といった様々な愛の形と葛藤を見せようとしているのだろうが、それもただ抽象的で思わせぶりなばかりで、こちらの胸にはいっこうに響いてこないのだ。 
 とにかくこんな調子で続く2時間は苦痛以外のなにものでもない。 
 途中どこかで転調の時が訪れてドラマチックな展開を見せてくれるかもしれないといった期待もあったのだが、そんな予想は見事に外されてしまった。 
 解りにくい映画というものは結局は解らせるためのテクニックというものが欠けているだけにしかすぎないのではなかろうか。 
 解りやすさということと単純さとはけっして同一ではない。複雑に入り組んだ話でも映画的に解りやすく見せるということはあるわけで、そうすることが映画を作る人間の最低限の礼儀であると思うのだが。 
 だが一方では解り難いということが芸術的だとか、高尚だとかとはき違えて、難解であることが一種のステイタスのように思いこんでいるといった傾向がままあるように思うのだが、どうであろう。 
 そうしたスノビズムがヨーロッパ映画、とくにフランス映画などにはよく見られるように思う。 
 とにかく映画というものは解りやすく余計な枝葉を刈り込んだ、もっと凝縮したものでなければならないと思うのだ。

 
 
 
FAIRY TALE
1/10  フェアリーテイル

 
97年イギリス作品
●監督:チャールズ・スターリッジ ●製作総指揮:ポール・タッカー 
●製作:ウェンディ・ファイナーマン/ブルース・デイヴィー 
●原案:アルバート・アッシュ/トム・マクローリン ●撮影:マイケル・コールター 
●原案・脚本:アーニー・コントレラス ●編集:ピーター・コールソン 
●音楽:ズビグニエフ・プレイスネル ●美術:マイケル・ハウエルズ 
●特殊効果監修:ティム・ウェーバー ●衣装:シャーリー・ラッセル 
●出演:フロレンス・ハース/エリザベス・アール/ピーター・オトゥール 
 ハーヴェイ・カイテル/フィービー・ニコルズ/ポール・マッギャン/ビル・ナイティ

 第1次世界大戦下のイギリスを舞台にしたこのお伽噺のような映画にはシャーロック・ホームズの生みの親である小説家コナン・ドイルや奇術師フーディニといった実在の人物が登場してくる。 
 そこでこれはフィクションのなかに実在の人物を巧みに取り入れた虚実ないまぜになった物語だとばかり思っていたのだが、後になって調べてみるとすべてが事実に基づいた映画だということである。 
 1917年に起きた「コティングリー妖精事件」がそれである。 
 そして実際にコナン・ドイルやフーディニーがこの事件に関わって、映画のような騒動が巻起こったということである。 
 しかしそうしたことが事実であるかどうかはさして重要なことではなく、あくまでもこのお伽噺風のファンタジーを素直に楽しむことができるかどうかが肝要なのである。 
 さらにまたこの映画においても妖精が実在するかどうかが重要なのではなく、ポリーとフランシスというふたりの少女の無邪気な願いや人を思いやる気持ちが人の心を動かしたり、救ったりすることになったということこそが大切なことなのだ。 
 そうした真心さえあれば、見えないはずの妖精もこの映画のように見えてくるのかも知れないのである。 
 そして信じることの大切さということを同時に考えさせられることにもなったのだ。 
 ハーヴェイ・カイテル演ずるフーディニとエルシーの間で交わされる「みんな秘密については本当は知りたくないんだ」という言葉に込められた意味は深く重い。 
  
 この物語の舞台が先日観た「マイ・スィート・シェフィールド」と同じというのも不思議な偶然である。 
 そしてここで描かれたシェフィールドの自然もまたそれに負けない、いやそれ以上の美しさであったのだ。

 
 
PICTURE PERFECT
1/11  ピクチャー・パーフェクト

●監督:グレン・ゴードン・キャロン ●製作:アーウィン・ストフ 
●原案・脚本:アーリーン・ソーキン/ポール・スランスキー/メイ・クイグリー 
●撮影:ポール・サロッシー ●音楽:カーター・バーウェル 
●出演:ジェニファー・アニストン/ケヴィン・ベーコン/オリンピア・デュカキス 
 ジェイ・モール/イレーナ・ダグラス/ケヴィン・ダン/フェイス・プリンス 
 
97年アメリカ作品

 日本未公開作品で、ビデオでしか観れないが、なかなかよくできたロマンティック・コメディだ。 
 先日観た「私の愛情の対象」のジェニファー・アニストンがよかったので、彼女の映画でなにかいいものがないかと探していたら、この作品に出会ったというわけだ。 
 ここでの彼女は広告代理店に勤務する独身のキャリア・ガール。 
 仕事は出来るが、重要なプロジェクトにはなかなか参加させてもらえない。 
 その理由が「結婚しない人間や、大きなローンを抱えていない人間には、守るべきものがない。だからいったん気にくわないことがあるとクライアントもろともすぐに転職してしまう。そんな人間に大切なプロジェクトはまかせられない」というものだ。 
 社長からそう聞かされた彼女はある秘策を思いつくという話である。 
 その秘策が生み出す悲喜劇のなかで彼女が右往左往する様子がテンポよく描かれる。 
 「私の愛情の対象」の延長線上にあるようなキャラクターである。 
 どちらかといえば自分勝手で鼻持ちならない女性だが、ジェニファー・アニストンが演じるとその嫌みが薄められて可愛く見えてくる。 
 それよりも必死で上昇しようとする彼女の一生懸命さをむしろ応援したくなってくる。 
 結局最後には自分にとって何が大切なのかということが見えてくるのだが、いったん走り出してしまうと周囲のものがよく見えなくなってしまうというのが人の常である。 
 そんなちぐはぐさが生み出すドタバタがおもしろい。 
 この映画を観てますます彼女のファンになってしまった。

 
 
 
 
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