ベスト・オブ・喜劇
 
 
 
 
 
 幕末太陽伝 57日活 
  
 製作 山本武 監督・脚本 川島雄三 脚本 田中啓一/今村昌平  
 撮影 高村倉太郎 音楽 黛敏郎  
 出演 フランキー堺/石原裕次郎/南田洋子/左幸子  
 芦川いずみ/梅野泰靖/小沢昭一/金子信雄/山岡久乃  
 小林旭/二谷英明/岡田真澄/植村謙二郎/市村俊幸 
  


  どういう題名の映画かわからず、また前後の脈絡がなく、ある映像だけが鮮明に記憶に残っており、ある時、偶然その映像と出会い、「ああ、この映画だったのか」と腑に落ち、長年の宿題がようやく終わったような安心感に満たされるという経験が過去に何回かあったが、「幕末太陽伝」もそんな映画のひとつであった。 
 断片的に記憶していた映像というのは次のような場面である。 
 旅支度をしたフランキー堺が、寝静まった屋敷から足音を忍ばせて出てくると、誰もいないと思っていた屋敷の陰に狸のような顔つきをした田舎大尽の市村俊幸がおっとりと構えて待っている。 
 どうやらフランキー堺はこの男から逃れようと考えているらしいのだが、敏捷な江戸っ子のフランキーと、のたりとした田舎大尽の市村俊幸では波長が合わず、うまくごまかしきれない。 
 市村俊幸は久しぶりに田舎から上京して馴染みの遊郭にやってきたが、贔屓の相方がなかなか現れず、催促を受けた妓夫太郎のフランキーが口からでまかせに「あの花魁は死んでしまった」とその場しのぎの言い逃れをしたところ、それを真に受けた市村が花魁の墓に案内させようと先回りをして待ちかまえていたというわけである。 
 仕方なく墓場に案内したフランキーは何とか早くこの場を逃れようと適当な墓を花魁の墓に見立てるのだが、それが古い墓であったり、子供の墓であったりで、ごまかしきれない。 
 怒った市村が「本当の墓はどこだ」としつこくつめ寄ると、もうこれ以上はつき合いきれないと思ったフランキーは「どこでも、おめえさんのよさそうな墓を見立てておくんなせい」と捨てぜりふを残して逃げだしてしまう。 
 その背中にむかって市村が「これ、嘘ばかりついていると地獄さ落ちねばなんねえど」と言葉をかけると、フランキーは「地獄も極楽もあるもんけエー。おいら、まだまだ生きるんでエー!」と啖呵をきる。 
 そこへ寺の鐘がゴーンと一発、舞台の合いの手のように入り、一転して陽気なデキシーランドジャズが流れ始める。 
 そしてその軽やかなリズムに合わせるようにフランキー堺が軽快に走って遠ざかる。 
 鮮やかでスピーディーな語り口の映画的快感に満ちた場面である。 
 怪談めいた不気味な雰囲気が突然陽気な音楽に転調し、その明るい調子の画面にエンド・マークが浮かび上がるというキレのいいの終わり方が子供心にも強く印象に残ったのである。 
 また、この映画以前にもフランキー堺と市村俊幸のコンビで「フランキー・ブーチャンのああ軍艦旗」や「フランキー・ブーチャンの殴り込み落下傘部隊」といったふたりがコンビの映画が封切られており、ここでのキャラクターがやはり目端の利く江戸っ子のフランキーと鈍な田舎者の市村という組み合わせで、それとの連想も重なって印象に残ったのかもしれない。 
 とにかく長年気になっていた場面であった。 
 大学時代の友人に川島雄三の熱狂的なファンがおり、常々彼から川島映画の素晴らしさを聞かされていて、ある時名画座で「幕末太陽伝」が上映されていたのを目にし、その友人の言葉を思いだしてなにげなく入ってみたのがこの映画との新たな出会いであった。 
 そしてこの場面と再開したというわけである。 
 以来、私も川島雄三の奇妙な魅力の虜になったのである。 

 この映画の主人公左平次は川島の心情を強く投影した人物である。 
 それに対して、太陽族のスター石原裕次郎に高杉晋作を演じさせることで鮮やかな対比をさせている。 
 高杉晋作は左平次同様遊郭に居残って、そこを根城に御殿山の外国公使館焼き討ちを画策している。 
  そんな無謀とも思える行動力と若さに似合わぬ洒脱で世間慣れしたダンディズムをもった高杉晋作に太陽族のイメージを重ねて合わせることで、皮肉なからかいと心優しい共感を示している。 
 そんなふたりを中心に様々な登場人物たちの人間模様が洗練された笑いで描かれる。 
  舞台となる品川遊郭に次々と出入りする落語的な人間たちをしゃれのめしたり、皮肉ったりしながらモザイク模様のような人間模様を描いていく。 
 これはよく言われる「グランドホテル形式」と呼ばれる手法である。 
 ホテルのようなひとつの限定された舞台を中心にそこに出没する人間たちのドラマを重層的に描く手法であり、川島雄三の代表的な作品にはこういった地域限定型の形式をとるものがなぜか多い。 
 例えば「貸間あり」がある架空の安アパートに住む珍妙な人間たちの物語であるし、「しとやかな獣」も住宅団地の一室に住むある家族の物語で、カメラは舞台劇のように終始この部屋だけを写し続ける。 
 「わが町」は大坂下町の貧乏長屋に暮らす心優しき庶民たちの明け暮れが河童路地という限定された場所を中心に描かれる。 
 また「洲崎パラダイス・赤信号」も洲崎遊郭の入り口にある橋のたもとで小判鮫のように遊郭に吸い付いて生業っている居酒屋を舞台にしたドラマであり、特飲街というきわめて特殊で限定された場所が描かれている。 
 このように限定された場所にひとくせもふたくせもある人間を投げ込むと彼らがどんなふうに活動を始めるかという発想から川島映画がつくられることが多い。 
  そして、そこでの人間たちの右往左往を、まるで実験室の顕微鏡を覗き込むようにして眺めて楽しむといった態度が見られるのである。 
 「貸間あり」のシナリオを共同で書くことになった若き日の藤本義一がその時の体験を小説「生きいそぎの記」と題して書いているが、このなかに興味深いエピソードがでてくる。 
 シナリオを執筆するにあたって、川島が藤本に命じたことは、まずアパートの見取り図を書くことであった。 
 それは詳細をきわめたもので、丹念に彩色まで施していくという念の入れようである。 
 そしてこの作業に十日間もの日数を費やし、シナリオの執筆に詰まるたびにそれを拡げては新たな物を書き加えるという作業を繰り返すのである。 
 しかしこの一見無駄とも思えるような作業の繰り返しから登場人物たちのキャラクターが肉付けされていき、自然に人物が動き出すようになる。 
 そしてそこにある状況を設定すると彼らは生き生きと跳梁跋扈を始めるのであった。 
  そうやってきわめて川島的な人間喜劇が生まれてくるのである。 
  いい映画たるための条件のひとつにいかに細部をきめ細かくリアルに描けるかどうかということがある。 
 どんなに荒唐無稽な話でも本当らしい細部で固めることによって確かなリアリティーを獲得することができる。 
 そして、いい映画というものはかならずどんな細部もおざなりにせず、きっちりと描ききっているものである。 
 登場人物に関しても同様で、どんなに小さな役柄の人間といえども手を抜かずきちんと描いている。 
 時には、主人公以上に脇の人間に情熱をかけて描くということさえある。 
 川島雄三にもそうした傾向がうかがえる。 
 だからこそキャスティングが非常に重要なポイントになってくるわけで、たとえどんなに小さな役柄であろうと、たとえそれが物語の大筋に関係のない役柄であったとしても、信頼のおけるいい役者を使おうとする。 
 「幕末太陽伝」の場合を例にとれば、金子信雄、梅野泰清、織田政雄、岡田真澄、植野謙二郎、河野秋武、西村晃、小沢昭一、殿山泰司、井上昭文、山岡久乃、菅井きん、左幸子、南田洋子といった川島映画によく登場する達者な顔ぶれが揃っている。 
 こうした役者たちを自在に動かすことで躍動感に満ちた川島世界が出現してくるのである。 
 そしてそのアンサンブルのなかに笑いだけではない人間の愚かさや哀しさといったものを巧みに織り交ぜてゆくことで濃密な人生の貌を見せてくれるのである。 
 軽さと重さという相反する要素をさりげなく共存させていく。 
 そして、そこに奥深い厚みが生まれてくる。 
 まさに「細部に神が宿る」のである。 
 だからこそ、フランキー堺が演ずる左平次の胸のすくような活躍がますます冴えたものになってくるわけで、役者全員の調和のとれた見事さは何度観てもうならされてしまう。 
 スピーディで切れ味のいい展開のなかで、どの俳優も実にはつらつと動いている。 
 まさに、生きている。生きのいい演技を展開しているのである。 
 そして、その生きのいい演技のなかから生きのいい笑いが生まれてくるのである。  
  「生きいそいだ」川島雄三の凝縮されたエネルギーがその生きのいい笑いのなかから透けて見えてくるようである。 
 

 
 
 
 
 しとやかな獣 62大映東京 
  
 監督 川島雄三 原作・脚本 新藤兼人 撮影 宗川信夫  
 出演 若尾文子/伊藤雄之助/山岡久乃/浜田ゆう子  
 高松英郎/小沢昭一/山茶花究/船越英二  
  
  


  能の様式を使った映画としては黒澤明の「蜘蛛巣城」が一般的にはよく知られているが、川島雄三の「しとやかな獣」も能舞台の様式を巧みに取り入れた作品である。 
 公団住宅の一室を能舞台に見立て、そこへ出入りする階段を橋掛かりとして設定し、その部屋で繰り広げられる話だけで物語が構成されている。 
 そして、物語の要所に地謡が鳴り響き、その音色が流れることで人間くさい欲望のからみ合う世界がどこか幽界めいた雰囲気を醸し出す。 
 橋掛かりとして設定された階段が時に幽界への通り道をイメージさせるような設えになることでもそれは示される。 
 そして、登場する人物も幽界を跳梁する物の怪を思わせるような極端なキャラクターの持ち主たちばかりである。 
  そんなひと癖もふた癖もある人間がお互いの欲望をむき出しにして、丁々発止の駆け引きをする様子がブラックな笑いで描かれていく。 
 風刺と諧謔の精神にあふれた川島雄三ならではの世界である。 
 特に伊藤雄之助演ずる元海軍中佐のキャラクターは傑作で、金こそすべてという人物である。 
 娘を有名作家(山茶花究)の妾にし、それを金づるにして作家から金の無心をしたり、芸能プロの社員である息子の横領した金の上前をはねたりという徹底した拝金主義の怪人物である。 
 そんな夫に楚々として従う妻を山岡久乃が好演しているが、この妻もなかなかのくせ者で、まさに夫唱婦随を絵に描いたように夫を陰で支えている。 
 息子の勤める芸能プロの社長(高松英郎)が息子の横領についての談判に乗り込んできても夫婦ふたりで相手を上げたり下げたり、また知らぬ存ぜぬを押し通し、言い逃れができないとなると今度は泣き落としにかかるといったふうで、煮ても焼いても食えないのだ。 
 まさに幽界を跳梁跋扈する魑魅魍魎である。 
 しかし、ここまでおのれの信条に徹するとむしろ爽快ですらある。 
 また、芸能プロの社長に付き従ってやってきたジャズ歌手を小沢昭一が演じているが、これがまた奇妙奇天烈な人物で、髪を金髪に染め、片言の日本語をしゃべる一見外人のような人物で、だが実は純粋な日本人というなんともあやしげな男である。 
 それを小沢昭一が嬉々として演じており、こういうあやしげな人物をやらせると天下一品である。 
 川島雄三はこのように話の大筋に関係のない点景的な人物に情熱を傾ける癖があるが、それを小沢昭一に演じさせることが多く、小沢昭一もそんな川島の遊びの精神を受けて実に楽しげに演じている。 
  このジャズ歌手のほかには、「洲崎パラダイス・赤信号」のそば屋の出前持ち(井上ひさしがこの時に小沢昭一が歌う「明日は泣かない女になるの・・・」が忘れられないと書いているが、同感である。) 
 「わが町」でのマザコンの散髪屋。ちょっと間がぬけた男で、母親である北林谷栄に頼ってばかりで嫁ももらえず生涯独身のままという情けない役どころだが、彼が所在なげに路地に立っているだけで俄然その場所がリアルに見えてくるから不思議である。 
 また「幕末太陽伝」の貸本屋の金造。 
 落語の「品川心中」をベースにしたエピソードに登場してくるのだが、この話しがこの映画の中でいちばん笑えるエピソードになっている。 
 女郎のおそめ(左幸子)の人気が近頃落ち目で、ここらでなんとか挽回するために、はやりの心中騒動を起こして話題をさらおうと考える。 
 そして選ばれた相手が出入りの貸本屋の金造である。 
 「どうせひとりもんだし、ボンヤリで下司だから、殺したほうがためになる」という理由だから乱暴な話である。 
 また話をもちかけられた金蔵もにわか仕立ての色男を嬉々として演じる。 
 こうして心中の道行きとなるのだが、どちらも本気で死ぬ気がないのでなんとも妙な話になっていく。 
 そんな左幸子と小沢昭一の間の抜けたやりとりが傑作である。  
  小沢昭一には下降趣味というか、身を貶めることを志向するところがあり、こうした種類の役柄に耽溺し、かつこういう役どころをやると本領を発揮して他の追随を許さない。  そんな小沢昭一の愛すべき才能がシニカルな喜劇を志向する川島雄三の好みにあったのは当然のことであっただろう。 
 そして、そんな役者と監督の関係が、川島の助監督であった今村昌平に引き継がれているというのも面白い。 
 小沢昭一は今村の全作品に出演している唯一の役者である。 
 もちろん小沢昭一と今村昌平の関係は学生演劇をともにやっていた時代からのものであり、むしろ今村昌平の橋渡しがあって小沢と川島が出会ったと考えたほうが自然なのかもしれないが。 
 とにかく小沢昭一はこのふたりの異能の監督から珍重され、また彼もその期待に素早く反応し、彼の味のある珍妙な芝居が川島や今村の映画を引き締める(いや緩めていると言うべきか)大きな力になっている。 
 貴重な存在の役者であり、愛すべき役者である。 
 最近は、活躍の場も少なくなってしまい、味のある演技を見られないのがなんとも残念なことである。 
  
 といったふうにこの「しとやかな獣」の奇妙さはまさに一見の価値がある。 
 
 
 
 
 
 裸の大将 58東宝 
  
 監督 堀川弘通 原作 山下清 脚本 水木洋子  
 撮影 中井朝一 音楽 黛敏郎  
 出演 小林桂樹/三益愛子/市村俊幸/高堂国典  
 沢村貞子/団令子/青山京子/加東大介/飯田蝶子 
  

 
 
 
 
 江分利満氏の優雅な生活 63東宝 
  
 製作 藤本真澄/金子正旦 監督 岡本喜八 原作 山口瞳  
 脚本 井手俊郎 撮影 村井博 音楽 佐藤勝  
 出演 小林桂樹/新珠三千代/東野英治郎/江原達怡/田村奈巳  
 横山道代/太刀川寛/平田昭彦/中丸忠雄/ジェリー伊藤 
  

 
 
 
 
 ニッポン無責任時代 62東宝 
  
 監督 古沢憲吾 脚本 田波靖男/松木ひろし  
 撮影 斎藤孝雄 音楽 神津善行  
 出演 植木等/ハナ肇/重山規子/久慈あさみ/田崎潤  
 谷啓/松村達雄/由利徹/中島そのみ 
  

 
 
 
 
 にっぽん泥棒物語 65東映東京 
  
 監督 山本薩夫 脚本 高岩肇/武田敦 撮影 仲沢半次郎  
 美術 森幹男 音楽 池野成  
 出演 三国連太郎/佐久間良子/伊藤雄之助  
 北林谷栄/江原真二郎/緑魔子 
  

 
 
 
 
 馬鹿が戦車でやってくる 64松竹大船 
  
 製作 脇田茂 監督・脚本 山田洋次 原案・音楽 團伊玖磨  
 撮影 高羽哲夫 美術 佐藤公信  
 出演 ハナ肇/犬塚弘/岩下志麻/松村達雄  
 花沢徳衛/谷啓/東野英次郎/飯田蝶子 
  

 
 
 
 
 なつかしい風来坊 66松竹大船 
  
 製作 脇田茂 監督・脚本 山田洋次 脚本 森崎東  
 撮影 高羽哲夫 美術 重田重盛 音楽 木下忠司  
 出演 ハナ肇/有島一郎/倍賞千恵子/中北千枝子/真山知子/山口崇/久里千春  
  


 これは「馬鹿」シリーズに続いて再びハナ肇の主演で撮られた喜劇である。 
 そしてここにもうひとりの新しい主役が登場する。 
 有島一郎演ずるサエない中年のサラリーマンである。 
 彼は衛生局の防疫課に勤務するどこにでもいそうなごく普通のサラリーマンである。 
 真面目だけが取り柄で、そんな男の常として役所では影のうすい人物で、おまけに最近は家庭でも妻や娘から軽く見られている。 
 そろそろくたびれかけたこの男がある日電車のなかで酔っぱらった土方とちょっとした関わりをもつことになる。 
 そしてこの粗野だがどこか憎めないところのある男のことが妙に心に残るのである。 
 それからしばらくたったある日、左遷になった同僚の送別会に出席した帰り、ひとごととは思えない苦い思いを抱えた彼が偶然この男と再会する。 
 突然の再会を喜ぶふたりはたちまち意気投合し、再び酒を飲み直すことになる。  
 そして有島一郎はなりふり構わず本音で生きる土方の源五郎(ハナ肇)といっしょに酒を飲むことで、その時抱えていた鬱屈を晴らすことができ、また日頃の生真面目な男の衣装を脱ぎ捨てることができるのである。 
 ここから彼らの親しいつき合いが始まってゆく。 
 最初は家族から胡散臭く見られていた源さん(ハナ肇)だが、そんな彼らの思惑などこの男にとっては何ほどのことでもなく、有島一郎を慕って足繁く通ってくるようになる。 
 そして、出入りの職人のごとく何くれとなく雑用をこなす彼が妻たち家族にとっても次第に重宝な存在になり、同時に粗暴な外見に似合わぬ優しさに気づくことで、いつしか愛すべき存在になっていく。 
 こうして彼とのつき合いによって有島一郎の潤いのなかった生活は急に生き生きとしたものになっていく。 
 変化のない日常が新しい人や物の登場で急に新鮮に輝き始めるということは誰しもが経験することである。 
 そんな小さな変化が意外と人生を楽しくさせる。 
 そしてそれが人の幸せにとっては案外大きな要素になってのかもしれないのだ。 
 ましてや疲れた日常をひきずっている場合などにはなおさらのことである。 

 ところで有島一郎が抱えもつ憂鬱にはもうひとつ痔瘻という秘かな病がある。 
 そしてこの病が彼の日常の浮き沈みに調子を合わせるかのようによくなったり悪くなったりを繰り返す。 
 それが夢も希望もない疲れた中年男の侘びしさを象徴しており、この笑いと涙の物語に風変わりな味わいを与えている。 
 だがハナ肇との幸せな出会いによって小康をえていたこの病も、ある不幸な事件をきっかけに源さんが彼の前から姿を消すと再び彼を悩ませることになる。 
 さらに追い打ちをかけるように彼の地方への左遷が決まり、それをめぐって家族全員が自分の都合ばかりを主張してだれひとり彼に着いていく者がいないということがわかるとその苦しみは頂点に達する。 
 トイレで痔の痛みに苦しむ彼の様子が詳細に描かれるが、ここで有島一郎は本来の喜劇役者としての本領を発揮して抱腹絶倒ものの演技を見せるのである。 
 舞台で鍛えられた軽妙な動きによって引き起こされる笑いはまさに名人芸と呼ぶのにふさわしいものだ。 
 この場面の有島を見るだけでもこの映画を観る価値がある。 
  
 こうしてひとり淋しく左遷先への旅路となるのだが、山田監督は最後にとてつもなく幸せな場面を用意する。 
 憂鬱な想いを抱いて汽車に揺られる有島の前にまたも偶然の出会いが訪れる。 
 映画の冒頭で描かれた偶然の出会いの繰り返しのようなうれしい出会い、「人生まんざら捨てたものじゃない」と思わせる幸せで涙あふれる出会いなのである。 
 ここで有島同様、観客もいっきに救われる。 
 これ以上ないハッピーな結末に心洗われるのである。 
 このシーンは「遙かなる山の呼び声」のラストシーンにも形を変えて登場するが、そちらもこれに負けない名シーンになっている。 
 観客を暗い気持ちのまま帰してはならないとする山田洋次監督の面目躍如たるラストシーンである。 
 

 
 
 
 
 喜劇・一発大必勝 69松竹大船 
  
 製作 島津清/上村力 監督・脚本 山田洋次 原作 藤原審爾  
 脚本 森崎東 撮影 高羽哲夫 美術 梅田千代夫 音楽 佐藤勝  
 出演 谷啓/ハナ肇/倍賞千恵子/犬塚弘 
  
  

 
  
 
 
 吹けば飛ぶよな男だが 68松竹大船 
  
 製作 脇田茂 監督・脚本 山田洋次 脚本 森崎東  
 撮影 高羽哲夫 美術 重田重盛 音楽 山本直純  
 出演 なべおさみ/緑魔子/有島一郎  
 ミヤコ蝶々/犬塚弘/佐藤蛾次郎  
  

 
 
 
 
 蒲田行進曲 82松竹/角川事務所 
  
 製作 角川春樹 監督 深作欣二 原作・脚本 つかこうへい  
 撮影 北坂清 音楽 甲斐正人  
 出演 平田満/風間杜夫/松坂慶子  
 清川虹子/蟹江敬三/原田大二郎 
  

 
 
 
 
 シコふんじゃった 91東宝/大映/キャビン 
  
 製作 徳間康快/平明陽 監督・脚本 周防正行  
 撮影 栢野直樹 美術 部谷京子 音楽 周防義和  
 出演 本木雅弘/清水美砂/竹中直人/松田勝/田口浩正  
 ロバート・ホフマン/宝井誠明/梅本律子/柄本明 
  

 
 
 
 
 無能の人 91ケイエスエス/松竹第一興行 
  
 製作 中沢敏明/関根正明 監督竹中直人 原作 つげ義春  
 脚本 丸内敏治 撮影 佐々木原保志 音楽 ゴンチチ  
 出演 竹中直人/風吹ジュン/三東康太郎/山口美也子  
 マルセ太郎/神戸浩/大杉漣/神代辰巳/三浦友和 
  

 
 
 
 
 12人の優しい日本人 91ニューセンチュリー作品 
  
 製作 岡田裕 監督 中原俊 脚本 三谷幸喜  
 撮影 高間賢治 音楽 吉田就彦  
 出演 塩見三省/相島一之/上田耕一 /二瓶鮫一/中村まり子  
 大河内浩/梶原善/豊川悦司  
  


 三谷幸喜率いる東京サンシャインボーイズの舞台劇を映画化した作品である。 
 もちろんこれは題名からも分かるようにアメリカ映画「12人の怒れる男」を焼き直したものであり、陪審制度のない日本で、もし陪審制があればどうなるか、といった全くの虚構性のもとにつくられたものである。 
 「12人の怒れる男」のほうは、有罪が無罪になる話だが、こちらは逆に無罪が有罪になっていく。 
 また、「12人の怒れる男」はシリアスなドラマだが、「12人の優しい日本人」は当然のことながら喜劇である。 
  そしてなによりも優れているのは、そういった焼き直しであるにもかかわらず、この「12人のやさしい日本人」はきわめてオリジナル性に富んだ面白い映画になっていることだ。 
 話が複雑になって混乱をきたしかねないところがよく練られており、優しいがゆえに問題を回避したがる日本人の安易な性向が乾いた笑いのなかでうまく描かれている。 
 「そうそう、こういうことはよくあるな」と思わず納得してしまう。 
 そして、そんな安易で及び腰の人間たちがちょっとしたきっかけで話がどんどん思わぬ方向へと発展していく様子が実にうまく描かれていく。 
 よく練られた脚本の力によるところが大きい。 
 もちろん、中原俊監督の手際のいいさばき方も見逃せないが、(前作「桜の園」でも限定された場所での大勢の登場人物をうまくまとめるうまさは証明済みだが)やはりしっかり書きこまれた脚本あってのことである。 
 三谷幸喜はこのシナリオで91年度キネマ旬報脚本賞を受賞している。 
 また、彼の初監督作品「ラジオの時間」が現在封切られているが、これも東京サンシャインボーイズで上演された舞台劇の映画化作品で、ラジオ局のスタジオでくりひろげられる物語は「12人の優しい日本人」と似た密室劇である。 
 そして、ここでもやはり放送されるラジオドラマが様々な人間たちの勝手な思惑で次第にねじ曲げられ、まったく違った物語にされていく様子が描かれる。 
 そうした不条理な様子を不自然に感じさせない作劇術はみごとである。 
 また、最近、和田誠との対談集「それはまた別な話」が出版され、博覧強記の和田誠を相手に一歩も引けを取らない映画フリークぶりをみせている。 
 これを読むと、彼のユニークな物の見方、考え方がよくわかる。 
 そんなわけで三谷幸喜という独自の笑いの才能をもった作家への注目度は大きく、当分は目が離せない。 
 
 
 
 
 
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