2008年1月10日
 
 
ヨコハマメリー
 
 
 
 

 
2005年日本作品。  上映時間92分。 監督: 中村高寛  プロデューサー: 白尾一博/ 片岡希  構成: 中村高寛  撮影: 中澤健介/ 山本直史  音楽: コモエスタ八重樫 (Since)/ 福原まり (Since)  テーマ曲: 渚ようこ 『伊勢佐木町ブルース』  出演: 永登元次郎/ 五大路子/ 杉山義法/ 清水節子/ 広岡敬一/ 団鬼六/ 山崎洋子/ 大野慶人/ 福寿祁久雄/ 松葉好市/ 森日出夫
 
 
 この映画を見る前に、まずは白塗りの厚化粧をして街角にたたずむ老婆の異様な写真に目を奪われた。 
 それは通常ではありえない姿であり、一種、狂気さえも感じさせるような怪しさだ。 
 いったいこの老婆は何者なのか、どんな人物で、どんな人生を送ってきたのか、なぜこんな異様な姿で街角に立っているのか、そんな野次馬的な興味から映画の世界に入っていった。 
  
 彼女は横浜ではよく知られた名物的な存在で、「メリーさん」という愛称で呼ばれた街娼であった。 
 終戦直後、横須賀の街で米兵相手の街娼となり、1960年台には横浜に場所を移し、以後30年以上にわたって横浜の街に立ち続けた。 
 この映画を撮った中村監督も中学生のころ、伊勢佐木町界隈でよく彼女の姿を眼にしていたが、1995年に忽然と姿を消したことをきっかけに、彼女についてもっとよく知りたいとの思いから映画を撮り始めたのである。 
 映画は彼女が立ち続けた伊勢佐木町の人々へのインタビューを中心に進行していく。 
 行きつけのクリーニング屋、喫茶店、美容院、化粧品店、酒場などといった彼女と何らかの関わりをもった人たちが、そのエピソードや目撃談を語っていく。 
 そこから次第にその人物像が浮かび上がってゆく。 
 例えば、彼女は米兵相手の娼婦であったが、客として相手にするのは将校だけ、しかも彼女の好みに合った男だけというこだわりを持っていた。 
 若い頃は貴婦人のような衣装を纏い、その姿やプライドの高さから「皇族」の血を引く者ではないかという噂が立ったこともあった。 
 年老いた後は金もなく、住む所もないにもかかわらず、人に媚びるようなことはしなかった。 
 施しを受けることを嫌い、理由のある金しか受け取らなかった。 
 数奇な人生を生きてきたと思われるが、そうしたことには一切触れようとはしなかった。 
 自分の立場をわきまえて安易に人を近づけるようなことはせず、また人々の好奇の目にも臆することなく、毅然とした態度で街に立ち続けたのである。 
 そんな彼女を街の人々は一定の距離を保ったまま優しく見守り続けた。 
 いつしか彼女の存在は風景の一部のように街に溶け込んでいった。 
  
 こうした展開で映画は進んでいくが、そこに実際の「メリーさん」は登場しない。 
 写真家・森日出男が撮った写真とわずかに残された映像だけが当時の彼女の姿を知る手がかりである。 
 そこにインタビューを加えることで彼女の実像に迫ろうとするのだが、そのイメージに焦点が結びそうになりながらも結局最終的なところでは焦点がぼやけてしまい、依然彼女は謎のままの存在である。 
 だがその袋小路にはまった視線が次第に彼女と関わった人々の人生や戦後横浜の裏面史へと変わっていくことで、映画はまた新たな展開を見せていく。 
 そしてそのことがこの映画に奥行きと豊かさをもたらす大きな要素になっているのである。 
 その代表的な人物が横浜でシャンソン酒場を経営する歌手、永登元次郎という人物である。 
 映画の中でミッキー安川がディスクジョッキーを務めるラジオ番組の放送が流れ、そのなかで「横浜といえばやっぱりメリーさんと永登元次郎でしょう。」と言っているように、彼も横浜ではよく知られた人物である。 
 ゲイである彼はシャンソン酒場をもつ以前はゲイボーイとして働き、時には男娼として街に立つこともあったと彼自身の口から語られる。 
 そんな体験がメリーさんの人生と重なり合ったようで、彼女のことを親身になって気遣った。 
 彼がメリーさんと知り合ったきっかけは、自分のコンサートのチケットをメリーさんにプレゼントしたことから始まっている。 
 以前から気になる存在であったメリーさんが、偶然彼のコンサートのポスターを熱心に見つめているのを目にし、思い切って声をかけたのである。 
 そしてコンサート当日、メリーさんが現れ、舞台に立つ彼に花束を手渡した。 
 その様子を写したビデオが残されていて、その映像が流れる。 
 以後彼とメリーさんとの交流が始まった。 
 彼にとってメリーさんは友人であると同時に母のような存在であり、敬愛する同志でもあった。 
 ともに厳しい時代を生き抜いてきた同志、人々から見られ続けた好奇な目、侮蔑の視線と戦い続けてきた同志なのである。 
 「天使はブルースを歌う」というノンフィクションでメリーさんを取り上げた作家、山崎洋子がインタビューに答えて、「彼女の白塗りの化粧は自分を隠すための仮面」と評しているが、それと同時にけっして自分を崩さない決意の表れ、簡単に人を内側に入りこませないための鎧のようなもの、なのかもしれない。 
 その姿勢は親身に面倒を見続けてくれた永登元次郎にたいしても変わることはなかった。 
 そして数年の後、横浜の街から忽然と姿を消してしまったのである。 
 映画の終盤は姿を消した彼女の身を案じ、なんとか再会を果たそうとする永登元次郎の姿を追ってゆく。 
 末期癌を宣告された彼の、それが人生最後の大仕事でもあるかのように。 
  
 個性の濃い人間の濃い人生と出会えるのは映画を見る大きな醍醐味である。 
 人々の安易な理解や同情を拒絶して、どんなに後ろ指をさされようと自分の生き方を変えようとしなかった「ヨコハマメリー」の姿を見ることでその思いを改めて認識させられた。 
 そして彼女とクロスしたさまざまな人の人生と、それを取り巻く横浜の変転を見ることで、静かな「人間賛歌」を聴くことができたのである。 
 <2008/02/28>

 
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