小津安二郎28才の作品である。
彼のサイレント映画を代表する作品であると同時に、日本のサイレント映画を代表する名作でもある。
東京郊外の新興住宅地を舞台にサラリーマン世界の悲哀を幼い子供たちの目を通して描いている。
新しく引っ越してきたサラリーマン家庭の兄弟2人が持ち前の腕力と知恵でたちまち近所のガキ大将になる。
子供たちのなかには父親の会社の重役の息子もいるが、彼らふたりはその子も子分として従えている。
ある日、重役の邸で小型映画の上映会があり、兄弟たちも父親に付き従って上映会に参加する。
そしてそこで上映された映画を見て、兄弟ふたりはショックを受ける。
その映画のなかで父親が重役に求められるままおどけた恰好をする姿が撮されていたのだ。
日頃、家庭では威厳ををもってあれこれと指図する父親が、そこでは重役にへつらって言われるままにおどけている。
愕然とした兄弟は上映会を途中にして席を立つ。
そして家に帰ってきた父親に猛然と抗議を始めるのであった。
「お父ちゃんは僕たちに偉くなれ偉くなれといっている癖にちっとも偉くないんだね。どういうわけで太郎ちゃんのお父ちゃんに、あんなに頭を下げるの?」
こうした疑問に父親は父親なりの論理で説明しようとするが、大人の世界の複雑さは子供たちには納得できるものではない。
結局、兄弟たちはひっくり返ったり、足をバタつかせたりしてだだをこねるばかりである。
そんな子供たちに手を焼いた父親は思わず子供を殴ってしまう。
こうして親と子の争いは収拾がつけられない状態になってしまう。
この映画の前半は子供の無邪気な覇権争いや奇妙な遊びがコミカルに描かれて、実にほのぼのとしたユーモアにあふれており、軽い気持ちで楽しめる。
ところが後半になるととたんにこうしたシリアスな展開を見せ始める。
そして父親ならずともやりきれない気分にさせられる。
ましてや、この映画の背景となる昭和7年という時代は慢性的不況のなかにあり、そうした暗い社会状況を考えると、なおいっそうやり切れなさが増してくる。
翌朝、子供たちにはまだ昨夜の怒りが尾を引いており、朝食をとらないという形の抗議を続けている。
そこへ父親がおにぎりをもって現れる。
結局、子供たちのやせ我慢もここまでで、空腹に耐え切れなくてしぶしぶおにぎりに手を出してしまう。
こうして争いに幕が引かれることになる。
父と子はいつもの朝と同じように連れだって家を出る。
すると間の悪いことに向こうから重役の乗った車がやってくる。
父子は思わず立ち止まってそれを見る。
いつもだとここで父親は相好を崩して元気に挨拶するはずが、昨夜のこともあって、ただ黙って立ちつくすだけである。
そんな父親の気持ちを察したかのように息子は父親に声をかける。
「お父ちゃん、専務さんだよ。挨拶しなくちゃだめじゃないか」
こうしてわれわれの心にさまざまな波紋を残して映画は終わる。
子供たちが初めてぶつかる現実社会の矛盾と複雑さ。
腕力さえあればいばっていられる子供の世界とは違う大人の世界の複雑な仕組み。
生きていくためには忍ばなければならない数々の屈辱や苦さがあるという現実。
そうしたことをどこまで理解できたのかは疑問だが、その一端に触れたことで父親を理解しようとし始める息子の優しさ。
まるで見事な短編小説を読み終えたような感動がわいてくる。
原案 ゼームズ・槇 脚本 伏見晃 潤色 燻屋鯨兵衛 撮影・編集 茂原英雄
出演 斎藤達雄/吉川満子/菅原秀雄/突貫小僧/坂本武
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