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山田洋次の映画
 
 
 
 山田洋次の映画といえば、「男はつらい」であり、寅さんであるというのが定説であり、その存在の大きさから、ともすれば過去の作品が、見失われがちであるが、それらの作品も「寅さん」に劣らず、見るべきものが数多くある。 
 確かに「男はつらいよ」シリーズは48作という驚異的な長さのシリーズであり、多くの人たちに支持され続けた息の長い作品である。 
 しかし、「寅さん」以前の作品の中にも愛すべきものが、多くあり、世間的には、いまひとつ評価されなかった不遇な作品が多かっただけに、却って愛着を感じる作品が少なくない。 
 そして、それら「寅さん」以前の作品の中に、実は「男はつらいよ」の原型とも呼べるような人物や物語を、垣間見ることが出来るのである。 
 例えば、ハナ肇主演の「馬鹿」シリーズや「一発」シリーズに登場する主人公たちは、寅さんの原型のような人物たちである。 
 無教養で粗野だが、人がよく、底抜けに明るい。純情で、おだてに乗りやすく、つい調子に乗って羽目を外してしまう。 
 また、美人に熱を上げ、すぐ純情な恋に落ちてしまうというところも、寅さんにそっくりである。 
 そして、寅さんが旅人であるのと同様、これらの主人公たちも風来坊であり、どこからかやってきて、また、何処ともなく去ってゆくのである。 
 「馬鹿まるだし」の安五郎は、瀬戸内のとある町に、どこからともなく現れ、若く美しい住職の未亡人、夏子(桑野みゆき)が住む寺に転がり込む。 
 そして、その未亡人に秘かに恋をするという物語である。 
 安五郎は、腕っ節の強さと気っぷのよさで、たちまち町の人気者になり、よろずもめ事を裁くことで、やくざの親分気取りになってゆく。 
 ある時、ダイナマイトを持った脱獄犯が、人質を取って山へ逃げ込んだ。 
 安五郎は、夏子にいいところを見せようと、単身山に乗り込むが、ダイナマイトが爆発し、不幸にも失明してしまう。 
 この単純で、猪突猛進してしまう安五郎をエネルギッシュなハナ肇が、おかしくも哀しく熱演している。 
 失明した安五郎が、大粒の涙を流しながら、夏子に思いの丈を語る場面の哀切は、涙なくしては見られない。 
 「馬鹿」シリーズや「一発」シリーズの主人公のキャラクターは、おおむねこのような人物であり、ハナ肇と渥美清のキャラクターの差もあるかもしれないが、寅さんより、いくらか乱暴者であり、野性的である。 
 しかし考えてみれば「男はつらいよ」初期の頃の寅さんのキャラクターも、かなり乱暴なところがあり、いわば鼻つまみ者であったわけで、いくぶんこれらのシリーズの主人公の影を引きずっていたのも事実である。 
 例えば、この頃の寅さんは、町の人たちから馬鹿にされる存在であり、子供を叱るときなどは、「そんなことしてると、寅さんのようになっちゃうよ」とか、「寅さんのようになりたくなかったら、こうしろ」などと、引き合いに出される始末である。 
 それを聞いて、何度さくらが、涙を流したことだろう。 
 また、「続・男はつらいよ」では、無銭飲食で捕まったり、「寅次郎恋歌」では、酔っぱらって労務者風の男たちを連れて帰り、「ビールをもってこい」とか「さくら、唄を歌え」などと勝手放題をやって、さくらを泣かせてしまう。 
 もちろん、根は優しいが、その優しさを表面に出すのは苦手という下町っ子の特徴と、調子に乗って羽目を外してしまうという毎度の失敗が、ここでも繰り返されているだけだが、やはり、この頃の寅さんの性格は、多少、刺々しいところがあった。 
 「男はつらいよ」第1作の直前に作られた「吹けば飛ぶよな男だが」の主人公サブ(なべおさみ)も、そういった意味では、若き日の寅さんともいうべき人物であり、寅さんに繋がっているというふうにも考えられる。 
 やくざの幹部を夢みるチンピラのサブは、親の顔も知らない孤児であり、乱暴者ではあるが、根は優しく、やくざとしては中途半端な人間である。 
 ワルに徹しようと精一杯虚勢を張るが、生来の優しさが邪魔をして、失敗をするという愛すべき青年である。 
 頭の弱い家出娘、花子(緑魔子)を騙して、金儲けを企むが、逆に、この娘のために体を張る羽目になってしまう。    
 しかし花子は、以前騙された男に妊娠させられており、それがもとで死んでしまう。 
 このことがきっかけでやくざから足を洗ったサブは、外国へと旅だって行く。 
 このサブが、後の寅さんだというのは、牽強付会にすぎるだろうか。 
 寅さんも、若い頃は、多分サブのように手のつけられない悪ガキだったのではなかろうか。 
 寅次郎の両親は幼いときに別れてしまい、父親からは「お前は、俺が酒で酔っぱらったときに出来た子」で「だから、出来が悪い」などと悪し様に言われつけており、いまだに「悔しかったなあ・・・真面目にやってもらいたかったよ、俺は本当に」と恨みがましく言う様子から察すれば、あながちそれも、当たらずと言えども遠からじではなかろうか。 
 また、この「吹けば飛ぶよな男だが」の花子は、「男はつらいよ・奮闘編」にそっくりそのままの娘として登場してくる。 
 名前も同じ花子で、少し智恵の遅れたところもそっくりで、寅さんは、見るに見かねてこの娘(榊原るみこ)の面倒を見ることになる。 
 先の花子は、不幸にも死んでしまったが、今度の花子は、故郷の津軽から迎えにきた養護学校の先生(田中邦衛)に連れられて津軽に帰ることになる。 
 また、この「吹けば飛ぶよな男だが」にトルコ風呂の女将役でミヤコ蝶々が出演している。 
 サブと顔を合わせるとお互い好き勝手なことを毒づき合う気のいい女将だが、サブが外国に旅立つとき、「おばはん、わいのお母とちゃうか?20年前、京都の五番町で淫売やってた時、子を産んだことあるやろ・・・その子、わいと違うか?」と問いかけるが、「あの時のヤヤ子は産まれると直ぐ死んでしもうた。・・・何やお前、そんなこと考えてたんか・・・・けったいな奴っちゃな、この子・・・」と軽くいなされてしまう。 
 このミヤコ蝶々が、「続・男はつらいよ」で再び登場し、同様のキャラクターで今度は寅さんの実の母親役になっている。 
 大阪で連れ込みホテルの女将をやっており、せっかく尋ね当てた寅次郎に、優しい言葉をかけるでもなく、逆に不人情なことを言って寅を怒らせてしまう。 
 また同じく、「吹けば飛ぶよな男だが」に佐藤蛾次郎演ずるガスというサブの弟分が出てくるが、これも「男はつらいよ」の寅とゲンちゃんの関係と同じであり、こずかれ泣かされても、慕ってついてくる飼い犬と主人のような関係が繰り返し描かれている。 
 この「吹けば飛ぶよな男だが」には、有島一郎演ずるさえない中年男が出てくるが、これは「なつかしき風来坊」や「愛の讃歌」でも繰り返し登場するキャラクターであり、この善良で愛すべき人物を有島一郎がペーソス溢れる演技で好演している。 
 「吹けば飛ぶよな男だが」では、サブと花子を温かく見守る高校の教師である。 
実直を絵に描いたような地味な人物で、恋などとは無縁のまま、独身で過ごしてきたしがない中年男である。 
 しかし、そうした地味で気の弱いこの男が、身よりのない花子のために、実に献身的に尽くすのである。 
 「なつかしき風来坊」では、衛生局防疫課の課長補佐であり、役所では閑職に甘んじ、家庭では妻子に軽んじられるという侘びしくも哀しいサラリーマンである。 
 ある日、電車で酔っぱらいの源さんに絡まれるが、なぜかこの男と気が合ってしまい、ふたりの親しいつき合いが始まる。 
 この源さんが、ひょんなことから自殺しようとした娘、愛子(倍賞千恵子)を助け、有島一郎の家にかつぎ込んだことから、有島の家族が彼女の面倒を見ることになる。 
 源さんとの友情と、愛子の面倒を見ることによって、有島の潤いのなかった生活が、俄然輝きだすのである。 
 「愛の讃歌」は、マルセル・パニョルの「ファニー」の翻案で、瀬戸内海の小島を舞台にした若い男女の物語である。  
ここでの有島一郎は、やはりさえない中年で、独身の医者である。 
 好き合ったふたりの男女(倍賞千恵子、中山仁)がいる。 
 男は、ブラジルに渡って成功する夢を実現するために、恋人や父親(伴淳三郎)の反対を押し切って、島を出る。 
 しかし、残された娘は、彼の子供を身籠もっており、有島はこの娘のために親代わりになって面倒を見る。 
 そして、この母子を島の純朴な人たちがともに助け、励ます様子が、平和な島の情景とともに美しく描かれてゆく。  
 この気のいい島の人たちは、「男はつらいよ」の柴又の人々に通じるものだろうし、倍賞千恵子演ずる気働きのきく娘は、さくらのキャラクターに繋がってゆくものだといえるだろう。 
 また、「吹けば飛ぶよな男だが」や「なつかしき風来坊」で描かれた、さえない中年男もしくはインテリと風来坊という組み合わせも、「男はつらいよ」の中で、繰り返し登場してくるものである。 
 「寅次郎恋歌」での博の父親(志村喬)は大学教授だし、寅さんとは奇妙にウマが合う。「寅次郎夕焼け小焼け」では、高名な画家(宇野重吉)と知り合うし、「寅次郎夢枕」や「葛飾立志編」では、ともに大学の教師(米倉斉加年、小林桂樹)と関わり合う。 
 また、「寅次郎相合い傘」では、蒸発したサラリーマン(船越英二)と一緒に旅をしたり、「寅次郎あじさいの恋」では、京都の高名な陶芸作家(片岡仁左右衛門)に気に入られ、彼の家で長逗留することになったりする。 
 「喜劇・一発勝負」は、しっかり者の娘がいる旅館に、十年ぶりで親不孝な兄が帰ってくるという愚兄賢妹の物語であり、寅さんとさくらの原型となっている。 
 このように、山田洋次の作品には、同じ様な設定や、人物が繰り返し登場する。 
 これは、かれの映画の大きな特徴のひとつであり、ここに彼の映画の本質を考えるひとつの鍵がある。 
 それは、彼の目立たず地味な資質、声高に何かを主張することをせず、じっくりと物事を熟慮するという姿勢から生まれたものである。 
 「同じ山ばかり5年も10年も描き続けている画家や、同じ形の壺ばかり何年もかけて作り続ける陶工のような人たちに、私は非常な親近感を持ちたいのである。 
 ながめる風景や形は同じでも、そこに投影される思いは、年毎に微妙に違うはずであり、また年毎に進歩せねばならない。」という文章を、山田洋次は書いている。 
 そして、同じものを手を変え品を変え繰り返し描くことで、その表現は名人芸といっていいほど磨き上げられていく。 
 彼は、少年の頃から落語が好きで、買ってもらった落語のレコードを繰り返し聞き、その話を覚えると、教室の級友の前で、よく落語を語って聴かせたそうだ。 
 落語の芸というのは、同じ話を繰り返し聴かされても、その度に面白く、同じ場面で笑ってしまうというものであり、またそうしたことができるのが落語の名人芸といわれるものである。 
 嘗て落語の台本を書いたこともあるという山田洋次の資質の中に、この落語的素養が、強く根付いている。   
 そして、同じ事が繰り返し語られるという山田洋次の映画は、まさに落語的要素を持った映画世界と言ってもいいのではないだろうか。 
 同じ事を繰り返し描くことで、次第に深い表現を追求していく。 
 こうしたタイプの作家に、やはり松竹を代表する監督の小津安二郎がいる。 
 彼も、やはりマンネリだとか古くさいとか云われながらも、生涯を通じてそのスタイルを変えなかった。 
 そして、そうした批判は、むろん的外れなものではないだろうが、今では、そうした面はまったく問題にならず、むしろ時代を経ることで、却って新鮮で、斬新にさえ見えてきたのである。 
 山田洋次が、助監督時代、小津監督の現場を見て、これらの批判と同じ様な印象を持ったそうだが、後にこうした共通点が現れてきたということはなんとも皮肉なものである。 
 さて、先ほどの落語の話にかえって、この落語と云うキーワードで見てみると、山田洋次の作品の中には、実に多くの落語の翻案が見られる。 
 山田洋次の唯一の時代劇である「運がよけりゃ」は、そのまま落語に登場してくる人情長屋の世界であり、「黄金餅」「らくだ」「寝床」「つけ馬」などの話を映画化したものである。 
 親不孝な息子の話は、「よかちょろ」「二十四孝」に見られるように落語の世界では、繰り返し題材にされるものである。 
 「めかんま」に登場してくる愚兄賢妹は寅さんとさくらに通じるものである。 
 「一発大必勝」は、「らくだ」の翻案であり、「愛の讃歌」には、「浮世床」的な面白さが描かれている。 
 また、「男はつらいよ」にも、落語をベースにした色々な話が出てくる。 
 「寅次郎夕焼け小焼け」の寅さんが画家をとらやに連れてくるエピソードは、「ぬけすずめ」の翻案であるし、寅さんが、久しぶりでとらやに帰って来た時の、ばつが悪くて店の中に、なかなか入れず、店の前を行ったり来たりする様は、まさに「笠碁」で描かれた世界である。 
 寅さんと家族たちの間の抜けた会話や行き違いによる喧嘩なども、まさに落語的展開である。 
 また「湯屋番」の若旦那の調子に乗った独り言は、寅さんに度々見ることが出来るものである。 
 そして、極めつけはなんと言っても、人情話に見られるような情のある話の語り口のうまさであろう。 
 身近な出来事の中から、思い当たること、身につまされることを丁寧にすくい取り、それをしゃれのめしたり、茶化したりしながら、さりげなく人生の断面を切り取って見せてくれる。 
 笑いながらも、いつのまにか人ごとではない大切な問題に気づかされ、非常に深い人間的な共感のなかへと導かれてゆく。 
 このように例をあげていけばきりがなくあるが、ことほど左様に、山田洋次の落語的素養がいかに彼の作品に反映されているかということである。 
 また、落語と同様に、大衆芸能との繋がりの深さも指摘することができる。 
 まず、寅さんのテキヤという商売は、いわば大道芸の一種であり、話術を駆使して、いかがわしいものをいかに売るかという芸の力を試される商売である。 
 いわゆる旅をして、各地を渡り歩いて芸を売るという日本古来の芸能の成り立ちと根を同じくするものである。 
 だから、寅さんは、旅回りの一座にことのほか親しみを感じ、贔屓にしたり、売れない演歌歌手の地方廻りを応援したりするのである。 
 また、落語と同じように、大衆演劇の物語を作品に取り込むことも多く、例えば、「続・男はつらいよ」の寅次郎の母親探しは、長谷川伸の「瞼の母」の焼き直しであり、「寅次郎純情詩集」では、冒頭、旅回りの一座によって演じられた「不如帰」の浪子のセリフ「人間はなぜ死ぬんでしょう」という言葉を、やはり病に臥せる京マチ子に言わせたりしている。 
 「吹けば飛ぶよな男だが」では、物語の進行役として、小沢昭一による活弁の美文調のナレーションを使って効果を上げ、「馬鹿まるだし」では、シベリア帰りの安五郎が、旅芝居の「無法松の一生」を見て涙を流したりするのである。 
 この「無法松の一生」は、戦前に、阪妻主演で、稲垣浩監督によって映画化されており、山田監督の子供の頃に観た印象に残る映画として、田坂具隆監督の「路傍の石」とともに、この「無法松の一生」をあげている。 
 山田洋次にとって、「無法松の一生」は、彼の中でかなり重要なウエイトを占めてるようで、彼の作品では、様々に形を変えて登場してくる。 
 評論家の白井佳夫が、「無法松の一生」の松五郎が「男はつらいよ」の寅さんの原型ではないかという仮説を立てており、寅次郎の姓「車」は、実はこの人力車夫のひく「車」からきているのではないかと云っている。(私が考えるこの「車」という姓の由来は、その説とは違い、渥美清の出生地「上野・車坂」からとったのではないかと考える。また、ちなみに寅次郎という名前は、山田監督の敬愛する喜劇映画を得意とする斎藤寅次郎監督の名前からとっているのではないかと考えている。) 
 また、寅さんが毎回高嶺の花の美人に恋をして、結局は失恋してしまうと云う構図も、この「無法松の一生」の焼き直しだろう。 
 松五郎が慕った吉岡大尉の死後、未亡人となった夫人とその息子に献身的に尽くすというこの物語で、松五郎は、美しい夫人をひたすら恋い慕い、しかし、その身分の違いと亡き吉岡大尉への忠節から、本心を秘かに隠している。しかしラストシーンで、老いた松五郎が、夫人を訪ね、「奥さん、・・・俺の心はきたない!・・・奥さんにすまん!」と言い残して、そのまま姿を消してしまう。 
 このような無垢な献身は、確かに寅次郎のマドンナたちに対する献身と重なるものであるが、これが、もっと直接的な形で出てくるのが「遥かなる山の呼び声」と「寅次郎恋歌」である。 
 「遥かなる呼び声」には、この「無法松の一生」で使われたセリフが、そのままの形で出てくる。 
 無法松が、吉岡大尉の遺児の運動会の徒競争に出場し、日頃鍛えた車夫の脚で大活躍するが、それを見ていた普段はおとなしいこの少年が、熱狂して大声で応援する。 
 夫人は、このことを大変喜び、「この子が、あんな大きな声を出して夢中になったのを私は初めて見ました。この子は今日、生まれて初めてほんとうに血をわかせて興奮したんです。なにか、これから新しい性質が伸びてきやせんかと楽しみな気がします。」と無法松に感謝するのである。 
 この話が、「遥かなる呼び声」では、そっくりそのまま草競馬のシーンに移し返して描かれる。 
 高倉健が草競馬で優勝した後、倍賞千恵子が彼に言う。「この子が、あんなに大きな声を出したの、初めて見たわ」 
 また「寅次郎恋歌」では、寅さんが恋する未亡人(池内淳子)の息子が、自閉症気味で学校に馴染めないのを見て、近所の数人の悪ガキどもを引き連れて、いっしょにお寺のお供えの饅頭を盗むといういたずらを体験させている。さらに江戸川べりでチャンバラをしていっしょに遊ぶという寅さんらしい稚気あふれる行動で、それを治してしまうのである。 そして、池内淳子から「無法松」の未亡人同様感謝されるのである。 
   
 こうして見てくると、山田洋次という作家が、いかに落語や大衆演劇といった芸能にこだわり、そこから映画の材料となるものを取り上げているかという事がよくわかる。 
 しかし、これはなにも山田洋次の独創性のなさなどではなく、こうした大衆によく知られたものの形を借りることで、より幅広い層の共感を呼ぼうとする彼独特の手法なのである。 
 いまだに企業内監督の立場を守り、映画を作り続けている彼にとって、売れる作品を作ることは何よりも必要な条件であり、使命なのである。 
 そして、それを可能にしているのは、こうした手法を身につけた彼ならではの姿勢にある。 
 「映画館で、ぼくの作品を観ている観客が、どっと笑いころげたり、感動したりしているときに感じる作り手である自分と、受け取り手である観客が一体化しているなという幸福感がぼくを成長させてくれます。」と彼は言う。 
 また「ぼくらの仕事というのは、ぼくらの内部にあるものを観客に提示する、なんていうんじゃなくて、大衆の中にあるイメージをぼくらが探り当てて、形にしてみせる、ということだと思います。」とも言っている。 
 彼のエッセイ集「映画館(こや)がはねて」の中に、彼の子供時代の印象的なエピソードが出てくる。 
 彼の父親は、満鉄に勤めるエンジニアで、その仕事の関係で、彼が二才の時に満州に移り住み、終戦を迎えるまで、奉天、ハルピン、新京、大連などを転々とした。 
 奉天に暮らした小学二、三年生の頃、山田洋次の家に、ふみさんという若いお手伝いさんがいた。 
 ある時、山田は、ふみさんに連れられて映画を観に行った。その時観たのが田坂具隆監督の「路傍の石」であった。 
 この映画は山田少年に強い印象を与えたが、しかしそれ以上に、この映画を観ながら、ふみさんが、その白い頬を涙でベショベショに濡らして声をあげんばかりに泣いていた姿が、強い印象を残した。 
 「幼くして両親を失い、見知らぬ他人の家を転々としてめぐり歩く吾一少年の悲しい運命はふみさんにとっては、けっして他人事ではなかったに違いない。 
 映画というものは、そのように、まるで声をあげんばかりに観客を泣かせるほど、強い訴える力を持つものだということを、少年の私は痛切に思い知らされたのだった。」 
 この出来事は、山田洋次監督の精神形成に大きな影響を与えたにちがいない。 
 また、彼の創作の原点のひとつといってもいいものだろう。 
 彼の映画は、一部の好事家に向かって発信される類の映画ではなく、まさに、このふみさんのような人々に向かってなされる映画だと云える。 
 独善的なもの、ひとりよがりの強いもの、主張の強すぎるものは、彼の資質ではなく、多くの人に知られた通俗的なものの形を借りることで、自然な形で、彼の作家性を発揮しようとする。 
 彼は、けっして個性的であろうとはしない、またそれが自分の領分ではないということをはっきりと自覚している。 
 彼の映画は、芸術的な斬新な映像を撮るということもなく、きわめてオーソドックスな形のものである。 
 しかし、こうして長年繰り返し同じ様な映画を作り続けることによって、これが山田洋次の映画であるという独特の映画世界が出来上がっており、そうした意味では、きわめて個性的な監督と云えなくもない。 
 けっして個性的であろうとしなかった監督が、きわめて個性的に見えてくるというパラドックスは、実に面白く、興味深い。 
 だが、山田洋次監督が、最初からこのように多くの観客から支持されていたわけではなく、むしろなかなか観客が入らず、少なからぬ挫折感を味わいながら作品を作り続けていたのである。 
 昭和三十六年、「二階の他人」で監督デビューするが、これはSP映画(シスター・ピクチャーの略で二本立ての添え物的な作品)ということもあり、まったく話題にもならなかった。 
 そして、次の作品「下町の太陽」を作るまで、一年半の期間を待たなければならなかった。 
 当時の松竹は、大島渚を中心とするいわゆる<松竹ヌーベルバーグ>の時代であり、大島渚をはじめ篠田正浩、吉田喜重、田村孟、石堂淑郎、といった気鋭の新人たちが、華々しい活躍を始めており、そのなかにあって、山田洋次の存在はいかにも地味で、しかも、扱うテーマが、どこにでもいそうな平凡な若者の日常ということもあり、精彩を欠くことはなはだしいものであった。   
 また、助監督採用試験の時、山田は補欠合格で、果たして採用されるのかどうか危うい状態だったが、合格者のひとりである浦山桐郎が、日活の助監督試験にも合格しており、彼がそちらに行くということで、かろうじて山田が繰り上げ合格となった。 
 そうした因縁浅からぬ浦山桐郎が、山田の監督デビューの翌年、「キューポラのある町」で、華々しいデビューを果たし、これがその年のキネマ旬報のベストテンの二位に選出され、大きく注目された。 
 こうした状況の中で、山田の心中は穏やかざるものであったに違いなく、内心、忸怩たるものがあったのではないかと思われる。 
 昭和三十四年、「馬鹿まるだし」で初の喜劇映画を作る。 
 これは藤原審爾の小説を原作にした映画であった。 
 山田はこの作品を完全な失敗作だと思い、もうこれで当分映画は作らせてもらえないだろうと考えている。 
 だが、不思議なことに、山田の思いとは反対に、案外と評判が良く、たて続けにハナ肇主演の喜劇を作ることになる。「いいかげん馬鹿」と「馬鹿が戦車でやって来る」である。 
これによって、社内的には山田は喜劇だという評価ができあがりつつあったが、山田のなかでは依然自分の行くべき方向を模索する気持ちが強くあった。 
 そして、翌年、松本清張原作のミステリー「霧の旗」を作る。 
 この作品は、山田洋次のフィルモグラフィーのなかでは、少し異質な作品である。 
 彼がよく助監督としてついた野村芳太郎監督の系譜に属する作品であり、ある意味で山田監督の試行錯誤的な作品と呼んでもいいかも知れない。 
 倍賞千恵子を主演にしたこの映画は、女性の復讐物語といったミステリーであり、それなりの作品に仕上がってはいるものの、やはり山田洋次の資質とはどこか違っており、多分、彼もそのことを身をもって感じたのではなかろうか。 
 以後、彼は、喜劇映画に専念することになる。 
 しかし、良質の作品を作り続け、多少は注目されてきたものの、興行的にはなかなかヒットはしなかった。 
 「霧の旗」以降、年間2〜3本のペースで作品を作っているが、普通は、こうしたペースで作れば、1本位のヒット作品が出ないと、次回作を作れなくなるものだが、山田監督の場合、不思議と作り続けることが出来た。 
 これは、当時の松竹社長の城戸四郎の強力なバックアップによるものであった。 
 彼は、山田監督を大船調と呼ばれる松竹伝統の路線の正統的な後継者と見ており、秘かに山田の監督としての力量を高く評価していたと思われる。 
しかし、作品の評価は高まるものの、多くの観客に支持されるというふうにはならず、作品を作る度に、頭を抱えるということを、繰り返している。 
 昭和四十三年、山田は、フジテレビの依頼で、渥美清主演の連続ドラマのシナリオを書くことになる。 
 これは、渥美清の指名によるもので、山田はどういった内容にするかについて、渥美清と話し合いをすることになった。 
 そして、その時の様子を次のように書いている。 
「彼(渥美清)の話のなかには彼が少年時代に憧れてやまなかったテキヤの話とか、自分の周辺にいた多くの不良仲間の話がたくさんありました。 
 とくにテキヤについてはその口上にいたるまで全部聞かせてくれました。 
 それを聞いていて私は彼の話の面白さや彼の話し方の巧みさにびっくりしてしまいました。なんと楽しい話をする人だ、と。しかも観察が鋭く、表現力も的確かつ豊かで、聞き手を全く飽きさせない。 
 彼の話を聞いていると、自分の目の前にふつふつとイメージが湧いてきて、それがぐんぐんふくらんで、いつのまにか自分がその話を実際に見たような気持ちになってしまう。」 こうして出来上がったテレビドラマ「男はつらいよ」は、話の巧みさと渥美清の分身ともいえる寅次郎の愛すべきキャラクターが、予想以上の好評を博し、最終回で寅さんが死ぬと、テレビ局に苦情の電話が殺到するというほどの人気になったのである。 
 そして、山田監督は、このようなファンの反応を見て、ドラマの中で寅次郎を死なせたことが間違いではなかったかと考えるようになる。 
 これほど、ファンに愛された主人公は、もう作者ひとりのものではなく、作者が自分勝手に死なせるべきではないというふうに考えた。 
 そして、この愛すべき主人公をファンの期待に応えてもう一度スクリーンの中で甦らすべきであると考え、この企画を会社に持ちかけた。 
 松竹首脳は、「テレビでやったものを、いまさら」とくびを縦に振らない。 
 だが、山田監督は、強引にこの企画を推し、なんとか映画化にこぎつけることが出来た。 
 そして、公開されるや、山田監督の予感が的中し、松竹ひさびさのヒットとなったのである。 
 これは山田監督が云うように、まさに「大衆の中にあるイメージを探り当て、形にしてみせた」結果であり、彼が繰り返し描いてきた物語の、幸せな集大成となったのである。 彼は、この「男はつらいよ」の宣伝用プレスに次のように書いている。 
 「悲しい出来事を涙ながらに訴えるのは易しい。 
 また、悲しいことを生真面目な顔で物語るのもそう難しいことではない。 
 しかし悲しいことを笑いながら語るのは、とても困難なことである。  
だが、この住み辛い世の中にあっては、笑いの形を借りてしか伝えられない真実というものがある。 
 この作品は男の辛さを、男が男らしく、人間が人間らしく生きることが、この世にあってはいかに悲劇的な結末をたどらざるを得ないかということを、笑いながら物語ろうとするものである。」 
 そして、このような物語を描くために、この作品では、様々な仕掛けがなされるのだが、そのなかでこの物語を魅力あるものにしている重要な要素が、「旅」と「家族」である。 
 各地の祭りを渡り歩くテキヤを生業としている寅次郎にとって「旅」することは、生活の一部であり、また、なにかといえば、旅に出るということで問題を解消しようとする都合のいい安全弁のような役割を持っている。 
 そして、渡世人として生きることを、ある者は(特に寅さんのマドンナはほとんどだが)うらやましいと憧れるのだが、逆に、そのフーテン稼業をまともな生き方とは認めず、否定的に捉えるられることもある。 
 観客であるわれわれの見方は、ほぼ前者であり、出来ればそうありたいという願望が強い。 
 「風に誘われるとでも申しましょうか。ある日フラッと出て行くんです」という自由さにひたすら憧れている。 
 「男はつらいよ」が作られた昭和四十四年は高度成長のまっただ中であり、管理社会の弊害が、声高に言われ始めた時代である。 
 このような時代に、鞄ひとつで身軽に旅に出る寅次郎の放浪生活は、人々の憧れを満たすと同時に、この社会への痛烈な批判ともなっていたのである。 
 しかし、この自由さの裏には、やはり辛い現実もあるのだということを山田監督は忘れずに描いている。 
 「寅次郎忘れな草」のなかで、寅さんが次のようなセリフをしみじみともらす。 
 「たとえば、夜汽車の中、いくらも乗っちゃいねえその客も、みんな寝ちまって、なぜかおれひとりいつまでも眠れねえ。 
 真っ暗な窓ガラスにほっぺたくっつけて、じっと外を眺めているとよ、遠くに灯りがポツンポツン・・・・。アー、あんな所にも人が暮らしてるんだなあ・・・・。 
 汽笛がポーッ、ポーッ、ピーッ、そんな時よ、そんな時なんだかわけもなく悲しくなって、涙がポロポロ出たりするのよ。」 
 寅さんも、けっして気楽なばかりじゃないのである。 
 こうした辛い経験もあるが、やはり寅さんの旅の大方は気楽なものであり、寒くなれば南へ、暑くなれば北へと、自由気ままに好きな所へと渡り歩いていく。 
 寅さんの訪ねる先は、必ず美しい風景のあるところであり、それは、われわれの心の中にある美しい日本のイメージと重なるものであり、次第に失われつつある風景でもある。 また、それは誰もがそうあってほしいと願う故郷のイメージでもある。 
 こうした風景に、われわれが持つ郷愁が強くかきたてられ、きわめて自然に、この物語世界に入ってゆくことができるのである。 
 そのような風景の中で、寅さんは、持ち前の人なつっこさでいろいろな人たちと知り合い、様々な物語が生まれていく。 
 それは時には笑いを誘われる様な話であったり、痛切な悲しみであったり、また、出会いがあれば、別れがあり、一期一会を繰り返していく。 
 第六作「純情編」の冒頭で、寅さんが集団就職の見送りに出くわす印象的な場面が出てくる。 
 この場面にでてくる人たちはおそらく地元のふつうの人たちであろうと思われるが、それをドキュメンタリーの手法で撮っており、集団就職の不安げな少年や少女たちや、それを見送る悲しそうな親たちの顔が、リアルなタッチで描かれており、別れの切なさが痛切に胸に迫ってくる。 
 寅さんが、この子供たちに向かって「親を恨むんじゃねよ。親だって、なにも好きこのんでお前たちを手放すんじゃねえよ。心の中じゃ涙を流してるんだ。」と寅さん流の励まし方で声をかける。 
 物語の大筋とは関係のないこうした時代の風景のような場面に、山田洋次の作家としての確かな眼を感じる。 
 また、第十五作「寅次郎相合い傘」で、寅さんと旅の途中で知り合った蒸発サラリーマン(船越英二)が、小樽の町で、昔の恋人(岩崎加根子)がやっている喫茶店に会いに行くというシーンがある。 
 その店に男が意を決して入って行くが、その女性は、彼のことを忘れてしまったかのようにまったく気づかない様子である。居たたまれなくなった彼は、逃げるように店を出る。 そこで彼は、鞄を店に忘れてきたことに気づき引き返そうと振り向くと、彼の鞄を持って追ってきた彼女が立っている。 
 不器用なあいさつをする男に、彼女は「入っていらしたときから、気づいていました。」 
と言葉をかける。 
 そして、せっかく再会を果たしたのに、男はただ「お元気ですか」と声をかけるだけで逃げるように去ってゆく。  
たったこれだけの短い場面で、彼らの青春の悔恨と失われた時の苦さが表現されており、強く胸をうたれる。 
 「寅次郎夕焼け子焼け」にも、昔の恋人同士がこの失われた時をめぐっての苦く切ない心情を話し合う挿話が登場する。 
 寅と懇意になった日本画の大家、池之内青観(宇野重吉)が、生まれ故郷の昔の恋人(岡田嘉子)を訪ね、一緒になれなかった昔の自分の不甲斐なさを詫びるが、それに答えて、彼女が次のように答える。 
 「仮にですよ、あなたが、もうひとつの生き方をなすっとったら、ちっとも後悔しないと言い切れますか。私、近頃よくこう思うの、人生に後悔はつきものじゃないかしらって、ああすればよかったなあという後悔と、もうひとつはどうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔」 
 第八作「寅次郎恋歌」でも、旅先での印象に残る場面が出てくる。 
 博(前田吟)の母親の葬儀が終わり、誰もいなくなった家に、博の父(志村喬)が寂しいひとり住まいをしているが、それを慰めようと、寅さんが訪ねてやってくる。 
 ふたりで静かに四方山話がはじまるが、その時、博の父親が、ある旅先でのことをしみじみと話す。 
 「バスに乗り遅れて、田舎のあぜ道をひとりで歩いているうちに日が暮れちまってね。 暗い夜道を心細く歩いていると・・・・、ポツンと一軒の農家がたっているんだ・・・りんどうの花が庭一杯に咲いててね、開けっ放した縁側から、灯りのついた茶の間で、家族が食事しているのが見える。・・・・ 
 わたしはね、今でもその情景を、ありありと思い出すことが出来る。 
 庭一面に咲いたりんどうの花、あかあかと灯りのついた茶の間、にぎやかに食事をする家族たち・・・・わたしはその時、それが、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと・・・ふと、そう思ったら、急に涙がでてきちゃってね」 
 旅先という日常から少し離れた生活では、誰でもふと寂しく感傷的になり、それまでの生活や、自分のことを考えるものである。 
 博の父も、こうした心の谷間に迷い込み、自分の人生に思いを馳せたのであろう。 
 しかし、この実感は確実に人生のある真実を言い当てており、こうしたセリフが日常生活に埋没してしまった多くの観客たちの共感を得ることになるのである。 
 そして、旅に疲れた寅さんも、渡り鳥が故郷を目指すように柴又へと帰っていくのである。  
柴又には、「家族」たちが待っており、そこでもまた様々の人たちとの出会いと別れがある。 
 この「家族」を考える場合、山田洋次の生い立ちを考えないわけにはいかない。 
 先に書いたように、山田洋次は、終戦の年まで満州で暮らし、十五才で引揚者として日本に帰ってきた。そして宇部の親類の家に身を寄せたが、やがて父母が離別し、ただでさえ大変な戦後の生活が、ますます苦しいものになった。 
 彼は、少しでも家計を助けるために、学校に通いながら様々なアルバイトを経験する。 満州でヨーロッパ風の恵まれた生活を過ごした少年時代と、一転した戦後の貧窮した生活の落差は、山田少年の精神形成に暗い陰を落としたことだろう。 
 こうした傷をひきずった山田洋次が描く家族には、しばしば崩壊した家族が描かれる。 寅さんが惚れるマドンナたちの大半は、家庭的に恵まれない女性である。 
 夫と死別した未亡人であったり、結婚生活に破れた離婚経験者であったり、親との関係が壊れていたりと、家庭的に欠落した部分を持った女性が多い。 
 だからこそ寅さんのような天真爛漫で無邪気な男に心洗われ、寅さんも彼女らを慰めようと誠心誠意献身することになる。 
この寅さんの無垢なる献身というのは、生来のものと言ってもいいようなものであり、まわりでもあきれ果てるほどの尽くし方であるが、こうした損得をぬきにした純粋な献身というものは、実は誰もが秘かに憧れる行為なのかもしれない。 
 また、親、とくに父親とのギグシャクとした関係がよくでてくるが、これも、山田洋次の両親の離別という過去が深い陰を落としていると思われる。 
 第8話「寅次郎恋歌」に博(前田吟)と父親(志村喬)のうまくいかない親子関係が出てくる。 
 博の母が亡くなり、さくらとふたりで葬式に出席する。 
 博には、ふたりの兄がいるが、彼らは母親の死をそれほど深刻には受けとめておらず、悲しみに沈む博とは対照的である。 
 また父親も深い悲しみにとらわれているのかもしれないが、古いタイプの男である父親は、そうした悲しみを表面には出さず、ひどく冷静に見える。 
 次第に博の怒りがこみ上げてくる。 
 そして、父親が「あれは何というか、欲望の少ない女だったよ」と故人を回想し、兄たちふたりもそれに同調するや、博の怒りが爆発する。 
 「お母さんが世間並みの欲望がなかったなんて、それは嘘です。。ぼくが小さい頃、お母さんに連れられ時々港に行きました。お母さんは海に浮かんだ船を見ながら、私の娘の時からの夢は、大きな船に乗って外国へ行くことだったと。そして華やかな舞踏会で胸のあいたドレスを着てダンスを踊ることだったと。でも、父さんと結婚したときからそんな夢はあきらめたのよって。笑いながらぼくに話してくれたのをよく覚えているんだ。 
 お母さんだって情熱的な恋がしたかったんだ。華やかな都会で暮らしてみたかったんだ。 
 それをあきらめていただけなんだ」 
 そして、「父さんの女中みたいなさみしい一生」を送ることになった。それが、どんなに侘びしい忍従の人生であったか、博は涙ながらに訴えるのである。 
 第1作で、博は家を飛び出した青年として登場している。そして、父親が大学教授なのに彼は高校を出ただけで、町の印刷工場の行員をしているということに複雑な事情を匂わしており、それが、この母親の葬儀の場で、はっきりしてくる。 
 母親思いの博の優しい心が、父や兄の自分のことしか考えない功利的で冷たい生き方に強く反発し、結局、家を出てしまったという経過が、これらの展開の中から浮かび上がってくる。 
 そして、そういった博の生き方を、兄たちは落ちこぼれのはみだし者と見ており、両者の間には越えられない深い溝があることが判る。 
 これと似たような父と息子の話が「望郷編」にも出てくる。 
 寅さんが、昔世話になった政吉親分が、病院に入院して死にかけているという話を聞き、はるばる北海道まで見舞いに訪れる。 
 すると、政吉親分が、昔、函館の旅館の女中に生ませたまだ逢ったこともない息子に逢わせてくれるようにと寅次郎に懇願する。 
 寅さんは、例の如くその息子を捜し出すが、その青年(松山省二)は、相手にしない。 寅さんは、青年を説得しようとがんばるが、青年はあくまでも逢おうとしない。 
 しかし、やっとその重い口から彼の気持ちを話し出す。 
 「小学校の一年の時でした、自分に父親がいると知らされて、むしょうに会いたくなって、おふくろに内緒で汽車に乗って札幌まで行ったんですよ。後で考えれば、そこは赤線だったんですね。何度も人に聞いて父親がいるというその家まで行ったら、女の人が大勢いて、父親だと指さして教えられた男が真ん中にいて女の人をなぐっていましたよ。その若い女の人は泣いて謝っているのに、その男は何度も殴るんですよ、ぼくはその男が鬼のように見えましてね。」 
 結局、彼は名乗らずに、そのまま線路を歩いて帰り、母親にさんざん叱られたと辛い思い出を話す。 
 さすがに寅次郎も言葉がなく、それ以上の説得を諦めて帰っていく。 
 そして、青年は父親に会いに行かずに終わってしまう。 
 第9作「柴又慕情」でも、かみ合わない父と娘の姿が出てくる。 
 寅さんが金沢で知り合った若いOL歌子(吉永小百合)の父親(宮口精二)も博の父親と同じ古いタイプの男であり、娘に対する愛情の表現がうまく出来ない男である。 
 彼女には恋人がいて、その相手との結婚を考えているが、父親はそれに反対をし、そうしたことで、ふたりの関係がギクシャクし、父ひとり娘ひとりの家の中が暗く沈んだものになっている。 
結局、彼女は、さくらと博に励まされ、父親の反対を押し切って、結婚することになるのだが、父親との仲は修復できないままである。 
 こうした父と娘の関係は、第6話「純情編」や第38話「知床慕情」にも繰り返し出てくる。 
 「純情編」では、父親(森繁久弥)の反対を聞かずに結婚した娘(宮本信子)が、結婚生活が破綻してしまい、仕方なく父親の住んでいる島に帰ろうとするが、無一文で帰るに帰れず、哀れに思った寅さんが、家まで送ってやる。 
また、「知床慕情」でも、父親(三船敏郎)の反対を押して結婚した娘(竹下景子)が、結婚に破れて故郷の知床に帰ってくる。 
こうした家庭的に恵まれない登場人物たちと対照的に、とらやの人々、すなわち、おいちゃん(一代目、森川信、二代目、松村達雄、三代目、下条正己)おばちゃん(三崎千恵子)さくら(倍賞千恵子)博(前田吟)甥の満男(吉岡秀隆)そして、家族ではないが家族以上に親しい裏の印刷会社のタコ社長(太宰久雄)という構成の家族は、こうあってほしいと願う人情に篤く暖かい家族になっている。 
 彼らは実直で善良な人たちであり、流れ者の寅さんが、その疲れた羽を休めに帰ってこれる場所である。 
 そして、そこでは遠慮会釈なく本音で語り合うことができ、それだからこそ衝突もし、派手な喧嘩を繰り広げることになるのだが、そうしながらもすべてを優しく受け入れてくれる幸せな家族たちである。 
 「帰るところがあると思うから、いけねえんだよ。失敗すりゃまた故郷に帰りゃいいと思ってるからよ、俺ァいつまでたったって一人前になれねえもんなあ」(純情編)と言いながらも、いつまでも同じ事を繰り返す。 
 「早え話がだ、俺はもう二度とこの柴又へもどって来ねえとそう思ってもだ、気持ちの方はそうは考えちゃくれねえんだよ。アッと思うと、また俺はここへもどって来ちゃうんだよ。本当に困った話だよ」(純情編) 
 それほど柴又は寅さんにとって、吸引力の強い場所であり、心落ち着ける所なのである。 そして、寅さんがそう感じるのと同様、多くのマドンナたちや、心痛める人たちも心惹かれてやってくる。 
 とらやは、かっての下町のほとんどがそうだったように、開かれた場所であり、誰もが出入り自由な気楽な場所である。 
 そして、そこでは古きよき人間のつき合いや交流が残されている。 
 だからこそ、人間関係が次第に希薄になってゆく現代にあって、それはますます輝きを増してゆくのであり、われわれの心を惹きつけてやまないのである。 
 とらやの茶の間には団欒があり笑いがある。家族が寄り添ってともに生きる姿がある。 家族の団欒が遠いものになり、冷え切った家族の一員になってしまった観客たちの限りない憧れがここにある。 
 そして、多くの登場人物たちが、それによって癒されるようにわれわれもともに癒されるのである。 
 しかし、こうした人情に篤く、密度の濃い家族というものは、現実には次第になくなりつつあるわけで、だからこそ山田監督は、熱い思いを寄せてこの物語を作り続けているとも云える。 
 「男はつらいよ」は、いわば、そうした失われてゆく美しいものへの痛みと愛着に満ちた物語でもあるのだ。 
 現代にあっては、時代錯誤と云われてもおかしくないようなものを、あえて映画の中で描くことで、世の中に取り残され、隅に押しやられて、やがては姿を消すことになるかも知れないものへの哀惜が映画の主調音として流れている。 
 便利さや効率ばかりが優先され、それに合わないものは簡単に切り捨てられていく現代にあって、一見不便なもの、役に立たないと思われるものの価値を今一度確かめようとする姿勢が山田監督の心の中に濃厚にある。 
 そして、そうした落ちこぼれてゆくもの、役に立たないと思われるものの存在を許容する社会こそ本当の意味で豊かなのだという主張が込められている。 
古い街並み、郷愁を掻き立てる日本の故郷、人情篤い人間のつき合い、昔気質の人間たち、こうした失われゆくものを描くとき、山田監督の腕はいっそう冴えをみせる。 
 そして、柴又はそれらを体現する町である。 
 現実の柴又は、時代の波の中でそれなりの変貌を余儀なくされているだろうが、「男はつらいよ」に現れる柴又は 落ちこぼれの代表選手である寅さんや、寺男ゲンたちの存在を許容する豊かな町であり、古きよきものが生き生きと息づいている町である。 
 だから寅さんは、理屈とは裏腹に柴又へと脚が向かうわけで、それに飽きれば自由気ままな旅に出ることもできるのである。 
 そして恋に破れた寅さんが、傷心の旅に出て行こうとも、こうした柴又の存在がある限り、その悲しみも実はなにほどのこともないのである。 
 だからこそ、「ひたすら反省の日々を過ごし」ながらも、また、例の如く寅さん流の変わり身の早さで同じ失敗を重ねてゆくことになるわけである。 
 そして、それを柴又の人々が、「馬鹿だねえ」と言いながら、温かい目で見守ろうとし、われわれ観客も、彼ら同様、「また、寅さんが・・・馬鹿だねえ」と思いながらも、優しい気持ちになって、次の物語への期待を込めるようになるのである。 
 そして、この期待を確かなものとしてくれるように、物語の最後は必ず、明るく陽気な場面で終わることになる。 
 そして、そこにいる元気になった寅さんを見て、われわれは安心をして映画館を後にすることができるのである。 
 こうして「男はつらいよ」という予定調和の世界が果てしなく循環していき、いつ果てるともなく物語が連動していくのであるが、残念ながら渥美清の突然の死によって、唐突に幕がひかれることになってしまった。 
 作者である山田洋次監督自らの手で終わらせることなく、「男はつらいよ」の世界は途切れてしまったのだが、かって山田洋次と渥美清が対談の中で、寅さんの死について語ったことがあった。 
寅さんの老後は、良寛さんのようになるのではないかとふたりは想像する。 
 近隣の子供たちと日がな一日遊び暮らしているが、ある春の陽気な昼下がり、いつものように子供たちと鬼ごっこをして遊んでいると、いつまでたっても鬼の寅さんが捜しに来ない。不思議に思った子供たちが、そっと様子を見に行くと、両手で目をふさいだ鬼の恰好のままで、寅さんは眠るように死んでいた。 
 そんな最期が寅さんらしくていいんじゃないかと、冗談話のようにふたりで話している。 そうした最期を見ることなく終わったが、もしそれが実現していたら、なんとも微笑ましい死に方であったことだろう。 
 悲惨な老後や死が問題視される今の時代にあって、こうした死に方ができたとすれば、なんと幸せなことであろうか。 
 そして、その死に方さえもが、われわれを陽気で明るい気持ちにさせてくれ、その静かな笑の中に言い様のない哀しい余韻を残すことになったことだろう。
 
  
 
 
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主要作品データ
  
監督INDEX
監督NO.3 大島渚
監督NO.5 小津安二郎
 
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